あの事件の直後……壮絶な非日常から帰ってきた僕らを待ち受けていたのは、何事もなかったかのように、そしてプログラムされたように普遍的な日常とそれに対する疑心暗鬼だった。
 僕はあの事件から生還した直後、口封じでもされるかのように、地下研究所への異動と急務を命じられ、心の支えであるミクと一ヶ月間会うことができなかったことが、それに拍車を掛けた。
 ニュースに目を向ければ事件に関してはほぼ公表されず、代わりに水面都沿岸に墜落した巨大な軍用機ストラトスフィアが、定期整備のため海上に着陸したというカバーストーリーが展開されていた。不思議なほど、それを疑う人物はおらず、たとえ僕が声を上げたところで信じる人間も居ないだろうと思っていた。そして事件に対する報道は、一週間でメディアから消えた。
 全てはクリプトンと、それが操る社会を管理するシステム、Piaシステムによる情報統制だった。何が起ころうとも、社会は決して秩序も理性も乱す事無く、普遍的に今日を終え、明日を迎える。必要なものだけが引き継がれ、余分なものは淘汰され跡形も残らない。社会問題も犯罪も消えた社会で、人々はクリプトンの庇護の下に安寧の暮らしを享受している。誰も疑いはしない。
 ミクが治療を終えて家に帰ってくると、とりあえずストレスからは解放された。仕事も一緒に行うことが許され、僕の精神は平生を取り戻しつつあった。
 しかし、周囲が操られている様に見え、安易に信じるという事が出来ないという僕の性格は元に戻らなかった。テレビのニュースだろうが、コンビニの店員だろうが、全てがシステムの下で操られているように見えた。むしろ、正常な大衆の中に一つだけ、僕らという異常な存在が存在しているという異様な孤独感すらあった。最愛の存在であり、同時にあの事件を共に体験した存在であるミクが唯一の救いだった。
 そう、ミク。君はかけがえのない存在。だからもう二度と、あんなことに巻き込みたくはない。
 僕も君も傷ついた。数少ない友人も喪った。だから、もうこれで最後にしたい。操られていてもいい。ただ、今度こそ平穏な人生を歩みたい。
 あの事件から、既に九ヶ月。そんなささやかで脆い願いが保たれていた矢先、昨夜の出来事は起こった。

 ◆◇◆◇◆◇

 街が騒がしい。いや、街が騒がしいのは当然だ。朝のクリプトンタワーの前では、いつもの様に何百という社員が入社と退社を繰り返している。何百人分の足音は地面を鳴らすほど騒がしく響き、前と後ろという二つの流れは、まるで不規則な濁流のよう。そんな中で、ただ一人、噴水の前で力なく立ち尽くしている私は、なんだか自分が不思議な存在になったよな感覚を覚えていた。
 ただ、今日の騒がしさはいつもの雑踏のせいではなかった。今日は、「いつもの」ではなかった。昨夜の事件のせいだ。
 流石にあんな事が起こってしまっては、どんなに情報統制されても、騒ぎはそう簡単には収まらない。今日の朝見たテレビでは、陸軍の兵器群がこの水面都の至る所に設置されるらしい。クリプトンにも軍にも、想像以上の焦りが見えた。あんなことが起こっては無理も無い。
 昨夜あの星の雨が降り注いだ後、私の前に舞い降りたパワードスーツの人も、かなり何かを急いでいるように思えた。そんな重大なことが起こったのなら、軍が全力で対応するはずなのに。それで十分なはずなのに。そんなに、私なんかが必要とされているんだろうか。
 どうして私を、私と博貴を放っておいてくれないんだ……。
 「やあ、雑音ミクさん。」
 いつの間にか、私の目の前に若い男の人が現れていた。久しぶりに見るその顔は、私に妙な安心感を与えてくれた。
 「敏弘さん……。」
 「よく来てくれた。博貴博士も、こちらの仲間と出会ってくれたようだ。さぁ、あなたにはすぐ、来て欲しいところがある。付いて来てくれ。」
 そう言って、敏弘さんは私に背を向けて歩き出した。
 「待ってください!」
 私が思い切って声を掛けると、敏弘さんはゆっくりと振り返り、柔らかな表情で言った。
 「……話は、車の中でしよう。雑音さん。答えられることは、少ないかもしれないが……。」
 私は黙ってうなずき、彼の後を追いかけた。人混みをかき分けながらクリプトンタワー前の広場を抜けると、道路沿いに停めてある黒い車に乗るよう促された。
 敏弘さんと私が座席につき、完全な密室が出来上がると、私は早速あの件について尋ねようとした。
 「敏弘さん、どうして私が、また軍に戻らないといけないんですか? 博貴は何処にいるんですか?」
 「……メールは、読んだよね。それに、『彼』からも伝えられた筈だ。」
 敏弘さんは私の質問に答えず、エンジンを掛け、急ぐように車を発進させた。
 「はい……でも、そこには今日クリプトンタワー前に、としか書いてありませんでした。昨日の夜のスーツの人だって……。」
 「雑音さん。目的地につけば、事の詳細を知る人物が事細かに説明してくれるから、心配しなくていい。私の役目は、ただ君を目的地までつれていくことだけだ。任務の内容が何なのか、何故上が君を求めたのか、興味がないわけではないが、私がこの件に介入することは許されていない。一つだけはっきりしていることは、君が空軍の任務に参加させられるということだけだ。」
 「……。」
 私はもはや何も話そうとせず、首をうなだれた。 
 「ところで……。」
 「はい?」
 「君は、あの事件の時、どうしていたんだい。」
 唐突なことを尋ねられて、私は一瞬言葉を失った。なんと言えばいいのか分からない。と言うより、出来れば他の人に、そう簡単に話したいことじゃない。
 「差し支えなかったら、聞かせてくれないかな。」
 私は強く口を噤むいでいた。あのことは、思い出すだけで震えが止まらなくなる。思い出すだけで、気がおかしくなりそうだ。あれは、とても悪い夢だった。
 「……あの時は、空軍が……空軍が私を使った。」
 「空軍?」
 「いや……むしろ、あの事件に自分から飛び込んだのは、元はといえば私の方です。」
 私は、独り言のように話し始めていた。抑えこんでるから辛いんだ。一人でも多くの人に話せば、少しは気分も楽になるだろうかと思ったから。
 私はうつむいたまま話を続けた。窓の外にちらと視線をずらすと、その先には、もう見知らぬ風景が流れていた。

