六浦柳〈むつうら りゅう〉。それが私……いや、僕の本当の名前だった。元々僕は、男として生まれた。この時から、きっと歯車は狂っていたんだ。
 僕は小さい頃の記憶がほとんどない。その当時、多数いた断片的記憶喪失者の一人だ。思い出せる中で一番古い記憶は僕と進君が初めて約束をしたときの記憶。
 小学校低学年の頃、僕は周りの人に、可愛いね、綺麗だね、って言われてた。けれど、それは大人が子供を褒めるための言葉、社交辞令的なものだと思っていた。
「うちのクラスの女子より女っぽい顔してんじゃん。明日からスカート履いて来いよ柳ちゃん」
 だから、クラスの男子に言われた時にショックだった。それも、一度じゃなく何度もあった。それが、嫌で嫌で仕方がなかった僕を助けてくれたのは幼馴染の進君だった。
「おい、柳! 早く遊びに行くぞ!」
 右手で僕の腕を、左手で僕のランドセルを掴むと、放課後の教室から飛び出した。彼に腕を掴まれていたせいで、僕は半分引きずられるように後に続いた。
(遊ぶ約束なんてしてないんだけど⁉)
 意味も分からないまま彼に引っ張られ、走り続ける。途中、廊下を走る僕らを怒る先生や、下駄箱をスルーして辿り着いたのは家の近くの小さい空地だった。そこで、ようやく彼は止まった。
 学校からは、そう遠くはない場所だけど全力疾走でここまで来た僕らはお互いに息が上がっていた。それが落ち着いた頃に真剣な顔で進君が僕を見た。
「俺がずっと一緒にいてやるから、何言われても気にすんな!」
 そう言って笑った彼を見て、初めてこの行動の意味を理解した。彼は僕をあの教室から連れ出してくれたんだ。
「ありがと……」
「別にお礼なんていらない。そのかわり……」
 彼は小指だけを立てて目の前に手を出してきた。
「ずっと一緒に居るって約束だ」
「うん! ずっと一緒に居ようね」
 進君の小指に僕のそれを絡める。これが、最初にした約束だった。
 この時は、ただ純粋に進君が一緒に居てくれればいい、そう思っていた。それが、変わったのは中学二年になってからだった。


 声変わりが終わり、低くなった彼の声に呼ばれるとドキドキするようになった。それだけじゃない。彼と話をしている時や、笑ったときも、だ。
 きっと、幼馴染が急に成長して慣れていないだけだ。と思っていた。が、すぐに違うんだと気が付いた。
「柳、今日って委員会だったよな?」
 ある日の放課後、進君が聞いてきた。
「うん、そうだけど?」
 肯定の返事を返すと、だよな。とだけ言って後ろを振り返った。
「悪い、俺やっぱやめるわ」
 そう言った彼の視線の先には何人かの生徒の集団があった。
(やめるって何を?)
 そう聞こうと思ったが答えはすぐにわかった。
「いや、八木沢はいないとダメだって。お前が来ないカラオケは人、集まんねぇんだぞ!」
「えー、八木沢君来ないなら行くのやめようかなぁ」
 どうやら、カラオケに行くらしい。そして、周りの女子の反応から見て、彼女たちは進君が目的らしい。そんな女子を目当てにしているのが周りの男子のようだ。
(要するに進君は女子を誘う口実か……)
 そのことはあまりいいとは思えないが、よくよく聞いてるとかなりの人数が集まっているらしい。中には、先に店に行ってしまった集団もあるようだ。このまま、進君が行かないと後日、彼は確実に責められるだろう。主に女子目的の男子に……。
(はぁ、仕方ない)
 小さくため息を吐いて、進君の肩に手を乗せた。
「ん?」
「今日くらい行ってあげな。先に行っちゃった人たちもいるみたいだし」
 ね? と言って促すと、何やら不満そうな表情を浮かべる進君。そんな進君に強引に荷物を手に持たせて背中を押す。
「お、おい柳⁉」
「進君、前回の事忘れてないよね? 面倒だからって行かなくて次の日、苦情を言いに来た人たちが進君いないからって僕が進君への苦情の受付みたいになっちゃったんだからね!」
「悪かったって、はぁ……仕方ない、行くよ」
「ホントか⁉ 八木沢!」
 進君の、行く、という発言に男子も女子も目が輝いている。その光景に若干引いた。
「じゃ、八木沢君の気が変わらないうちに早く行こうよ!」
「ほら、八木沢君行こう」
 何人かの女子が進君の腕を引っ張って連れていく。その周りにもさらに女子が集まってきて、みんな、さり気なくというよりは結構大胆に進君にくっついている。
 進君は進君で、困ったようにしているが、絶対に邪険にしない。だから、彼は女子から人気があるし、王子様なんて陰では呼ばれている。
 その光景をずっと見ているとなんだか胸の奥が痛くなった。
「あれ、よかったんです?」
 ニコニコしながら近づいてきたのは椿ちゃんだ。この頃から彼女とは一緒だった。
「ほっとくと、明日、僕が困るからね」
「あら、気づいてないんですね」
「何に?」
 聞き返しても椿ちゃんは意味深な笑みだけで答えを返してくれなかった。そして、委員会の時間を指摘されて追及する暇もなく僕は教室を後にした。


