第三章 決起 パート7
リンがキヨテルとユキを伴ってルワール城へと戻ったのは、それから一時間程度が経過した頃合であった。通されたのはルワール城の二階中央にある応接間である。今でこそ応接間として利用されてはいるが、かつて黄の国に滅ぼされたルワール王国が存在していた頃は謁見室として設計された部屋であった。その室内はしかし、元黄の国の宮殿であるゴールデンシティ総督府のような、必要以上に凝った装飾品などは存在していない。過不足の無い接客用品のみが用意されている応接間に通されたキヨテルは、意外、と言う様子で室内の様子を眺め回した。ルワール市を一望できる両開きの窓にかかるカーテンも、今まさに腰かけようとしているソファーも、ソファーの間にある背の低いテーブルも、どれもが一級品とは到底言いがたい品であった。ただ、丈夫そうだという印象だけはキヨテルにも強く刻まれたが。
「どうぞ、お掛けになって。」
少し強張ったような表情で、リンがキヨテルに対してそう言った。それに対してキヨテルは丁寧なお辞儀を見せると、リンからやや遅れてソファーに腰を下ろす。やはり見立ての通り、高級なソファーとはとても表現できない。少し硬い皮の感覚を味わいながら、キヨテルはどのように話を切り出すべきか、言葉を選ぶように軽く息を吸い込んだ。ユキはこの場にはいない。幼い子供を同席して話せるような内容ではないと告げて、無理を承知でハクとミレアに預けている。一方で、セリスはこの会合に同席していた。リンがセリスの同席を条件としたのである。セリスを護衛とするつもりなのだろう、庶民を装いながらもリン様はご自身の価値を十分に認識されている、という感想を抱きながら、キヨテルは慇懃な姿勢で口を開いた。
「改めまして、自己紹介させていただきます。私はここより南方に位置するトロール地方の地主、キヨテルと申します。」
「リンよ。」
リンは警戒心を解かない様子で、短くそう告げた。もう少し、心を開いていただかなければ。少し、話を逸らすか、と考えながらキヨテルはこう言った。
「ところでリン様。ミキという人物をご存知でしょうか?」
その問いに対して、リンは何かを思い起こすように視線を空に彷徨わせた。そして唐突に思い起こした様子で、こう答える。
「その名前は聞いたことがあるわ。ただ、キヨテル・・と言ったわね?貴方が思い描いている人物と同一人物かは分からないけれど。」
「ルータオを拠点としている貿易商です。」
即座に、キヨテルはリンに対してそう答える。それに対して、リンは腑に落ちた様子で頷きながら、キヨテルに向かってこう言った。
「ルータオで最も資産を持っていると言われる女傑ね。お会いしたことはないけれど。」
「ミキ殿は私の商売仲間なのです。」
リンがミキについて知悉していたことに安堵しながら、キヨテルはそう答えた。
「そのミキ殿がどうしたのかしら?」
続けて、リンはキヨテルに対してそう尋ねた。良い調子だ、と考える。
「実は私がリン様のことを知ったのは、ミキ殿の情報提供があったからなのです。」
「あたしの?」
リンはそこでかすかな不安を見せるようにそう言った。そのリンに対してキヨテルは警戒心を抱かせないようにリンに向かって微笑みながら、静かに口を開く。
「金髪蒼眼の少女が赤騎士団と共にルータオ南方へと逃亡した・・と。」
「・・金髪蒼眼が、どうかしたのかしら?」
とぼけるように、リンはそう言った。リンの隣に控えるセリスも、油断ない様子でキヨテルの動作を注視している。まだ幼い二人に対してキヨテルはほんの少しだけ瞳を緩めると、リンに向かってこう言った。
「金髪蒼眼は黄の国王族の特徴である。その程度の情報なら手に入るだけの力を持っているのですよ。」
はっとした空気の流れがキヨテルの皮膚に突き刺さった。ここは勝負に出るところだろう。キヨテルはそう判断すると、語気に勢いをつけながら言葉を続けた。
「公式には処刑されたはずの金髪蒼眼の少女がなぜかルータオにその居住を定めていた。そこから推測される理由は一つ。リン女王陛下は何らかの手段を用いて黄の国滅亡の際にゴールデンシティを脱出し、ルータオへと逃れた。」
明らかに緊迫した瞬間が応接間を包み込んだ。皮膚を刺すような張り詰めた空間が応接間を多い尽くす。そして暫く、沈黙。
「・・何かの間違いよ。」
やがて、沈黙に耐え切れなくなったという様子で、リンはそう言った。ただその言葉は余りに弱々しく、彼女の視線もキヨテルから避けるようにあらぬ方角を示していたが。
