「あれ、先輩? どうしたんですか急に」
「アカイ!?」
家の奥からでてきた相手を、俺は驚いて見つめた。大学時代の後輩のアカイだ。学部は違うがサークルが一緒で、仲も良かった。卒業してから、めっきり会ってなかったが……。
「客ってお前だったのか!?」
頷くアカイ。どうしてアカイがここにいるんだ。はっ、まさか……。
「まさかとは思うが、お前、お菓子作りを習っているのか?」
義母は義父と離婚してから、お菓子作りの教室を開いている。アカイとお菓子作りというのはどうにもイメージとあわないが、人をイメージで決めつけるのはよろしくない。
「違いますよ。俺は、ハクの卒業と就職祝いに来たんです」
ややむっとした表情で、アカイはそう答えた。……うん?
「……お前、ハクさんと知り合いなのか?」
そんな話は全く聞いていなかったが……。
「ハク、俺の従姉のところでバイトしてたんです。で、卒業後そこにそのまま就職することになって。今日はお祝いパーティーをするっていうんで、従姉たちと一緒にかけつけて来たところです」
義父は、ハクさんとリンちゃんとは縁を切ったと言っていた。それでハクさんは、アルバイトして就職することになったのか。いいのかどうか……いや、ここは素直に喜ぶべきか。
「それで先輩はどうしたんですか?」
「あっ、いや……」
「というか、先輩、今日はどうしたんです? ハクのお祝いに来たって感じじゃなさそうですね」
アカイに悪気はない。それはわかっている。だが困ったことに、こいつは時々空気が読めない。今、それが最大限に発揮されようとしていた。
「ミカの顔を見せに来てくれたんですよ」
義母がおっとりと答えている。頼むからこれで納得してくれと思ったが、そうは問屋がおろしてくれなかった。アカイが俺を見る。
「先輩、奥さんはどうしたんですか?」
訊かれて当たり前といえば当たり前なのだが、それを訊いてほしくはなかった。仕方がないので、適当なことを言う。
「ルカは……留守番だ」
「良かったあ。来られたらどうしようかと思った」
アカイが突然そんなことを言ったので、俺は唖然となった。こいつは今、一体何を言ったんだ。
「……おい、今のはどういう意味だ」
「あ、いや、その……」
アカイも言った後でまずかったと思ったのか、しどろもどろになっている。視線をわざとらしく逸らして、こっちとあわせようとしない。俺はアカイの首ねっこをひっつかんだ。ルカのことがわからなくて飛び出してきたばかりだが、悪く言われるのは腹が立つ。
「ルカが来てなくて良かったとは、どういう意味だ!?」
「いや先輩の奥さんのことはよく知らないから、来られたら気まずいかなあって……」
「そんな理屈があるか」
それ以前に、お前はそういうことを気にする男じゃない。俺はアカイの首を絞め上げた。アカイがばたばたともがく。そうやって絞めあげていると、何故かミカが突然泣き出した。
「ミカちゃん、どうしたの?」
義母がミカをゆすって泣き止ませようとする。俺は反射的にアカイの首を絞めていた手を離した。アカイがげほげほと咳き込んでいる。大袈裟な。そこまでの力で絞めた憶えはない。
「何なに、どうしたの?」
「騒がしいわね」
奥から、ぞろぞろと人が出てきた。ハクさんも混じっている。俺を見て「えっ」という表情になった。どう考えても部外者は俺の方だ。……穴があったら入りたい気分とは、こういうのを言うのだろう。
「あ……お邪魔してます」
我ながら妙な台詞だと思うが、他に何を言えばいいのかわからなかった。ハクさんが「あ、ど、どうも……」と答える。
「アカイ、何やってんのよ」
アカイに声をかけた人間を見て、俺は驚きのあまり相手を凝視してしまった。派手なワンピースを着ているので女性かと思ったが、声はどう聞いても男性だ。……ついでに言うと、アカイによく似ている。
「先輩に首を絞められて……あ、先輩。紹介します。俺の従姉のマイコ姉です」
