「私とて、好きでこのような事を行っているのではないのです」
薄暗い森の奥、大きな広葉樹に背中を預けるように、背を丸めて座り込んだ灰色狼はそういいました。
彼は、自身の腕につかまれた、白い棒きれを見て少しだけため息をつきます。
「見てください、これは元々そこの川の畔で見かけた白山羊の物です、見ての通りこの細くてしなやかな作りはとても美しく、私では到底真似る事が出来ないでしょう」
灰色狼は、その白い棒を天にかざすように持ち上げると、木の葉の隙間から漏れる光に、その棒をかざします、すると、その白い棒は明るい光に照らされ、眩しさを感じるほどの白さに輝きます。
「ですが、そのような事をやっていれば、貴方は尚更孤立してしまいますよ?」
狼がひとしきりしゃべり終えた時。
彼から少しだけ離れた場所に腰掛けた白黒兎は口を開きました。
「確かにその通りです、貴方がおっしゃる通り、私は狼、他の者を食べてしまう凶悪な存在です、そんな私がこの通り、昨晩の獲物の骨を握り締めていては、誰も近寄りはしないでしょう」
「そのようで……」
半分の呆れと、もう半分の疲労から、白黒兎は大きくため息をつくと、灰色狼に向き直りました。
「ならば、なぜ貴方は生き方を変えないのかと私は……」
すると突然灰色狼は大声を上げます。
「変えたいですよそれはもちろん、ですがいかせん私は狼です、誰かを食べないと私は生きていけません。我慢しようと草を噛み、一人穴蔵で身を丸めても、今度はどうしようもない孤独が私を取り囲みます」
灰色狼は昨夜出会った山羊の骨大事に懐に仕舞うと、今度は頭を抱えて俯きます。
「もちろんそれでは私は辛いだけ、ですから今度は草原に歩み出て、私が害の無い一つの獣であることを見せつけようにも、皆は私を怖がり慄きそして、一つまた一つと距離を置くのです。
彼らの足は小さいです、少しずつ足を遠ざけてはいます、残念な事に私の足は彼らよりも早く、距離を詰めることは簡単ですが、彼らの歩む歩幅は私にとってとても痛く、少しだけのはずの歩幅は私の心を少しずつ心を切り取って行きます。
まるで私の事を除くかの様に、きれいな草花の棘を鋏で切り取るかの様に彼らは私を嫌います」
白黒兎は、懐に下げた懐中時計の針を見つめ、困った様子で思案を重ねます。
されどせわしなく歩みを重ねる針に思いを重ねても、時計の針は針でしかなく、ただ白黒兎の心を焦らせるだけです。
「誰も近寄らないのなら、貴方から歩み寄るのはどうでしょう、貴方の足ならあっという間に彼らに駆け寄ることができます、なぜなら幸いな事に貴方は狼なのですから」
「幸いな事であると同時に、私は残念な事に狼です、ただ歩み寄る為に作られた訳では無いこの足は鋭く、私は駆け寄ると同時に彼らを引き裂いてしまいます、傷つけないようにこの爪を私はすべて切り取りました。
すると、どうでしょう?