「ご安心ください、リン女王陛下。」
キヨテルはそこで緩やかな笑顔を見せた。それそろ、本題に入るべき時だろう。
「リン女王陛下を帝国に売るような真似は致しません。寧ろ、リン女王陛下の為に、最大限のご協力をさせていただきたいと考えているのです。」
「・・この亡国の女王に、何が出来るというのかしら?」
キヨテルの言葉に、リンは小さく唇を噛み締めながら、そう言った。そのリンに対して、キヨテルはほくそ笑むように口元を歪めると、こう答える。
「帝国が我々に成していることを、リン様はご存知でいらっしゃいますでしょうか。」
「・・カイト皇帝は私よりも遥かに優れた施政者だわ。ルーシア遠征に失敗したとはいえ、その権力が衰えたとはとても思えない。」
「いいえ。」
断言するように、はっきりとキヨテルはそう言った。そして、強い調子で言葉を続ける。
「カイト皇帝は軍事の天才かも知れませんが、しかし経済においては凡人、いや、素人というべきでしょう。ルータオ占領が良い例です。あの占領以降、ルータオ港の荷揚げ量が激減していることをご存知でしたか?」
「・・知らないわ。」
呟くようにそう言ったリンに対して、キヨテルは一通の書類を懐から取り出すと、それを静かに机に置き、そのままリンに向かって差し出した。そしてリンに対して拝読を促すように、リンに対してこう言った。
「一週間前にミキから届いた報告書です。」
その言葉につられる様に、リンはその手紙を手に取ると、それを丁寧に読み込み始めた。そして、そのリンの表情がみるみるうちに曇ってゆく。
「帝国はご存知の通り、ルータオ港を完全に直轄領化いたしました。その結果、商人たちによる自由取引は完全に途絶えることになった。その結果どうなったか。利益にならない商品の為に商人は危険な外海へと乗り出しはしません。貿易業者の廃業はこの半年でそれまでの十倍を超えるまでに増加いたしました。」
その言葉を受けながらリンは手紙をテーブルに戻すと、深い溜息を漏らした。にわかに信じがたい報告ではあったが、この手紙が真実だというのなら、あの盛況の極みであったルータオで失業者が溢れているという。だが、全く考えられない状況ではなかった。ルータオがミルドガルド帝国の直轄地区となったことは当然リンも認識している。そのルータオでの取引は全て帝国の許可が必要となり、それに伴って一取引あたり、多額の税金を帝国へと支払わなければならなくなったのである。それは当然ながら、海運業者の利益を直撃することになった。利益が出なければ、海難事故が絶えないこの時代にわざわざ外海へと漕ぎ出すリスクを背負う必要性が無くなる。割りに合わないからだ。そうなるとキヨテルの報告通り、海運業者が減少する。そして海運業者が減れば、そこで働く海男たちはその職場を追われることになる。
「そして先日のルーシア遠征。ここでも帝国は多額の負債を抱えることになりました。その解決の為に、帝国は更に民への負担を増そうとしております。」
キヨテルは続けてそう言いながら、リンに対して、先程届いたばかりであるリリィからの手紙を差し出した。少しの嫌悪の色を見せながら、キヨテルが言うままに手紙を取ったリンは、そこで明らかにその表情を変化させた。何かを悲しむような、絶望を示すような、そんな表情だった。
「リン様。我々は新しい統治者を求めております。帝国が成立して未だ五年。ですが、この五年は帝国を腐らせるには十分な時間であったようです。」
キヨテルの声が、まるでどこか遠い場所で鳴り響いているかのようにリンの耳へと届いた。民に対する増税と、支援金の払い止め。以前グミも言っていた通り、ミルドガルド帝国の財務状況はそれほどまでに芳しくないのだろう。やがてそれはどうなるか。それでも資産が集まらなければ。結果は見えている。それはかつて、自分自身が指示したことなのだから。
「・・カイト皇帝は、略奪よりも増税を選択したのね。」
呻くように、リンはそう言った。その言葉に、キヨテルはしかし応えず、ただ決意を促すような沈黙を続けるのみ。何かの返答を伝えない限り、キヨテルは引き下がりそうにもないな、とリンは考えると、溜息交じりにこう答えた。
「今のあたしは女王ではないわ。他の者とも協議した上で返答致します。」
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