 その日、家に帰ると誰もいなかった。リビングにかけてある家族の予定が書かれたホワイトボードには両親ともに旅行と書かれていた。
 そこで、ようやく思い出した。進君の家とうちの家の親同士が仲良く旅行に行ってしまったために夕飯は進君と一緒に食べることになっていたんだ。
(すっかり忘れてた……進君、夕飯どうするんだろ)
 買い物もしてこなかったので冷蔵庫の中の食材を確認していると家のチャイムが鳴った。
「はい……って、進君⁉」
 特に確認もせずに玄関を開けると目の前には進君が立っていた。
「出る前に確認位しろって」
 進君は大きなため息を一つ吐いた。
「え、カラオケは?」
「今日、夕飯一緒に食べるんだろ? だから、切り上げてきた」
 当たり前だろ。みたいな顔して言われたことがなんだか嬉しいと思った。同時に忘れてたことが申し訳なくなった。
「あー……それなんだけど、さっきまで忘れてたから何にも材料買って来てないんだけど」
 視線を逸らすと進君はまた、ため息を吐いた。
「やっぱり、カラオケ行けって言われた時からまさかとは思ってたけど」
「と、とりあえず、うち入って」
 さっき、冷蔵庫を見た限りでは何かしらは作れそうだったから相談すればいい。
「ああ、お邪魔します」
 そう言って進君が横を通った時に甘ったるい匂いがした。その正体にすぐにピンときた。匂いの正体は香水だ。母さんがいつもつけてるモノと同じ匂いだった。
(ああ、そうか……)
 さっきまで一緒に居た女子の何人かが、つけていたんだろう。学校を出るときにあれだけくっついていたら匂いは簡単に移るだろう。
 何故か、それを嫌だと思ってしまった。それに、進君にくっつく女子の光景を思い出すと胸の奥がすごく痛かった。
「柳?」
 不意に呼ばれた名前に心臓の音が大きくなる。なんでそうなるのか自分で自分がわからなかった。
「大丈夫か?」
 顔を覗き込まれて至近距離で目が合う。それが恥ずかしくて咄嗟に目を逸らした。
(これじゃ、まるで恋する女の子じゃないか)
 そう思って、すぐに気が付いた。
「大丈夫だよ」
 それでも、僕も進君も男同士だ。だから、隠すことにした。
 この日、僕は彼が好きだという事に気が付いた。
 そして、僕の片思いは次の年に、終わりを迎えた。
 

 三年になってからも、進君や椿ちゃんとは同じクラスだった。彼が好きだと気づいてからは彼の事で一喜一憂はあったが、特にこれと言って何もなかった。
 受験も終わり、残すは卒業式だけになった。といっても、僕も進君も椿ちゃんも星華高校に進学するためここで別れるわけではない。
 卒業式の前日、椿ちゃんに思わぬことを言われた。
「八木沢君に告白なさらないんです?」
「えっ⁉」
 僕はこの片思いを誰にも言わず自分の中だけで消化しようとしていた。だから、椿ちゃんが知っていることに驚いた。
「見ていればわかりますよ。で、どうするんです?」
 ニコニコと笑いながら彼女は聞いてくる。
「どうって、言わないよ」
(言えるわけがない)
 僕らは男同士だ。普通に考えて彼が受け入れるはずがない。
「そうですか……八木沢君はするようですよ告白」
「えぇ⁉」
 進君に好きな人がいたことすら初耳だった。心に大きな穴が開いた気分になる。
「きっと、進君なら上手くいくね」
「ええ、そうですね」
 そう、きっと進君なら上手くいく。彼を好きだという生徒は学校全体を見ても多いし、何より優しいしカッコイイ。
 未だにニコニコしている椿ちゃんがどういう意図でそれを言ったのかは分からない。僕を諦めさせようとしているのか、それともほかに何かあるのか……
「それでは、頑張ってくださいね?」
 それだけ言って、椿ちゃんは去って行った。


