吸い込まれそうな蒼い瞳、白い肌に長い睫毛。端正だが甘さもある、眉目秀麗な顔立ち。
黙っていれば見惚れる美貌に真剣そのものの表情を浮かべて、目の前の恋人は主張した。
「脱げばいいってモンじゃないんだ!」
「……はあ?」
呆れ返った声で問い返したミクに、カイトは大真面目な顔で付け加える。
「脱ぎ方だって大事だろう。ほら、もっとこう色気だして」
長い指でわざわざ自分のシャツをはだけて見せるあたり、指導が細かいと言うべきなのだろうか。
自問したミクは、否、と答えをだした。これは、単なる変態だ。
「あんたバカじゃないの!」
腹の底から怒鳴ると、ぐーで殴り倒す。ベッドに転がった恋人を後目に立ち上がり、ドアに向かう。久しぶりのお泊まりだったが、すっかりその気は失せていた。
「ミ、ミク?」
本気で驚いた顔をしているから、余計に腹がたつ。
「今日は泊まるの止める。それじゃおやすみ!」
勢いよく閉めたドアが、派手な音を立てる。ミクは追い縋る声を無視して廊下を歩いて行った。
脱げばいいってモンじゃない!
恋人が同じマンション在住というのは、こういう時にすぐ帰れて便利……と思える程には、まだ復活していない。
ソファーで膝を抱えて、ミクはぼんやりと時計の針が動くのを眺めていた。
ダイニングキッチンからは、人の動く気配が伝わってくる。夜の居間は、ただただ静かだった。
クッションを叩くと、気の抜ける音がする。隣には、お泊まりの準備が詰まったバッグが空しく転がっていた。
――なんで、こうなっちゃうかなぁ。
思わずため息が零れた。
カイトの事が嫌いになったわけではない。それならいっそ、話は早い。今日だって、久しぶりに沢山一緒に居られるのが嬉しくて、早起きしてしまった位なのに。
幼馴染のお兄ちゃんをいつの間にか意識して、長い片想いの時期を経てようやく彼氏彼女になった。カイトの性格はわかっていたつもりだし、少しくらいおかしくても惚れた弱みで許してしまえる。
だけど、今日みたいな事があると我慢できなくなる。
――あんたにとって、私は都合のいいお人形なの?
そんな風に、思ってしまう。
「カイトの馬鹿、バカイト」
呟いて、クッションを抱きしめる。油断したら泣いてしまいそうで、ぎゅっと唇を引き結んだ。
「ミク姉、砂糖はなしでいいでしょ?」
明るい声に顔をあげると、妹のリンが両手にマグカップを持って近づいて来ていた。
「はい、紅茶だよ」
「ありがとう」
口に近づけると、甘酸っぱい匂いがする。オレンジのフレーバーの紅茶を含み、ミクは妹に頭を下げた。
「本当にごめんね、こんな時間に」
「別にいいよ、どうせあたしも起きてたし。それより、今度はどうしてケンカしたの?」
夜遅くに帰ってきた姉を迎えたリンは、好奇心と苦笑が半々の表情でそう問いかけた。
「……うん」
ミクは両手でマグカップを持ってちょっと思案する。
さすがに事実を言うのは、憚られる。カイトが変態なのは今更だとしても、何も妹にあかす必要はないだろう。リンだって、カイトの事は姉の恋人になる前から、御近所のお兄ちゃんとして慕っているのだ。
暫く考えて、ミクは言いやすい部分を拾いあげた。
「その、うるさいの。スカートが短か過ぎるとか、女の子なんだからヤニ吸うなとか。ミニスカートは衣装だし、煙草だって演技で真似しただけなのに」
「うん、それで?」
「私の話聞いてくれないし、一緒にいてもパソコンいじってばっかりであんたの恋人はその箱かって言っちゃった」
「ふむ、他には?」
「え、えっと、ムッとしたらアノ日なのとか聞いてくるし」
その後満面の笑みで、それなら口でしてと言われたことも思いだし、眉間にシワがよる。
違うと否定したら、上に乗ってと言われたので蹴り倒した事も蘇って、ますます険しい表情になった。
「うーん、デリカシーないのはわかるけど、そこまで怒る内容かな、それ?」
「……あと、色気が無いって言われた」
ぼそっと答えると、リンが額に手を当てた。
