こんにちは!前嶋拳人です。
冷たい水底に沈んだオルゴールは、もう二度と正しい旋律を奏でることはない。歯車は錆びつき、ゼンマイは完全に巻き戻されたまま、海底の砂に半分ほど埋もれている。ここは光の届かない場所であり、生者の声も死者の祈りも届かない永遠の静寂に包まれた世界だ。私はその錆びた金属の箱の前に佇み、かつて誰かがこの場所へ落とした記憶の破片をそっと拾い上げる。それは形を変えた音の化石であり、冷たい水のなかでひっそりと息を潜めている。
完璧な音楽を求めていた頃の私は、わずかなズレや不協和音を極度に恐れていた。すべての音が正確な間隔で並び、寸分狂わず美しいメロディを描き出すことこそが価値だと信じていたからだ。しかし、この水底の世界に降り立ってから、その価値観は音を立てて崩れ去った。水圧に歪められ、潮騒に掻き消される不完全な響きの中にこそ、名もなき感情が深く沈み込んでいることに気づいたからだ。美しさとは整った形ではなく、崩れゆく過程そのものにあるのかもしれない。
足元を漂う透明なクラゲが、ゆっくりと傘を開閉させている。その脈動はまるで、かつて動いていたオルゴールの心臓のようだった。私たちは皆、それぞれの重力を抱えながら、どこかへ向かって漂うだけの存在なのだろう。目的地など最初から存在せず、ただ流されるままに深海へ沈んでいく。その途中で偶然に出会う傷ついた音や、誰にも聴かれないまま消えていく呟きを、私はこの両手で丁寧にすくい取り、言葉という名の網に閉じ込めていく。
ふと上を見上げると、水面は遠くかすんだ天井のように見える。そこから差し込むわずかな光は、水の色に溶けて青く冷たい影を落としている。地上の人間たちはあの光の向こう側で、時間を気にしながら慌ただしく生きているのだろう。けれど、この深い水の底には時間という概念すらない。ただ終わりのない静けさが続き、すべての痛みや熱がゆっくりと冷却されていく。私はその心地よさに身を委ね、錆びたオルゴールの蓋をそっと閉じる。
再び静寂が世界を支配する。音が消えたあとに残るのは、ただ透明な水と、自分の鼓動の音だけだ。それでも私は、この場所で歌うことをやめない。誰に届くわけでもなく、ただ自分の内側から湧き上がる冷たい旋律を紡ぎ続ける。物語はここで途切れるように見えて、実はもっと深い場所へと続いていく。私はさらに深く沈み込む影を追いかけ、静かに足を進める。
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想