自宅を出たレンは、あてもなく街の中を歩いた。パソコンの中の仮想現実の街。建物のほとんどはお飾りで、中には入れない。一部、店などもあるにはあるのだが、店員はいない。そして、売られている品物がどこから来るのか、それは誰にもわからない。
考えてみれば実に奇妙な空間だが、レンはそれを疑問に思ったことはない。何しろ「そうなっている」のだから。
ただひたすらに、道を歩く。だが、歩いても歩いても、気分は晴れなかった。むしろいっそう沈んでくる。思い出すのは、最後に見たリンの顔。涙を浮かべて、こっちを睨んでいた顔だ。
リンのイメージを振り払おうとしながら歩くうちに、レンは小さな公園にたどりついた。緑の多い自然公園ではなく、子供が遊ぶ遊具が置いてあるタイプの公園だ。子供などほとんどいないのだが、メイコから聞いた話だと、彼女が始めてこのパソコンにインストールされた時から、ずっとこの公園は存在しているのだという。レンは深く考えずに公園に入り、ブランコに座った。そのまま軽く漕いでみる。
ブランコをこいでいるうちに、レンは昔のことを思い出した。昔といっても、レン自体そんなに長い時間を生きて――プログラムにこの言葉を用いていいのかどうかはわからないが、レン自身は自分を生きていると認識している――いるわけではないのだが。とにかく、このパソコンの中にリンと一緒にインストールされてから、そんなに経っていないときのことだ。パソコンの中の世界が珍しくて、リンと二人であちこち歩き回った。そうしてこの公園を見つけて、二人で日が暮れるまで遊び回った。シーソーや滑り台で遊んで、それからブランコをどちらが高くまで漕げるか競争した。絶対に勝とうと必死になった結果、レンはバランスを崩してブランコから落ちて、額を強く打ってしまった。リンはすぐにブランコから降りて、激痛でうずくまる自分に、心配そうに付き添っていてくれた。
……どうしてこんなことを、思い出すのだろう。レンはブランコを漕ぐのをやめると、そのまま視線を落とした。胸の中で、いらだちと、もう一つ何か別の感情が、せめぎあっている。
ブランコに座ったまま、レンが何も考えないようにしていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。顔をあげ、そちらを向く。
「……やあ」
そこにいたのは、カイトだった。このパソコンではもっとも古いボーカロイドで、レンやリンにとっては、兄のような存在でもある。
レンは憂鬱な気分で、カイトを見た。ミクかリンに頼まれて、自分のことを探していたのだろう。このあとは説教でもされるのだろうか。
カイトはいつもの穏やかな笑顔を浮かべてこちらにやって来ると、レンの隣のブランコに座った。そのまま何も言わず、軽くブランコを揺らしている。
そうやって、どれくらいそうしていただろうか。ついにレンは、沈黙に耐え切れなくなった。
「カイ兄、説教しに来たんだろ。だったらとっととやってくれよ」
カイトはブランコを漕ぐのをやめると、レンを静かに見た。
「……説教されるようなことを、レンはしたのかな」
「カイ兄、そういう言い方、やめてくれる? どうせミク姉かリンに言われて、ここに来たんだろ」
「……そうだね。確かに言われた。ミクから、レンの様子がおかしいから見てきてくれ、できたら話も聞いてあげてくれってね」
カイトの声はとても穏やかだったが、その穏やかさも、レンの気分を鎮める役には立たなかった。乱暴に地面を蹴って、ブランコを漕ぐ。だがカイトはそんなレンの様子を、何も言わず、ただ見守っているだけだった。
結局、しびれを切らしたのは、またレンの方だった。ブランコを漕ぐのをやめるて飛び降りると、ぐるっと振り向き、座っているカイトを睨む。
「なんか言ってくれよ、カイ兄! 本当はミク姉から色々聞かされてるんだろ! 俺がミク姉とリンにひどいこと言ったって!」
カイトは小さなため息をつくと、わずかに首をかしげた。
「どうしてレンが誤解しているのかはわからないけれど、ミクからは本当に、さっきのこと以上のことは聞いていないよ」
それがミクの気遣いであることは、レンにもわかった。だがその事実は、気持ちを落ち着ける役には立ってくれなかった。レンが荒れた気持ちのままその場に立ち尽くしていると、カイトはまた口を開いた。
