「明日は母の日ですから、おかあさんに母の日に毎日の感謝の気持ちを送りましょうね」
授業が終わったあとのホームルームの時間。担任の先生が連絡事項の最後にそう言った。
 その言葉に、児童たちが、はーい、と元気よく返事をする。周囲のクラスメイト達の元気な返事に、少し首をかしげながらも、はーい、とがちゃ坊も声を合わせた。
 それじゃあみなさんさようなら。という担任の先生の挨拶に、日直の子が、きりーつ、れい、さようなら。と号令をかける。さようなら、とまだ小さな子供たちの高い声がそろって響き渡った後、がやがやと放課後の喧騒が教室を包み込んだ。帰ったらイナセ屋に集合だからな、とか、アカネちゃん一緒に帰ろう、とか、習い事いやだなぁ、とか、なんだかよく分からない鼻歌だったり、とか。
 それに今日は、お母さんにあげるカーネーションお姉ちゃんと買いに行くんだ。母の日のおてがみを書かなくちゃ。などといった言葉があちらこちらで聞こえてくる。そんな解放された空気の中、それでははの日っていったいなんだろう?とがちゃ坊はやっぱり首を傾げながらランドセルを背負った。
「がちゃ君、さようなら。」
教室の後ろのドアの脇に立って皆に声をかけていた副担任の先生が、教室を出ようとしてたがちゃ坊にもそう言って微笑んだ。
 兄と同じ年頃のまだ若い副担任の先生の事が、がちゃ坊は好きだった。寄り道してはだめよ。とその優しい笑顔で言われて、はあい、と笑顔で返事をして教室から出かけたがちゃぼうだったが、そうだ、とその足を止めた。
 くるりと向きなおったがちゃ坊に、どうしたの?と先生はその長い髪をさらりと揺らしながら膝を折った。自分と同じ位置にやってきた先生の眼を見つめながら、がちゃ坊は先ほど耳にした知らない言葉を口にした。
「先生、あの。ははの日って何ですか?」
その言葉に副担任は、きょとんと眼を丸くして、それから腑に落ちたように小さくうなずいた。
「そっか、がちゃ君のおうちにはお母さんが居なかったわね。…ええと、毎日がちゃ君に美味しいご飯を作ってくれたり、気持ちよく寝られるようにお布団をふかふかに干してくれたり、宿題を教えてくれたりする人、だれかな?」
ゆっくりとした口調でそう問い掛けてきた先生の言葉に、がちゃ坊は即座に、兄ちゃんと姉ちゃんたち。と返事をした。
「兄ちゃんと姉ちゃんたちです」
「それじゃあ、お兄さんとお姉さんたちに、いつもありがとう。って感謝の気持ちを伝えましょうか。」
「きもちをつたえる…」
それもまたどうすれば伝わるものなのか分からない。再び首を傾げたがちゃ坊に、カーネーションが一般的ね。と先生は言った。
「感謝の気持ちを伝えるのに、カーネーションを贈るのが多いわね。あとは、お手紙とか、お歌とか。がちゃ君は歌を歌うのが上手だから、お兄さんとお姉さんたちに歌ってあげるのも良いかもしれないね。」
先生の丁寧な説明に、がちゃ坊は、にっこりと笑って頷いた。
「ありがとう、先生。お花とお手紙と歌だね。」
さようなら、と元気よく挨拶をして。がちゃ坊は言われたものの準備をしなくちゃ。と急いで家へと帰った。


 歌はこの間、姉たちが好きだと言っていた歌を歌おう。手紙は今日の夜こっそりと書こう。あとはお花の用意。兄ちゃんとグミ姉ちゃんとリリィ姉ちゃんの、三人分のカーネーション。おこずかいで足りるかな。
 いったん家に帰ってランドセルを置いて、お小遣いの入っているお財布をポケットに入れて、がちゃ坊は外へと飛び出した。そしてずんずんと駅の近くにある商店街へと向かう。商店街の中にお花屋さんがあったはず。そう思いながら。
 まだ夕方には早い時間帯だったが、商店街は買い物客でにぎわいを見せていた。大きな買い物袋を提げたおばさん達や、肉屋の前には買い食いをしている中学生なんかもちらほらといて、そういえば張り切り過ぎておやつを食べてこなかった、とがちゃ坊はコロッケの匂いにつられて鳴き出した腹の虫の声を聞きながら思った。
 商店街から少し先の路地にあるイナセ屋で、何かお菓子を買おうかな。とか考えて。いけない。とがちゃ坊はふるふると首を横に振った。
 まずはカーネーションを手に入れなくては。世の中の子供がみんな買うのだから、早く行かないと無くなってしまうかもしれない。イナセ屋に寄るのはそれから。更に言うと姉たちが帰ってくる前に買い物を済ませて、明日までカーネーションは隠しておかないといけないのだ。
 これは忙しい。とがちゃ坊は人の波に飲み込まれないように気をつけながら早足で花屋へ向かった。
 そして、辿りついた目当ての花屋の店先。目当てのカーネーションが並んでいる様子に、がちゃ坊は目を輝かせた。赤い花がバケツにたくさん用意されている。その光景に、よかったまだ沢山ある。とがちゃ坊が安堵のため息をついていると、店の奥から花屋の主人が姿を露わした。
「いらっしゃい、坊主も母の日のカーネーションを買いに来たのか?」
その言葉に、こくん。と頷くと、主人は少し考えるようにがちゃ坊の姿を眺めて、坊主、一人で来たのか?と訊いてきた。
「うん。」
再びこくりと頷くがちゃ坊に、しばし主人は考えるように中空に視線を向けて、それじゃあ、百円持ってるか?と再び訊いてきた。

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母の日のぼうけん・1

インタネ一家ですが、ちょっと、かなりイレギュラーな話です(笑)

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投稿日:2011/05/08 00:20:55

文字数:2,182文字

カテゴリ:小説

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