 ◆◇◆◇◆◇

 私はただ博貴の無事を家で祈っているだけなんて出来なかった。どうしても、自分の力で博貴を救い出したいとおもったんだ。
 九ヶ月前のテロ事件。テロリストの目的は、テロリストの目的は、世界を操ることが出来ると言われるナノマシンネットワーク、『Piaシステム』による権利の剥奪を阻止すること。そのために彼らは未完成のシステムをクリプトンの地下研究所から奪い、一緒に、技術者である博貴を、遠く離れた場所の研究所まで誘拐した。
 誘拐された博貴を助け出すために、私は『ある人』の手引きを受け、空軍の設備を借りて、博貴が囚われている研究所に向かった。方法は、対地爆弾の偽装ポッドの中に私が入り、戦闘機から地上に向けて投下。空中でポッドが分解すると一緒に、戦闘スーツの硬化機能を利用してパラシュートもなしに地上に飛び降りるという無茶苦茶なやり方。
 何度か激しい戦闘があったけれども、現地で出会った仲間達の助けを借りて、どうにか博貴を助け出すことができた。でも、私の役目はそれで終わりじゃ無かった。空軍と関わりを持った『彼』は、設備を貸す代わりにある任務を果たすようにと私に命令を出してきた。
 『現地で合流した戦闘用アンドロイド達を支援し、彼らに異常が発生した際は安定用のナノマシンを注射すること。』
 それはとても簡単なことだった。私は古い友達でもあった、皆を支援した。
 本音を言えば、博貴を助け出したら、後は彼らに任せて一秒でも早く事件から逃げ出したいと思っていたけれど、それは許されなかった。私の体には、既にナノマシンが注入されていた。
 そして、安定用ナノマシンの注入は……本来は非常事態のための保険とされていたが、『彼』の言う『異常』は、まるで予め想定していたかのように起こった。Piaシステムの停止によって、それまで機械的に抑えられていた仲間達の様々な感情や感覚が、一気に押し寄せた。勿論、私は平気だった。
 私はその機に乗じて、何が入っているかも分からない注射器を、悶え苦しむ仲間達の首筋に打ち続けた。
 仲間達は私のことを疑っている様子はなかった。私の存在がさほど不思議じゃなかったのか、信用してくれたのか、それとも、ナノマシンが『疑う』ということを忘れさせたのか。どちらにしろ、私は皆を騙しているようで、胸が苦しかった。でも、その分、最後まで皆と付き合い、力の限り助けてあげようと決めていた。
 そして私は最後に、命を犠牲にしてまで仲間を護ろうとした。何故あそこまでしてしまったのか、私は今でも疑問に思う。私が死んだら、博貴だけでなく、多くの仲間を悲しませるのに。
 私は、この世界をテロリストから護ろうだなんて正義感は持っていないし、戦闘用アンドロイドとして軍の命令に従おうだなんて義務感も持っていない。この国の未来はどうだとか、クリプトンがどうだとかという考え方も持ってない。クリプトンとテロリスト、どちらが善か悪かも、もう訳が分らない。
 でも、私は動かされる。いつもいつも、望まない事ばかり強いられる。悲しみと痛みを背負わされる。手足が千切れ、生死の境を彷徨っても、また元の姿に戻されて駆り出される。もしかしたら、いつか本当に、粉々のバラバラになって、もう博貴の所に戻ることはできなるかも知れない。そうでなくても、これからクリプトンや軍と関わりを持ち続けていてたら、どんな任務を背負わされるかわからない。私が生きている限り、ずっと。
 出来ることならもう逃げ出したい。私はもう、この世界が恐い。私自身すら恐い。

