第四章 ガクポの反乱 パート4
およそ、五年ぶり、になるのかしら。
ルワールから東方へと向かい、旧緑の国の領域に突入して数日後、パール湖街道の終点へと近付いたリンは、感慨深そうに周囲の景色を見渡した。整備する人間もいないのだろう。あの時訪れた時よりも天然の気配が強くなった、鬱蒼とした森に囲まれた街道を騎乗しながら、リンはかつてガクポと会話した言葉を思い起こしていた。木々の合間から毀れる光に、かつての記憶を混じり合わせるように。あの時、ガクポは人を探している、と言っていた。確か、傭兵仲間の娘を。その娘の名前が、アク。そのアクは今や皇妃としてミルドガルド帝国にカイト皇帝と共に君臨し、実際に一度リンたちと相対している。そのときはウェッジたちの活躍と、リンの拳銃によって打破してはいるが、今後帝国との本格的な戦争となった場合、必ず最大の敵としてリン達の前に立ち塞がるはずだった。その絶対的な戦闘力を誇るアクに対して、恐らく唯一一対一で互角以上に戦える戦士。それがガクポであった。
軽く、水の香りがした。パール湖が近付いているのだろう。
「そろそろですわ。」
そのタイミングで、リリィがリンとセリスに向かってそう言った。その言葉に、リンは小さく了解の意を伝える。それから数分後、突然開けた視界の先には、かつてリンが宿泊した別荘群が広がっていた。だが、保守を行う人間のいない建築物は予想以上の速度で老朽化してゆく。あの時古さを醸し出しながらも、清潔に整えられていた別荘は見事に荒れ果てていた。木造の柱はペンキが禿げ、至る所にささくれが見える。煉瓦造りの建築物も同様で、基盤こそ変化は見えないが、風雨に晒された後を無残にも衆目の視線に晒している、という状況であった。
「ガクポ殿は、ここからもう暫く奥に、屋敷を構えていらっしゃいますわ。」
かつて遊覧会が開催されたパール湖別荘群の明らかな変化に少なからず衝撃を受けたリンをよそに、リリィが事務的な口調でそう言った。そのまま、馬を止めることなく前進を続ける。どうやら湖畔へと向かっているらしい、と考え、リンは思わずその視線をあらぬ方向へと逸らした。
「お姉さま?」
不安そうな声で、セリスがそう訊ねる。自分でも無理と分かる笑顔を作りながら、リンは弱々しい笑顔を見せると、意識した張りのある声で、短く答えた。
「大丈夫よ。」
口ではそう強がるけれど、実際は丈夫とは程遠い精神状態であることを、リンは十分過ぎるほどに自覚していた。別荘群から湖畔へと向かう道は一つしかない。この道はだから、あの時アルコールにやられたレンと二人で、暗闇の中で歩いた道であった。
「こちらですわ。」
湖畔へと到達すると、リリィは馬の向きを変えながらそう言った。さくさくと砂の音が響く。リンの背後から続くセリスはパール湖の景観に飲まれたのか、遠慮なく感嘆の声を上げた。そう言えば、セリスはあの時の私と同じくらいの年頃か、と軽く背後を振り返ったリンはそう考えた。私も、同じような反応を示した気がする。甘く優しい水の香り。湖を一周囲む森から吹き込む、静かで涼しげな風と野鳥の音色。たおやかに、そして静寂を遮らない程度に響く波の音。何より、深く深く、果てまでも見通せるほどに透き通った水の色。
だけど、私の記憶には。
記憶に残るのは、全ての人間を飲み込むような深い闇色をした水面と、そして嵐のように強い、強い風。その風に乗って響いた、カイト王の愛の言葉。それも、ミクに対して。
できることなら、記憶の底に蓋をして、厳重に鍵をかけて二度と開かないようにしてしまいたい程度に、嫌悪しか呼び起こさない記憶であった。あの日以来、私は狂った。全ての者が憎き敵に見えた。緑の国も、自らに異を唱える家臣らも、守るべき民も、何もかも、全て。
そして、私もその全てを失った。はずなのに。
こうして、革命軍の首領として持ち上げられている自分自身は、もしかしたら酷く滑稽な道化師に過ぎないのかも知れない。あのまま、全てを失って絶望の中に余生を過ごすはずだった私の姿は、既に何処を探しても見当たらない。
「不思議だな。」
思考を表に出すように、リンは一人、そう呟いた。
「不思議?」
即座に、セリスがそう訊ねる。
「ええ。私は罪人だったはず、なのにね。」
その口調には、ほんの少しだけ自嘲の色が見て取れる。意味を理解できない、という様子で首を傾げたセリスに向かって、リンは更に言葉を続けた。
「どうして、皆私についてきてくれるのかしら?」
「お姉さまの人徳ですわ。私も、お姉さまが大好きですもの。」
無邪気に、セリスがそう言った。素直なその言葉に、リンは思わずその頬を緩めさせる。自分にとっては既に愛らしい妹のような存在であるセリスにそう言われる事は、決して悪い気分がするものではない。
昔は昔。今は今、かな。