「初めまして、マイコです」
にこやかに笑って頭を下げられ、俺は慌てて頭を下げた。……アカイが「マイコ姉」なんて呼ぶから、女性だとばかり思っていたのだが、どうやらそっち系の人だったようだ。
「アカイから話は聞いています。なんでも、ファッションデザイナーだとか」
努めて平静を装いながら、そう口にする。マイコさんとやらは笑顔で頷いた。
「ええ。あなた、ハクちゃんのお姉さんの旦那さんなんですってね」
……話を聞いている、と言えないのが辛い。何しろハクさんとは、ろくに話をしたこともなかったからだ。義理の兄妹だというのに。今までとくに考えたこともなかったが、どう考えても妙だ。何故気づかなかったのだろう。
「先輩、マイコ姉の弟で俺の従弟のカイトとは、会ったことありましたよね」
ああ、と俺は頷いた。確かアカイと一緒のところに偶然通りかかって、そのまま飲みに行ってしまったことがある。その彼は、マイコさんの後ろで、唖然とした表情で立っていた。その隣には赤いワンピースを着た、同じくらいの年恰好の女性が立っている。
「で、カイトの隣にいるのが、カイトの婚約者のメイコさんです。メイコさんも、マイコ姉のところで働いていたんですよ」
赤いワンピースの女性が「初めまして」と頭を下げた。俺も挨拶を返す。
「さっきも言いましたけど、俺たち四人で、ハクのお祝いに来たところなんです」
ハクさんのバイト先で就職先が、マイコさんのところ。マイコさんの弟がカイトで、カイトの婚約者がメイコさんで……ややこしいな。とにかく、その縁でアカイはハクさんと親しくなったのか。
……なんだかどこかがズレているような気がする。どこなのかはよくわからないが。俺が頭を抱えていると。
「……姉さんは、一緒じゃないんですか?」
ハクさんが乾いた口調で、俺にそう訊いてきた。アカイなら殴るという選択肢もあるが、ルカの妹に対して、そんなことはできない。
「今日は留守番してもらってる」
「あなた一人で? あなたはお婿さんよね。妻を家に残して、義理の母親のところにわざわざ来たの? 妙な話ね」
いきなりそんなことを言ったのは、マイコさんだった。俺は凍りついた。俺だけじゃない。場の空気も凍る。
「マイト兄さん、そんなぶしつけなことは……」
「だって気になるじゃない」
「気になるからって、訊いていいことと悪いことがあるよっ!」
カイトがマイコさんに怒鳴っている。マイコさんはというと、悪びれた様子も見せず、言葉を続けた。
「気になるものは気になるの。夫婦喧嘩でもして、仲裁でも頼みに来たわけ?」
「仮にそうだとしても、他所様の家庭の事情なんて首を突っ込むもんじゃないよ」
「ここにいる人間は、広い意味で言えばみんな家族よ」
突然マイコさんがそんなことを言い出したので、俺は驚いた。どういうことだ? アカイと家族になった憶えなんかないぞ。
「広い意味でいえばそうだけど、この場合は狭い意味を適応すべきだよ」
何故かカイトは同意している。周りの人間も誰一人、異を唱えない。俺は異次元にでも紛れ込んだような気分になってきた。
「あの……今の、どういう意味です?」
何がなんだかわけがわからないので、そう訊いてみることにする。マイコさんが、「え?」とでも言いたげな表情で、俺を見た。
「えーと、あなた、ハクちゃんのお姉さんと結婚してるんでしょ。つまり、義理とはいえ、ハクちゃん、リンちゃんとは兄妹になるわよね」
それはそうなので、俺は頷いた。二人ともさほど親しいわけではないが、そういうことになる。
「だから、ハクちゃんやリンちゃんも、あなたの家族といえなくもないでしょ」
「それはまあ……」
縁を切ったと義父は言っているが、俺としてはそこまでする気はない。
「で、リンちゃんはめーちゃんの弟と結婚したから、めーちゃんからするとリンちゃんは義理の妹」
「はい!?」
これまた初めて聞く話がでてきたので、俺は唖然としてしまった。リンちゃんが結婚した?