「レン。ミクはね、お姉さんぶりたいんだよ。前にも話したと思うけど、ミクがこのパソコンにやってきた時、僕とめーちゃんは、インストールされてかなり時間が経っていた。初めてできた妹みたいな存在が嬉しくて、思い切り世話を焼いた。だから君たちが発売された時、ミクはとても興奮していた。自分にも弟と妹ができるかもしれない。そうしたら、僕たちがやっていたみたいにしてあげるんだって」
その話は、以前にも聞いたことがあった。そして実際、ミクはインストールされたばかりで、右も左もわからない二人を、熱心にあちこち連れて回ってくれた。
「ミク姉が好意でやってくれてるってことぐらい、俺にもわかってるよ」
レンは乱暴にブランコに座ると、鎖を手でぎゅっとつかんだ。
「でもなんか、嫌なんだよ。ミク姉は、俺よりずっと曲作ってもらってるし。それに……」
そこまで言ったところで、レンは自分の言いたいことがわからなくなってしまった。
「……確かに、ミクは曲をたくさん作ってもらっている。僕なんか、ソロの曲をもらったことすらないのにね」
カイトに静かにそう言われて、レンは何も言えなくなってしまった。このパソコンで暮らすボーカロイドたちの中でも、カイトは目だって使われない方なのだ。ソロはなく、メイコとのデュエット、それもメインはメイコで、カイトはバックコーラスを担当したものが一曲あるだけだ。カイトからすれば、レンの立場ですら、贅沢と言えるだろう。
「でも、それをとやかく言っても仕方がないと、僕は思うよ。曲を作っているのはマスターで、誰に歌わせるのかを決めるのもマスターなんだから」
だから、ミクやリンのせいじゃない。カイトはそう言いたいのだと、レンは思った。
「で、喧嘩の原因はそれなのかい? ミクが曲をたくさん作ってもらっているから?」
レンはブランコの鎖から手を離すと、うつむいた。苛立ちは、いつの間にか、収まりつつあった。ただ、胸のどこかに、ちくちくと刺さる、棘のような感情がある。
「それも……あるけど。もともとは……リンが」
「リンが、どうしたんだい?」
「マスターの新曲、リンのなんだ。リンのソロ曲で、俺といっしょの曲じゃない」
口にしながら、レンはさっきのことを思い返していた。
「……なんだか、嫌だったんだ。リンだけ曲を作ってもらえるのも、それをリンがすごく喜んでいたのも。もしあの時、リンがちょっとでも、俺のことを気にかけてくれていたら……」
言っても仕方のないことなのだろう。あの時のリンは、それくらいはしゃいでいた。レンのことなど、意識から消えていた。
カイトはというと、難しい表情で考え込んでしまった。
「つまりレンは、リンに自分に対する思いやりを期待したわけか」
「……カイ兄、何その言い方。俺がすごく押し付けがましい奴みたいに聞こえるんだけど」
「でも、そういうことだろう?」
返されて、レンは反論できなかった。上目遣いに、上背のあるカイトを睨む。
「でもね、レン。思いやりというのは、期待するものじゃないと思うよ?」
カイトの言うことは、正論だった。なのでレンは、またしても反論することができなかった。
「まあ確かに、僕もちょっとリンは気遣いが足りなかったと思うけどね。でもそれだけ、自分の新曲が嬉しかったんだろうよ。リンからすれば、レンの方に、自分を気遣ってほしかったんだろうね。お互い、相手に対する思いやりが足りなかった。今回のことは、そういうことだと僕は思うな」
カイトはそう言って、レンの頭を撫でた。レンは一瞬その手を払おうかと思ったが、黙って撫でられるままでいることにした。
実際、自分は言い過ぎたのだ。それに、ミクに対しての言葉は、完全に八つ当たりだった。これは、謝らないとまずいだろう。
レンの表情の変化に気づいたのか、カイトは静かに微笑んだ。そして、ブランコから立ち上がった。
「さてと、アイスでも食べに行こうか」
「……カイ兄、もうじき夕飯だよ?」
メイコやルカは、夕飯前に間食についてうるさい。食事が入らなくなるからと言うのだ。データであるボーカロイドにとって食事というのは楽しみのようなもので、栄養バランスには特に気を遣わなくてもよかったりするのだが(ただし空腹になると動けなくなる)何故か女性陣はうるさかったりする。
「たまにはいいさ。それに、甘い物は別腹って言うしね。さ、行こう」
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mothy_悪ノP
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