私の残忍な爪は彼らを掻く事はなくなります、しかし私の牙がどうにも疼き、我慢しようと思っていても、彼らの首に噛みつき、そして食べてしまうのです」
灰色狼は根本から噛みちぎられ、まだわずかに湿り気をおびた指の先を白黒兎に見せると、今度は爪の代わりに大きく鋭く化けた牙をゾロリと見せつけ、残念な事ですと呟くばかりです。
「私は白山羊が好きです、あのしなやかな体と柔らかな毛並みはどうにも私の中の奥深いところをくすぐります。
そうして私の心がむず痒くなったとき、私は彼らになりたいのだと思うようになりました。
彼らの恐怖を感じさせない姿形、そして誰かに食べてもらえるその生きざまは私にとってもっとも素敵な物だと感じるようになりました」
白黒兎は呆れ、溜め息をつき、そして未だに痛みを帯びているであろう灰色狼の指を見て心が痛むのを感じます。
「そこで私は再び思案しました、どうやれば彼らの様になれるのか、どうやれば私が毒の無い、安全な生き物になれるのかを考えた時、一つの考えが浮かびました。
それが彼らの姿を真似る事です。
すなわち、闇に紛れ、誰かを襲うために生え揃ったこの醜悪な黒い毛並みを、彼らの白くて美しい毛並みに変える事を計画しました」
「されど今の貴方は白では無く灰色、山羊の様な白くて美しい毛ではなく、貴方が身に纏っているのは、柔らかくもなければ、大層に白い訳でも無い、薄汚れた灰色です」
そう白黒兎が口にしたとき、自身の言葉の羅列に含まれた毒に気が付き、あっと声をあげました。
事実として、その言葉を聞いた灰色狼は頭を抱え、低い声を上げて唸るのです。
聞きたくない、聞くまいとしても、灰色狼の耳は鋭く、どんな音も聞き逃しません。
「そうです、私は否応なしに狼なのです、醜さを隠すため、この醜悪な姿を隠す為だけに体を白く塗ったものの、私の体は黒く、白い色のインクでは私の醜悪な地の黒を隠す事が出来ないのです」
「そもそも貴方は狼です、生き方を変えようと思っても、貴方の素性は変えることができません、狼は食べられる生き物を食べ、そうする事が貴方の生きざまなのですよ。
するとふと私は一つの疑問が浮かびます、貴方は狼、誰かを食べる生き物であり、先ほど貴方がおっしゃっていた通り、貴方は誰かを食べる生き物であります。
ならばなぜ貴方は私を食べてしまわないのか。
私はごらんの通り、白黒燕尾服の兎です、首からさげたこの時計を除けば貴方の牙で食べてしまうことも簡単でしょう。
貴方は自信の牙の疼きを我慢できません、ならばなぜ私を今この場で食べてしまわないのか?
私は先ほどからその疑問が不思議で不思議でしょうがありません」
すると灰色狼は、再び懐に仕舞っていた山羊の骨を取り出し、悲しげに、そしてほんの少しだけ嬉しげに言葉を紡ぎ始めます。
「その通りです、私はごらんの通りの狼であり、この牙の疼きはどうにも我慢出来るものではありません。
されど、私は昨夜、大好きな山羊を食べてしまっています、こうして腹が膨れている一時の間は、私の牙の疼きは収まり、私はこうして理性を保つことが出来るのです。
貴方が野を駆け、忙しい忙しいと口ずさみながら現れても、私は大人しい、一つの醜い獣であることが出来たのです」
灰色狼は再び山羊の骨を仕舞い込むと、白黒兎の頭をつかみ、自身の顔を寄せてみせます。
そして鋭い牙をゾロリと見せると、自嘲気味た笑みを浮かべ、こういいました。
「どうです? 醜いでしょ? 私はこの牙が大嫌いです、この醜い牙がなければ、私はこの疼きを感じる事はなかったでしょう、どうです?
その小さな指でつかんで引っ張ってみてはいかがですか?
私は先ほど申したとおり、今は大人しくて醜いだけの獣です、貴方のその細い指がどれだけ美味しそうでも、この牙で噛みちぎる事はありません。
しかし、貴方の指ではこの牙を引っこ抜く事も出来ません、生まれもって付いたこの醜い牙はとても根強く顎に張り付き、私の丈夫な指でも引っこ抜けません。
なぜなら、私は先日自身の指を噛み切り、物をしっかりとつかむことの出来ない日々が続いているからです」
大きく、血のにおいが染み着いた灰色狼の指に頭をつかまれたまま、白黒兎は思案しました。
そしてしばらくして、懐から一つの道具を取り出すと、灰色狼に差し出します。
それは大きなペンチでした、少しだけ錆の浮いた、ですが道具としては未だに使える、古びたそれを、灰色狼の手の中に押し込みます。