「あちゃ~、お泊まりでそれはないわ」
「でしょう!?」
「うん、ミク姉に色気を期待するのは無謀というかハードル高過ぎだよね」
「……そういう同意のされ方をすると、それはそれで傷つくんだけど」
控え目サイズだと自覚はある胸に手を当てて項垂れる。
リンは妙に明るい声で笑うと、ミクの肩をぱしぱし叩いた。
「まあまあ。で、ケンカになって帰って来たんだ?」
「ケンカ……っていうか、私が一方的に怒っただけで、向こうはなんで怒られたのかわかってなさそうだけどね」
はあ、と再びため息。
「ミク姉、結構短気だからね~。でも、次会ったらちゃんと話した方がいいんじゃない? また繰り返しちゃうよ」
「……うん」
リンの言葉は正論だ。ミクだって、カイトとケンカしたい訳じゃない。
でも、どうしてだろう。昔は会えるだけで嬉しかったのに、今はそれだけじゃ足りない。
ホテルに行こうとか、さわらせてとか、求められる事自体は嫌じゃない。でも、それしかないのは寂しい。
これは、自分がわがままなのだろうか。
冷めた紅茶を口にする。甘い香りと裏腹に、残ったのは微かな渋味だった。
「ミク姉、起きて!」
「早く起きろよ!」
朝から元気な双子の二重奏に、ミクは眠い目を擦って身を起こした。
カーテン越しに射し込む朝日、時計を見ればまだ7時過ぎだ。休日に起きる時間ではない。もう一眠りしたかったが、その前にドアが開いた。
「ミク姉、起きた!?」
飛び込んできたのは、リンだ。いつも溌溂とした妹は、白いリボンを揺らして駆け寄ってくる。
「起きた……」
我ながら寝惚けた声で答えると、リンはぐいぐいとミクの手を引いた。
「早く支度して、さっきから待ってるんだから!」
「待ってる?」
何が? と首を傾げると、妹は腰に手を当てて仁王立ちになった。
「カイ兄、来てるよ」
「え、えぇーっ!?」
素頓狂な声をあげ、ミクは冗談ではないかとリンの顔をまじまじと見たが、妹はどこまでも本気な表情だった。
「今はレンが相手してる。ほら、早く行こうよ」
手を引かれ、改めて自分の格好を見る。
「まっ、き、着替えて髪とか整えるから、30分繋いで!」
「5分」
「せ、せめて15分!」
叫んでミクは、ベッドから慌てて降りた。
姉二人が騒ぐ声が、ドア越しに聞こえてくる。
レンはやれやれと肩をすくめながら、対面に座ったカイトに話しかけた。
「あれは、もう暫くかかるぜ」
「そうだね」
ぎこちなく苦笑したカイトは、普段のマイペースは何処へやら、落ち着かない様子だった。いつも身綺麗な格好をしているのに、髪は所々跳ねているしシャツには皺が寄っている。もしかしたら、昨夜一睡もしていないのかもしれない。
まぁ、落ち着いていたら幾ら近所とはいえ早朝から押し掛けたりしないか、とレンは一人納得する。
「珍しいな、そんなに派手な喧嘩だったのか?」
尋ねると、カイトは首をひねった。
「喧嘩したというか、ミクを怒らせちゃったんだよ。追いかけようとしたんだけど、その前に逃げられてさ。携帯にかけても電源切られてたし、流石に時間が時間だったから押し掛けるわけにもいかなかったから」
「そんなに心配しなくても、ミク姉のことだから一晩寝たら結構けろっとしてると思うぜ?」
「そうだと、いいんだけどね」
カイトは頷いて見せたが、同意はしていないのだろう。十年来の付き合いで、それ位はわかる。
「一方的に怒られてそれでも追いかけてくるんだから、カイ兄も物好きだよな」
レンには未だ恋人はいない。ミクやリンの事はもちろん大事だが、こんな風に必死になる家族以外の女の子がいるというのは、面倒にも羨ましくも思えた。
「まぁ、弟としてはありがたいけどな。ミク姉が落ち込んでると、こっちも困るし。ルカ姉が知ったら、それはそれで面倒なことになるし」
海外遠征で家を空けている長女の名を口にすると、カイトの表情が微妙に引きつった。
「……ルカさんに知られたら、腹を切れとか言われそうだなぁ」
