1月3日午後4時、雪の日。ミカンが置いてある自室のコタツで丸くなる私。ステレオから流れてくる音楽に耳を寄せれば、親戚が集まって騒々しかった元旦が懐かしい、なんて思う。人付き合いがちょっとだけ苦手な、ごく普通の高校2年生の私には気の重いイベントで、過ぎ去った喧騒にほっとしている。私だけを包む部屋の空気を揺らすのは、ビル・エヴァンス「コンセクレイション・酒と薔薇の日々」。有名なジャズピアニストのラストライブ、今は演奏の初めのピアノ独奏の部分だ。エヴァンスはこの世を去る直前まで演奏を続けた。凄い人は凄いんだな、なんて、見事な凡人セリフを頭に浮かべつつも何度も聴いてしまう。
「君と一緒にいても、世界が回らないんだ。」
2か月ほど前のカフェにて、彼はそう言った。夏の刺々しい日差しも丸くなり、目に映る世界が淡い紅色に染まる季節、彼は私に別れを告げた。湯気を上げるコーヒーに溶けていくスティックシュガーのように私の思考も溶けてしまい、赤みがかった黒と苦さに掻き消されてしまった。1年生のとき同じクラスだった彼。彼は時折、皆が左を向けば右を向いて、皆が上を向けば下を向く、ちょっと変わった人だった。同級生が流行のアイドル音楽を聴くときに彼はジャズを聴いた。同級生が大海原を旅する漫画を読むとき、彼はサン=テグジュベリの夜間飛行を読んだ。私は、そんな何を仕出かすか分からないミステリアスな彼の雰囲気に魅かれたのか、もっと彼を知りたいと思って近づいた。齢17の女子高生にして「酒と薔薇の日々」を聴いているのもこのためだ。友人たちは私に、君も変わってるよ、って言った。そうかなって思ったけど、今は納得だ。彼の話はとにかく新鮮で面白く、目を見ながら話を聞いていると彼も次第に自分のことを話してくれるようになった。おそらく、彼と話さなければ、これほど世界は広がらなかっただろうと思う。彼も、人が、彼自身の世界に染まっていくのを心地よく思っていたのだろう。
「知識が深まるほどに主観的世界が広がっていく。」
残暑が厳しい日、行きつけの喫茶店の最奥、日が入らない席で彼とそんな話もした。一端の高校生カップルがなんて話をしているんだなんて思うかもしれないけれど、その時に私は気づいていたし、おそらく彼も気づいていたのだろう。二人の世界はもう殆ど回ってないって。「世界は回る」っていう言葉はよく使われている。私は今はもう、この言葉をそのまま受け取ることはできない。なぜなら、誰にとっての何の世界、というのが定義されていない可能性があるからだ。人間の主観性を切り離した観測的世界、60億の人間が地球という惑星で生活をする世界が回るのか、私の様な個人の見ている世界が回るのか、そこをはっきりとさせてこの言葉が口にされなければ、その先の議論はできない。そして、世界を回すのは誰なのか、ということも。
ステレオから流れる酒と薔薇の日々は、中盤のマーク・ジョンソンのベースソロに差し掛かった。エヴァンスは、最良の演奏パートナーであったベース奏者スコット・ラファロの死を受け、ピアノから離れた時期があると彼は話してくれた。エヴァンスの世界はその時止まってしまったのか。私は想いを巡らせる。ベースソロも終わりピアノ・ベース・ドラムが激しく絡み合う終盤に入っていく。この瞬間、エヴァンスの世界は回っていたのだろうか。一旦は止まってしまったかもしれない、その世界は―――。
曲の終わりと同時にステレオの停止ボタンに手を伸ばす。ダッフルコートを羽織って首にマフラーを巻き、ブーツを履いて外へ出た。頬を冷たい空気が引っ掻いてくる。しかし、踏むと軋む雪の音は心地よく、紺色のコートには白い雪がよく映えた。マフラーに溜まる白い息が暖かくて、わざと口で空気を吐く。
「新年か」
口には出さず呟いて、携帯電話を取り出した。
「世界は回る」という言葉はよく使われる言葉だ。しかし、私はあえてこう言い換える。「世界は回す」と。彼との別れで私の世界、そして二人の世界は止まってしまったが、私はもう世界を回し始めた。酒にも薔薇にも溺れてはいないまだまだ軽い世界のはずで、ちょっと油を指せばすぐに回ってくれるだろう。彼の指先は今、何に触れているのだろうか。もし何にも触れていないようならば、手を取ってこう言いたい。「私たちの世界は私たちで回すの」って。
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