「わたしの小さな手ではこれを扱う事は出来ません、しかし貴方の大きく力強い手なら、爪が無くとも十分に扱うことが出来るはずです」
「これを扱ってなにをすれば? 醜い私は道具など使った事がありません、そしてこの道具はなにをするための物なのか、私にはわかりません」
灰色狼は、首を傾げ、その道具を手に持つと、白黒兎に向き直ります。
「これはペンチと呼ばれる道具です、物を強く掴むため、そしてそれを引っこ抜いてしまうために使う道具です、いかがでしょう? これを使えばその牙を引き抜いてしまう事も簡単です」
「それはすばらしい、私はこの煩わしい牙を捨て、無害な獣になることができる訳ですね」
すると、白黒兎は少しだけ息を吸い込み、言葉の続きを繋げます。
「確かにその通りです、しかし、それでも貴方は山羊になることはできません、そうなったところで貴方は誰かを食べないだけの灰色の何かでしかなく、そしてその姿でいられる時も限られてしまいます。
なぜなら貴方はその牙をなくしてしまえば、これから先はもうなにも食べる事はできなくなるのだから、山羊といえど牙はあります、それは誰かを傷つけるほど強靱な物ではないといえ、何かを食べるためには使われています。
しかし、今貴方がその牙を捨ててしまえば草すら噛む事ができなくなるのです、そうなってしまえば先の事はわかりますね」
「私自身が命を落とすことに何の未練もありません、私は私利私欲のために誰かを食べてきた醜い獣です。
しかし、その牙をすてたところで、私は山羊にはなれません、醜い姿は形を変える事はできず。
そして誰からも食べてもらえません。
確かに誰かを食べる事はなくなっても、私の求めている物がすべて満たされる訳ではありません。
ならば少しだけ考えてみたいと思います、また醜く誰かを食べる生活を続け、これから先もっとよくなれる未来を信じるか、もう二度と誰も食べないで済む代わりに、この滑稽な生活を終わらせるべきか、そして、私は本来の狼としての人生を全うするべきなのか」
その言葉を聞き終えた白黒兎はうなずくと、懐から懐中時計を取り出し、進み続ける針を見据えて少しだけ、これまでにも何度も続けていた驚きの声を上げて走り出しました。
そんな背中を見届けて灰色狼はまた一人うずくまり、暗い思案の根を広げていきました。
時計という物を知らない灰色狼に時間という感覚はわからなかったものの、それから太陽と月が2度ほど入れ替わった空を見上げ。
目の前に一匹の子供の白山羊がいることに気がつきます。
本来なら恐れ慄くべき相手を前にした山羊も、その判断をつけるだけの知識を持ち合わせていない子山羊だったためか、好奇心から声をかけました。
「貴方はなにをしているの?」
そんなこえに灰色狼は瞬き二つで先に返事すると、遅れて声を発しました。
「私は思案をしていました、私は山羊が大好きです、大好きなのに山羊は私を怖がり、私は彼らに話しかけることすらできない」
「それは大変だ、でも大丈夫、私は貴方に話しかけているよ、だからもっともっとお話をしましょう」
山羊は明るい笑顔で歩み寄ると、灰色狼の前に座り込みます。
「貴方が初めてです、私に話しかけてくれた山羊は。 私はなお一層山羊が好きになりました」
「なぜ貴方は山羊が好きなのですか?」
「それは貴方達の全てです、その美しい毛並み、そして美しい声そして形、そして貴方はなにより食べられる側の生き物です。
二日も食事をとらなかった狼ならば、貴方にすぐに噛みついてしまうでしょう」
「噛みつく? それはなぜですか?」
すると灰色狼はにこりと笑い、ゾロリと生えた牙を見せると、こういいました。
「それはこの通り私の牙はとても大きい、ですからとても痒くて痒くてしょうがないのですよ、よく顔を近づけて見てください、私の牙を見たらどれだけ痒いのかすぐにわかりますよ」
それを聞いた子山羊は目をしばたかせ、ゆっくりと顔を近づけました、そして息がかかるほどの距離まで顔をよせた時、子山羊は疑問をなげかけました。
「貴方は私達が好きだと言いましたね、それはどれくらい好きなのですか?」
すると、灰色狼は大きく口を広げ。
「それはもう、今すぐにでも食べてしまいたいくらいです」
そう言い終えると、そのまま口を閉じ、大きな牙で子山羊を食べてしまうのでした。
灰色狼と白黒兎
こっちも文字数がぎりぎり規格内だったので投稿
細かく隠したスラングの意味を理解していただけたら幸いです
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