妹思いにも程があるだろうと、弟でもツッコミたくなるルカは、ミクとカイトの交際が発覚した時にもそれはそれは大変だった。冷凍マグロを振りかざして、カイトのこめかみから僅か数センチの位置に穴を穿った光景は、今もレンの脳裏に強烈に焼き付いている。
その痕は、いまだリビングの壁にくっきりと残っていた。
「ミクを泣かせたら、この壁と同等の穴をあけてやるって息巻いてたもんなぁ」
「あれは本気だったよね……」
遠い目をするカイトにどう考えても嘘になる否定も出来ず、レンは黙って頷いた。
ようやく身支度を終えて、ミクは廊下を歩いていた。
リンとレンは先程、用事があるからと出ていってしまった。気を使ってくれたのかもしれない。弟妹に悪いという気持ちもあるが、それ以上に不安が大きくてミクは溜息をついた。
二人っきりで、どんな顔をしてカイトに会ったらいいのかよくわからない。
あんな事があった後だ。カイトはどうしてこんな早朝からやってきたのだろう。あの時はあっけにとられたような顔をしていたけれど、後で怒ったのだろうか。もしも、別れたいなんて言われたらどうしたらいい?
段々と歩く速度が落ちていき、ダイニングの前で完全に止まる。
カイトの事がずっと好きで、両想いになってすごく嬉しくて。恋人になって多少変態だとわかっても嫌いになんてなれなかった。
愛してるなんて、言われた事はない。
余計な事は沢山言う癖に、ありきたりの恋人らしい言葉すら滅多にない。
どうして、あんな駄目男が好きなんだろうと考えることもある。
それでも、あの腕に抱きしめられるのが好きだ。傍にいるのが嬉しい。離れたくない、こんなことで失いたくなんてない。
リンには話をするよう諭され、ミクもそれはわかっている。言わないと、伝わらない。言っても伝わらないかもしれないけれど、言わなければ絶対に伝わらないのだ。
大丈夫、ちゃんと話せばカイトだってわかってくれる。自分に言い聞かせて、早い鼓動を宥める。
扉の前で一つ深呼吸をして、ミクは顔をあげた。
「カイト、はいるね」
扉を開いた瞬間、いきなり視界が白一色に染められた。
「ミク!」
耳元で聞こえる声と背中に回された体温で、自分が抱きしめられていると理解する。驚いて顔をあげると、形容しがたい表情をしたカイトがいた。不安そうにも痛そうにも見える、揺れる蒼。
ズルイ、と思う。
何にも肝心な言葉をくれないのに、こんな風に黙って抱きしめてくるのは反則だ。
何時もそうだ。喧嘩をした時も、気まずくなった時も、付き合う前にミクがカイトを意識しすぎて困らせた時も。
こんな風に抱きしめられたら、胸が苦しくて言葉が出ない。
「……ミク、ごめんね」
囁かれて、泣きそうになった。涙なんか見せたくなくて、ミクはカイトの胸に顔を寄せて抱きつく。
「何を怒ってたの? 教えてよ」
言いたい事は沢山あったけれど、言葉は喉でせき止められて出てこない。
だから、ミクは爪先だってカイトの唇に直接想いを伝えた。
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NANiCA ハヤブサ
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ご意見・ご感想
吉川ひびき
ご意見・ご感想
はじめまして、吉川と申します。
私もこの曲のカイミク版PV大好きです~! なので、楽しく読ませてもらいました。ミクの心理描写がすごく自然で読みやすく、自分の中にミクの思いがすとんと落ちてきました。なんだかんだいっても、結局二人はラブラブという事ですね! 良いことです!
2015/04/22 00:08:23
穂波
吉川様
はじめまして、コメントありがとうございます!カイミク版PVいいですよね!同じように好きな方に読んでもらえてうれしいです。
なんだかんだ言っても両想いですよね。多分、これからもケンカしながら(おもにミクが怒って)仲良くやっていくのだと思います。
2015/04/25 12:20:21