気がつくと歌声が重なっていた。

 自分と違う女の子の声だった。小さな歌声と共に、こつこつという石畳の上を歩く靴の音も響いていた。その歌声をもっとよく聴こうと、がちゃ坊は歌うのをやめて、真っ白い靄の中に視線を向けた。
 と、相手の歌声も止んでしまった。不意にがちゃ坊が歌うのをやめたせいで相手もがちゃ坊の存在に気が付いたようだった。かつん、と少し戸惑うように相手の足音も止まった。
 そして躊躇うような沈黙の後、再びその足音ががちゃ坊のほうに向かってきた。
 ほどなくして。靄の向こう側から現われたのは長姉よりも少し年上か同じくらいの女の子。
 少しくせのある黒い髪をしたその女の子は、華奢な身体に似合わない大きな買い物籠をさげていた。そこから顔をのぞかせているのはなんだか重そうな荷物たち。
 歌声の主ががちゃ坊のような小さな子供であった事に驚いているのだろう。あら、と女の子は目を丸くした。
「こんな時間にひとりでどうしたの?」
女の子は心配するようにそう言ってがちゃ坊の顔を覗き込むように見た。その柔らかな雰囲気の目に見つめられて、どぎまぎしながら、迷子になったみたいです。とがちゃ坊が言うと、更に驚いたように女の子は目を丸くした。
「こんな朝早くに迷子って、まさか一晩中ずっとここに居たの?」
驚いたような女の子の、朝、という言葉に、ううん、とがちゃ坊もまた驚いて首を振って。しかし、そうなのかなあ?と首を傾げた。
 ご飯も食べていないしお風呂にも入っていないし眠った覚えも無いのだけど、いつの間にか次の日になっちゃっていたのかな?
 うーん、と考え込んでしまったがちゃ坊に、女の子はとにかくうちに来る?と言った。
「ずっと迷子になっていたのだったら、お腹もすいているでしょ?何か作ってあげるね。」
そう女の子は柔らかな口調で言った。その、何か作ってあげる。の言葉にがちゃ坊のお腹が反応して、ぐう、と鳴る。
 タイミングの良い腹の虫の声に、じゃあ行こうか。と女の子が微笑んで手を差し出してくれた。こくん、と頷いてがちゃ坊がその手を握ると、思いのほかしっかりとした力で握り返してくれる。その力強さにがちゃ坊がほっとしていると、女の子は、ちょっと待って。と思い出したように立ち止まり、先ほどまでがちゃ坊がその傍らで座り込んでいたガチャガチャに向き直った。
「これ、一回だけやらせてね。」
そう言って女の子は硬貨を機械にセットしてくるりとレバーを回した。
 こんなお姉さんでもガチャガチャをやるんだなあ。とがちゃ坊がその様子を見ていると、果たして女の子が手に入れたカプセルの中から出てきたのは、紫の花飾りが付いた指輪だった。
「あー、、、またこれが当たっちゃった。」
女の子は残念そうにそう言ってため息をついた。と、がちゃ坊がまじまじと見つめてくるその視線に女の子は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「この髪飾りが欲しいのだけど。なかなかうまくいかないものね。」
そう言ってその指輪をポケットにしまい、それじゃあ行きましょうか。と女の子は再びがちゃ坊に手を差し出した。
 お花の指輪。カーネーションじゃないお花だけど、でも。いらないのなら、でも。
 でもでも、とがちゃ坊は少し迷うように俯き、しかし思いきって顔を上げた。
「あの、お姉さんがそれいらないのならば、僕に下さい。」
そう言ってから、やっぱり初対面の人にこんなお願いをするのは失礼なんじゃないか。と思ったりもして。よかったら、です、けど。と徐々に小さくなっていく声でがちゃ坊はそう付けくわえた。

「そう、母の日のプレゼントのお花を探しているの。」
がちゃ坊の横に腰を下ろしながら女の子が言った。その言葉に、ホットミルクを飲んでいたがちゃ坊はこくり、と小さくうなずいた。
 女の子がやっている喫茶店に着いた頃には、白くかかっていた靄はゆっくりと晴れていた。霞が消えた後に現れた街はがちゃ坊の知らない場所で、空には早朝の淡い水色の空が広がっていた。本当についさっきまでご近所の商店街に居て、夕ご飯の前だったのに。不思議だなあと首をかしげるがちゃ坊に、女の子がサンドイッチとホットミルクをごちそうしてくれたのだ。
 先ほどの指輪もテーブルの上にちょこんと乗せられている。その指輪に視線を向けて、女の子はそういう事だったらどうぞ。と微笑んだ。
「私はもう同じものを持っているから。」
「ありがとうございます!」
ぱあっと満面の笑みを浮かべてそう言ったがちゃ坊は、お礼に、と先ほど自分がガチャガチャで手に入れたレース模様のメッセージカードを差し出した。
「これ、あげます。」
そう言うと、女の子は嬉しそうに笑って、こうかんだね。と言った。

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母の日のぼうけん・4

閲覧数:73

投稿日:2011/05/08 00:35:19

文字数:1,946文字

カテゴリ:小説

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