セリスの言葉でふっと肩の力が抜けたような気分を感じて、リンは楽しげな笑顔を見せながらそう考えた。
ガクポの屋敷へは、それから数分後には到達していた。湖畔から少し森へと戻った場所に、それは存在していた。どう見ても素人作りには見えない、二層立ての立派な邸宅であった。とはいえ、流石傭兵というべきか、周囲にはさりげなく頑丈な囲いがなされており、少人数の戦いであれば篭城を可能とする設備が整えられている。
門の前には屈強な、気品は感じられないが腕力の強さを感じる男が二人、門番を務めていた。その二人に向かって、リリィが何事かを話しかける。既に手はずを整えていたのだろう。来訪を告げただけで門番の一人が駆け足で屋敷へと戻っていった。それから数分後、リンを先頭として三名が屋敷へと通される。そのまま二階へと上がり、ガクポの私室であるという部屋の扉を抜けたとき、部屋の主が驚愕という様子そのままで立ち上がった。
「レン・・?いや・・?」
明らかな動揺を見せたガクポに向かって、リンはつい、と口元を持ち上げる。そのまま、こう答えた。
「いいえ。リンよ。久しぶりね、ガクポ。」
「リン様・・!まさか、本当に・・!」
その後は言葉になっていなかった。ガクポらしくなく、半ばよろけるようにリンの元へと駆け寄ると、まじまじとリンの姿を見つめた。そして、感極まった様子で、こう答える。
「まさか、まさか、本当に、リン様・・。生きて、生きていらっしゃったとは・・。」
ぼろぼろと、流れ落ちたものはガクポの涙。
「ごめんね、今まで何も伝えられなくて。」
倒れ込みそうに足元を震えさせたガクポの右腕を支えながら、リンははっきりとした口調でそう言った。それと同時に、肩の荷が下りたような、そんな感覚を味わう。これまで、黄の国の関係者で唯一、ガクポだけに自分の健在を伝えることができていなかった。だが、これで全員。漸く、一つの役目を終えられたと考えたのである。
「恐れ多い・・いや、失礼致しました・・。」
ガクポはそう言いながら、剣士らしくない華奢な左腕で強く自らの目元を擦りつけた。その動作で落ち着いた様子で足元を確認すると、ガクポが普段通りの、しっかりとした口調で言葉を続けた。
「失礼致しました、リン様。ご健在のこと、心よりお喜び申し上げます。」
「心配、かけたわ。」
申し訳なさそうに、リンはそう答えた。
「そちらの女子は?」
続けて、ガクポはセリスをちらり、と眺めるとそう言った。
「セリスと申します。」
丁寧に、セリスはぺこり、とガクポに向けて頭を垂れた。その様子を見つめながら、ガクポが更に尋ねる。
「若いながら、名うての剣士と見受けましたが。」
「良く分かったわね。」
楽しげに、リンはそう言った。ガクポはどうやら、少しも衰えていないらしい。寧ろ、以前よりも鋭さを増しているような印象を受ける。何より、セリスが褒められたことをまるで自分のことのように感じながら、リンはこう答えた。
「彼女はロックバードの養女よ。ロックバードに鍛えられたの。」
「成程、道理で。」
そこで、ガクポは一度言葉を飲み込んだ。もう一つ、疑問を覚えているように。
「・・レン殿は?」
瞬時の沈黙の後に、意を決したようにガクポはそう言った。その言葉に、リンは僅かに視線を落とす。だが、伝えなければならない。自らの片割れがどんな最期を迎えたのか。それは、リンが一番に果たさなければならない責務でもあった。
「死んだわ。」
「そう、でしたか。」
ある程度、覚悟を決めていたのだろう。割合落ち着いた様子でガクポはそう答えた。それに対してリンは一つ頷くと、言葉を続ける。
「レンは私の身代わりになったわ。あの時、処刑されたのは私ではなくて、レン。」
静かな、沈黙が周囲を包んだ。ガクポはレンを、一人の騎士として認めていた。だから、ガクポはこう答えたのだろう。納得を見せるように、そしてとても重い口調で。
「彼らしい、最期ですね。」
その言葉に、リンは小さく頷いた。確かに彼らしい、最期だったと改めて感じたのである。
ハーツストーリー 66
みのり「ということで第六十六弾です!」
満「だから二作品並行は無理があると・・。」
みのり「・・実は二つじゃないんだよね。」
満「んな!?」
みのり「・・四つ書いてる。」
満「死亡フラグにしか見えない件。」
みのり「ということで更新遅くてすみません><」
満「ちなみに、ハーツストーリーとコンチータ以外はボカロのお話ではないので、別のサイトにうpする予定。とりあえず一つはピクシブの予定だけど。」
みのり「あるアニメの二次小説を書いているので、完成したらお知らせしますね☆ではでは、次回もよろしくです☆」
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