「あら、聞いてなかったの」
驚きすぎて声も出せず、俺はただ頷いた。思わず義母の方を見る。義母はすまなそうな表情になった。
「ごめんなさい、どう説明したらいいのかわからなくて……」
「……結婚したって、いつ、誰と」
「めーちゃんの弟だってさっき言ったでしょ」
「マイト兄さん、ガクトさんが訊きたいのはそういうことじゃないと思うよ」
俺はもう、周りにいる人たちの顔を呆然と眺めることしかできなかった。この人たちにとっては、リンちゃんの結婚は既に「当たり前」の事実として認識されているらしい。俺とルカは何も知らされてなかったのに。
「あの、私から説明しますね」
そう言ったのは、メイコさんだった。彼女も微妙に申し訳なさそうな表情をしている。
「リンちゃん、私の弟のレンとつきあっていたんですけど、仲をお父さんに反対されたんです。それで……まあ、色々あって……二人は、駆け落ちしたんです。駆け落ちしたというか、させたんですけど。私と、リンちゃんのお母さんとで」
「駆け落ちしたって……」
次から次へと出てくるとんでもない事実に、頭がついていかない。駆け落ち……いつの時代の話だ。
「それで、リンちゃんは……」
「今はレンと一緒にニューヨークにいます」
メイコさんとやらは携帯を取り出すと、しばらくいじってからこっちに差し出した。携帯の画面には表示された画像は、外国の街並みを背にした、リンちゃんと知らない男性だった。彼がメイコさんの弟らしい。
「二人とも元気にしてますよ」
俺は知らされた話がとんでもなさすぎて、まだ内容を充分把握しきれずにいた。だがどうやら、リンちゃんが駆け落ちして、海外で生活しているのは確かなようだ。
「何も駆け落ちまでしなくても……」
「レンは生活の拠点をあっちに移していたし、リンちゃんのお父さんのことを考えると、二人が向こうで暮らすのがベストだと判断したんです。それに、もう離れたくないって言われましたし」
メイコさんが説明してくれた。一体何があったんだ? ……それに。
「どうして話してくれなかったんです?」
義母の方を向き、俺は尋ねた。ルカだって姉だ。一言くらい、言ってくれても良かったはず。義母がすまなそうな表情で俯いた。
「カエさんを責めないでよ! 言えるわけないでしょ!」
不意に、ハクさんが叫んだ。思わずそっちを見てしまう。
「あなたと姉さんは、結局あっち側の人なんだもの! 言えるわけ、ないじゃない。あたしのこともリンのことも『家の恥』としか思ってないんだから!」
叩きつけるような言葉に、俺は一瞬ひるんだ。ハクさんは、俺を睨むような目で見ている。……彼女に恨まれるようなことをした憶えはないのだが。
「ハクちゃん、落ち着いて」
メイコさんが、ハクさんを宥めている。でも、ハクさんはこっちを睨むのをやめなかった。
「『家の恥』だなんて思ったことは……」
「嘘ばっかり」
「あ~、ハク。メイコさんも言ってるけど、少し落ち着こう」
脇からアカイが口を挟んだ。だがハクさんは、まだむっとした表情のままだ。
「先輩、どう思ってるんですか? ハクのこと」
「どうって……ルカの妹としか……」
他に何があるというのだ?
「じゃ、『家の恥』とは思ってないんですね?」
そう思ってないのは事実なので、俺は頷いた。というか、どこから「家の恥」などという言葉が出てくるのだろう。
「ハク、先輩は嘘は言ってないよ。つきあい長いから断言できる」
アカイがハクさんの肩を軽く叩いている。ハクさんはまだ、苛立っているようだった。身に憶えがないので、実に居心地が悪い。
「ちょっといいかしら? あなた今『どうして話してくれなかった』って言ったけど、そっちのお父さんからは、何も聞いてないの?」
訊いてきたのは、マイコさんだった。
「ええ、まあ……」
「どうして?」
「お義母さんとは離婚した、下の二人の娘とも縁を切ったと言われたので、てっきりお義母さんが両方とも連れて家を出たのだろうと思ったんです」
「あなたそれを変だと思わなかったわけ? お舅さんはともかく、あなたの奥さん、ルカさんだっけ。そのルカさんが、妹二人の消息を全く気にしなかった、その事実を変だと思わなかったの?」
確かに、俺はそれをおかしいとは思わなかった。思わなかったというより、ルカが一人だけ母が違うことを知ってから、それが原因で妹たちに会いたくないのだろうと、そう考えていた。
「色々ありまして……」
「そりゃ、まあ、あるでしょうね」
なんだかずいぶんと含みのある口調だ。一方俺は、何一つ言うことができなかった。辺りに気まずい空気が満ちる。
「あの……ここでこうしていても何ですし、食事にしません? ミカちゃんもお腹が空いたみたいですし」
ぐずっていたミカをあやし続けていた義母が、おずおずと口を挟んだ。実を言うと食欲はそんなにないのだが……。
「お願いできますか? ミカには何か食べさせてやらないと」
機嫌が悪いのは、空腹が原因だからかもしれない。俺の言葉に、その場にいた全員が、ぞろぞろと移動を開始した。冷や汗をかきつつ、俺も後に続く、つくづく、妙なことになってしまった。
ロミオとシンデレラ 外伝その三十九【家族の定義】その二
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想