* 覆水

 「っ!ちがうっ!」
俺は激昂した。激しく首を振りながら否定する。
違う、違う、ちがう、ちがう!
頭を抱え、目を閉じ、耳をふさいで。
「俺は吸血鬼なんかじゃない!」
叫びはむなしく夜空に消えていく。
「俺は……吸血鬼なんかじゃ、ない。」
むしろ、それは願い。
「レンは、ヴァンパイアだよ。」
「俺は……」
ミクの細い指に、アゴつかまれる。細腕から想像も出来ないような力で、ミクの方へと顔を向けられる。
「レン。」
彼女が自ら切った腕の傷。ルビーを溶かしたような雫。むせ返る香りは、甘い。
「レンはヴァンパイアなんだよ。」
駄々をこねる子供に言い聞かせるように。彼女はゆっくり、はっきりと発音する。
「この数日で、わかったでしょ?
レンはヴァンパイア。ヴァンパイアであるミク―ワタシに咬まれて、ワタシの眷属になってしまったの。
転生したばかりは血に餓えているから、記憶もないし、理性もはたらかなかったけど。
もう、レンは人間ではないの。人間の理性も、倫理も―邪魔だわ。」
地獄のような数日間。自らがおぞましいモノへと変貌していく絶望感に、俺は震えた。
「まだレンは転生して間もないから。心は否定しても、身体は―餓えている。」
否定できない。眼前で流れ落ちる彼女の血に、俺は渇きを感じている。
「ワタシは、純血。渇くことはないけれど……レンは違うわ。渇いて餓えれは、死んでしまう。人間と同じよ。食べ物食べなかったら、衰弱して死んでしまうでしょう?」
それでも俺は、小さく首を横にふる。
脳裏を掠めるのは、ベッドに横たわる影。食べることすらかなわずに、静かに衰弱していく愛しい俺の片割れ。
「リン、」
リンをのこして、得体の知れない化け物になるわけにはいかない。
「そうね。」
ミクは納得したようにうなずいた。冷たく光る彼女の双眼に、俺は危険なものを感じた。
「リンを、吸血鬼にしよう。」
最悪の展開。
ミクの瞳は不自然なほどに迷いがない。本気だ。
リンが、危ない!そう思った瞬間、俺の身体に力がみなぎった。
俺のアゴつかんでいたミクの腕をつかみ、外す。
力を入れすぎたのだろう。ミクの腕が俺の手を離れる瞬間、俺の手には何かを抉り取るような感触がのこった。
他方の手で手刀をつくり、彼女の首元をなぎ払う。
間髪いれずに、彼女の鳩尾に拳を食い込ませる。
俺の鋭い爪は、わずかにミクの首の皮を切り裂き。彼女の華奢な身体はなすすべなく吹っ飛んだ。
完全にキレた俺は、ミクの身体が転落防止用のネットに到達するよりはやくその身体に追いつくと、彼女の左半身に回し蹴りをきめた。
骨の折れる感触をのこして、ミクは地面にたたきつけられる。
その胸部を押さえると、もう片方の手を首筋につける。鋭い爪が皮膚に触れ、新しい血が滲み出した。
「リンに、近寄るな。」
怒りが渦巻いていた。目の前が、赤かった。リンに手を出したら……想像するのも不快だった。本当に殺してやりたかった。
「フッ、」
そんな俺をあざ笑うかのように、ミクは笑う。
「アッハハハハハハ!」
片腕は明らかに変な方向に折れ曲がり、口からは血泡が零れている。
腕は俺の手の形そのままに赤く染まり、それでも彼女は笑っていた。
「アーッハッハッハーハハハハハハッ」
意味不明の爆笑に、俺は混乱した。
「何が、可笑しい。」
ワケがわからず、詰問する。
「ハァ、チガウの。」
ミクは彼女を抑える俺の腕に触れた。両手で、包み込むように。コワレモノでも扱うように。
そこで俺は気付く。
ミクの腕に傷がない。先ほど俺が切り裂いた、腕の傷がきれいに消失していた。
片一方の腕も、折れていたはずなのに。気付けば正しい方向に稼動している。
「やっぱり、『レン』は『レン』なんだなぁって、思ったの。」
意味不明。ミクは続ける。その口もとから血泡が零れることはない。
「よかった。レンで。もしかしたらって思うこと、なかったワケじゃないの。
半信半疑だった。
けど。」
意味不明。薄ら寒くなって、俺はミクの首から手を退けてしまう。
俺の切り裂いた傷は、瞬時に跡形もなく消え去った。
残ったのは、俺の咬み跡だけ。
「やっぱり、レンだ。それだけは変わらない。」
言うと、ミクが消えた。
いや、そこから数瞬の間。何が起こったのか、認識することすら出来なかった。
気付けば俺はフェンスに衝突していた。ミクは俺のノドをつかみ、片手で俺の身体を浮かせていた。
「ぐっ……!」
必死に足掻くも、ミクの腕はピクリとも動かない。
「強がれよ、『レン』。
そなたの望みが叶うまで、幾度でもワタシを喰らうがいい。」
ミクはその鋭い爪で、俺のノドをかき切った。
舞い散る、鮮血。体中を駆け巡る痛み。悲鳴にならない悲鳴をあげる。
そして俺の身体を蹂躙する、『欲望』。

 ブツリッ

俺はミクのノドもとに噛み付いた。
溢れ出る血をノドの奥へと流し込む。
獲物をつかんだカマキリのように、彼女の身体を掻き抱きながら。俺は夢中で彼女の血を貪った。
そんな俺の背に回される、腕。ミクは優しく俺を抱くと、俺の肩に顔をうずめる。
「寂しかった。幾星霜の年月を待ち続けたのだろう。ずっと、ずっと……レンだけを想ってきたんだよ。」
吐息のようなつぶやき。獣のように血を貪る俺には届かない。
そして突き立てられる、ミクの牙。
痛みは一瞬。俺の飲み下す音に、ミクの血を飲む音が重なる。
陶酔するような感覚と、ほんの少しの不快感。
俺は酔ったように、目を閉じた。

 不味い―
恋焦がれてきた、そのアジは。想像だにしないものだった。
 不味い―
塩辛く、生臭く。
苦く、粘つく……それはまるで『罪のアジ』
 たまらずに、オレは、吐いた。
鮮血交じりの真っ赤な吐瀉物。
何度も吐いた。
酸っぱく、苦い、胃酸の味。
吐瀉物は段々とどす黒い赤となって、やがては胃酸すら出なくなる。
 それでもオレは、吐き続ける。
赤く染まった、オレの両手。それを濡らす、透明な雫。
くぐもった嗚咽が零れる。
真っ赤な池に顔をうずめるようにして。オレは泣いた。
泣きながら、愛しい者の名を呼ぶ。
目の前に横たわる、愛しい者の名を呼ぶ。
「ッ!リンッ……!」

オレが殺した、愛しい姉の名を―

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ある吸血鬼の孤独について。 第2章4 覆水 ※流血表現注意!

閲覧数:402

投稿日:2012/05/27 14:08:58

文字数:2,571文字

カテゴリ:小説

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