 ◆◇◆◇◆◇
 
 ふうと息をついて窓の外を見ると、いつの間にか都心を離れて沿岸の方まで来ていた。眩しい太陽の光をキラキラと輝かせる海原を見ていると、少し、気分も落ち着いた気がした。車の行く先には、何かの基地らしき建物が見える。あそこにはもう、博貴が先について私を待っているのだろうか。
 「そうか……。」
 敏弘さんは、少し経ってからそう呟くように言った。
 「雑音さん、またボーカロイドの活動に戻れればいいんだがな……。君も、そのほうがずっと充実してるだろう。」
 「ええ。あの時、歌ってる時だけは、嫌なことも忘れますから。でも、あんまり人前に出るのも、実はちょっと、苦手で……。」
 「本当かい? それにしては、君の声は明るくて、元気があって、見ているとこっちまで気分がいい。全く以って、雑音ミクなんて似合わない名前だよ。君みたいな人間らしい歌声は、ファーストシリーズにでも真似できない。最高の歌姫だ。」
 「そ、そんなぁ……わ、私なんか……!」
 敏弘さんがあんまり大袈裟に褒めるので、私はつい言葉をつまらせた。頬もとても熱い。
 「……いや、君は、そうして笑顔でいるほうが、ずっといい。」
 「え?」 
 「今は、確かに辛いかもしれないが……。それでも、君だって幸せを掴む事は許されているはず。自由な時間を友好的に使って、苦しく辛いこと以上の幸せや楽しみを見つけたらいい。俺はそう思うよ。」 
 「敏弘さん……。」 
 敏弘さんの言葉は、大きな励みになったけど、同時に深く私の胸を突くようでもあった。
 今までの辛く苦しいことばかり思い出して、楽しかった出来事も、すっかり忘れてしまっていたんだ。私は……ただ、自分のことを哀れんでいただけじゃないか。博貴や仲間達という、私のことを支えてくれた仲間達もいる。だから、悲しみに沈んでばかりでもいられないんだ。
 「ありがとう……敏弘さん。今、敏弘さんの言葉からも、元気をもらえました。」
 「ハハッ。そりゃ結構なことだ。じゃあ、もっと元気にしてあげようか。」
 敏弘さんの手がカーステレオに伸び、幾つかのボタンを押すと、CDが再生され始め、車の中に懐かしいメロディーが広がっていった。
 「これって……『body』……! あっ?!」
 懐かしさと共に、驚愕の感情が沸き上がって、私は思わず大声をあげていた。
 「ど、どうしたんだい?! 雑音さん。」 
 「ネルは?! ネルは今どうしてる?! 敏弘さん!!」
 何故今まで、彼女の事を思い出さなかったのだろう……。
 ネルは、私がボーカロイド活動をしてていた時に知り合った、無二の親友だ。色々と厄介な事情で出会って、ネルも最初は周りに対して邪険だったけど、一緒に生活したり、歌の活動をしていく内に、心が打ち解けあうことができたんだ。この歌は、ネルとユニットを組んで歌った、思い出の歌だ。
 でもその矢先、例の事件のせいで、それから全く連絡がとれなくなってしまった。でも、ネルだけじゃなく、他にも仲間だったボーカロイドの皆とも、全く会っていない。やはり連絡が取れず、メールも繋がらなかった。
 「敏弘さん、確か、ネル達ボーカロイドの世話をしていましたから……ハクさんやアカイトさん、カイコさんも……。」
 「ネル以外の三人は、メンテナンスで一時クリプトンにいる。」
 突然敏弘さんの言葉が、私の言葉を遮って言った。その表情は突然冷たくなり、その言葉は、不気味なほど低く、据わっていた。
 「だがネルは……軍の実験に回された。それ以上は……分からない。」
 「そんな……。」
 その言葉に、私は呆然とするしかなかった。何故? どうして? 疑問ばかりが、私の頭の中を渦巻くばかりで、理解も納得もできなかった。
 私も敏弘さんも、それ以上の言葉が出なかった。そうして沈黙している内に、車は守衛に護られたゲートを抜け、基地の中に入って行った。そして、大小幾つものドームの前で、車は停車した。
 「さぁ、着いたよ。雑音さん。ほら、博貴さんも迎えに来てくれた。」
 私はその言葉を聞いた瞬間、俯いていた顔を上げ、建物の玄関の方に視線を向けた。そして、その瞬間車のドアを勢い良く開け放った。
 「博貴!」
 私は、玄関の前に立つ博貴の許に駆け寄った。博貴の顔を見たその時には、私の胸の中は安心感で満たされ、不安は消えていた。
 「おはよう、ミク。さぁ、悪いけど、早速この人から、話を聞いて欲しい。」
 「……。」 
 振り向くと、空軍の制服を着た一人の男性が、私に小さく頭を下げた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

THE END OF FATALITY第二話「過去の者」

久しぶりなので、ちょっと調子悪いです……文章安定しない。書きたいこと浮かばない。もっと推敲しないと……。

あと6000字って意外と少ないんですね。

閲覧数:541

投稿日:2012/04/27 22:10:58

文字数:5,999文字

カテゴリ:小説

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