 椿ちゃんが言いたかったことが何なのか、進君の好きな人は誰なのか、考えてるうちに卒業式は終わっていた。
 今、教室にいるのは僕一人だけだ。担任の挨拶が終わってすぐに進君は教室を後にした。きっと、告白しに行ったんだろう。
 それなのに、僕は何故か彼を待っている。一人ぼっちになったこの教室の自分の席で。
(やっぱり帰ろう)
 きっと、彼は上手くいく。そしたら、僕はいない方がいい。そう思って、立ち上がった時に窓の外に満開の桜が見えた。裏庭に一本だけ植えてあるソメイヨシノ。
 それに魅かれたかのように僕は裏庭に来ていた。
 風が吹くたびに舞う花弁が儚いけれど、とても綺麗だった。
「ここに居たのか」
 何度も聞いた声。振り向かなくても分かってしまう。ゆっくり、振り返ると予想通り進君が立っていた。
「用事は終わったの?」
 そう尋ねると、彼は少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しい笑顔になって一つ頷いた。
「柳に話したいことがあるんだ」
 風で舞う桜の中そう言った彼はどこかに消えてしまいそうな雰囲気をしていた。だからかもしれない。思わず口にしてしまった。
「ずっと、ずっと進君が好きだった! だから、ずっと一緒に居て欲しい!」
 一瞬何を言ったのか分からなかった。静寂の中、口を開けたまま固まってる進君を見て自分が何を言ったのか思い出した。
 一気に頬が熱くなるのが分かる。それを見られたくなくて後ろを向いて走り出した。つもりだった。
「柳!」
「うわぁ⁉」
 勢いよく腕を引っ張られ、後ろに倒れる。瞬間的に目を閉じたが想像していた痛みは全くなかった。恐る恐る目を開けると視点もさっきのままで倒れてさえいなかった。ただ、背中に暖かいものを感じていた。
「ったく、言い逃げするなよな」
 突然、耳元で声がして身体がビクッと反応する。慌てて後ろを振り向くと背中に感じていた暖かいものはなくなったが、至近距離に進君が立っていた。どうやら背中に感じたモノは進君だったようだ。
「柳、逃げないで聞いてくれ。俺は……」
 何を言われるか分からなくて怖かった。再度、逃げようとしたが腕を掴まれたままで身動きが取れなかった。
「俺は柳が好きだ」
 何を言われたのか一瞬分からなかった。頬を赤く染めた進君と目が合い、言われた言葉をもう一度頭の中で繰り返す。
「え、嘘だ!」
 意味を理解すると同時に口に出していた。
 すると、勢いよく腕をひかれそのまま抱きしめられた。
「嘘じゃない。これからもずっと一緒にいる。だから……」
 そう言って、少し離れ、目の前に小指を立てられる。僕は何も言わずに小指を絡めた。これが、彼と二度目の約束をした瞬間であり、僕の片思いが終わった瞬間だった。


 星華高校に入学してからも、僕ら三人は同じクラスだった。そして、二か月が経った梅雨のある日。
「あ、雨……」
 窓の外を見ると激しく雨が降っていた。所謂、ゲリラ豪雨。天気予報で雨が降るとは言われなかったので傘は持ってこなかった。
「どうしよう」
「何が?」
 雨を眺めながら呟いていると、進君がやってきた。
「傘、持ってないんだよ」
 苦笑しながらそう言うと、進君は何やら考え始めた。そして、自分だけ納得して、帰ろうか。なんて言い出した。
「いや、だから傘無いんだって」
「俺、置き傘あるし」
 そう言って、持っていた傘を軽く持ち上げた。これは、傘を持っているという自慢なんだろうか。そう思い、じっと見てると進君は突然笑い出した。
「ちょ、進君!」
「いや、ゴメンて。まさか、伝わらないとは思わなかったから」
 そう言って、彼は尚も笑い続ける。
 ようやく、落ち着いたと思ったらまた、帰ろうか。と言った。しかし、今度はちゃんと続きがあった。
「俺の傘で一緒に」
 優しい笑顔と一緒に出てきた言葉に僕は頬を染めるしかなかった。
 普通サイズの大きさの傘は男二人で入るには小さかった。お互いに肩が濡れたけど、気にはならなかった。
 ただ、僕たちは気にするべきだったんだ。周りの視線というものを。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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零の鎖 ~星の華編~ 5

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星の華編 2章

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投稿日:2015/12/04 19:04:56

文字数:5,332文字

カテゴリ:小説

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