6.
 何年前と言っていたのかは……忘れてしまったが、美紅は、一度自殺しようとしたのだという。
 過干渉でやることなすこと縛りつけ、少しのことでヒステリックに怒り出す母親。なによりも仕事優先で、無関心を貫き通した父親。そんな両親のせいか、学校でも皆とうまく馴染むことができなかったという。
 やがてパンクした美紅は拒食症を患い……手首を切って死のうとしたという。
 普段はじゃらじゃらとしたアクセサリーで隠しているその痕を……一度見せてもらったことがある。あれは、かなり深い傷痕に見えた。
 未遂で済んだそれは、彼女の家庭にも大きな傷痕を残したそうだ。
 けれど彼女は言っていた。
「悪いのはあたしじゃないでしょ? 悪いのはさ……こんな風に、あたしに死にたいって思わせた世界の方じゃない?」
 彼女は家族のことを“世界”と評した。
 家族だけが世界だと定義できてしまう生き方……それがどんなものだったのか、想像に難くない。
 その行為は……美紅が狭い世界の殻を破るための傷痕だったのだ。
 そんな傷痕をつける前から、彼女の家庭はズタズタになっていた。首の皮一枚で繋がっていたに過ぎないそれを、彼女は断ち切ったのだ。
 それは、致命的であると同時に起きるべくして起きた事件だった。
 もともと不仲だったという両親はやがて離婚、美紅は父親に引き取られた。
 しかし、朝早くから夜遅くまで仕事漬けだった父親が、美紅への無関心を改めることはなかった。
 自殺未遂後、入院中に見舞いに来たことなどなかったし、離婚後にも父親と美紅の間に会話はほとんどなかったという。
「まあでも、過干渉だった母さんよりマシかな。あのころは母さんのせいで、自由なんかなかったからね」
 いつだったか、そうつぶやいたときの美紅の顔は、ありありと諦念が浮かんでいた。
 もしかしたら、髪を染めたのもピアスを開けたのも、ある種の反抗のようなものだったのかもしれない。
 けれど、僕が懸念しているのはそれよりも少し先のことだ。
 彼女は自殺未遂のときに“なにか”を見たんじゃないだろうか。
 なにか……違う世界の片鱗を。
 それが、彼女を駆り立てていたんじゃないかって。
 だから美紅は、僕の絵とも言えない落書きにあんなにも引き込まれてしまったんじゃないだろうか。
 だからあの少女は――美紅は――悲しまなくていいんです、なんて言ったんじゃないだろうか。


 ◇◇◇◇


 深夜の住宅街を駆ける。
 もともと運動が得意な方じゃないし、よく運動している方でもない。
 それでも、足を止めることなんかできなかった。
 普段なら眺めるだけの線路沿いの道を走る。
 すぐに息が上がって足がもつれる。
 たった三駅、いつもなら十六分待つだけでたどり着く道のりで、アスファルトを蹴りつけていく。
 どれだけ走っても次の駅が見える気配もない。見慣れたハズの景色からすると、まだ次の駅まで半分も来ていないんじゃないだろうか。
「ウッソだろ……」
 すでに切れ切れになった息の合間に、絶望的な声が漏れる。
 こんなんじゃ、学校にたどり着く前にへたり込んでしまう。
 ……いいや、そんな風に考えてたら絶対にたどり着けない。
「クソッ、ふざけやがって」
 自分を叱咤して、さっそく笑い始めた脚を叩いて、僕は走り続ける。
 見慣れたはずの街並みは、真っ暗だというだけで、まるで別世界みたいに見える。
 ……それでもやはり、あの夢の世界とは比べ物にならないけれど。
 どれくらい走ったかわからない。
 駅も一つか二つは見たような気がする。けど、体力のない僕のことだ。きっと十分とか十五分くらいしか走ってないんだろう。
 なにもないところでアスファルトにつまずいて、なんとか踏ん張ろうとしたものの脚がもつれて転んでしまう。
 生地の厚い制服のおかげで、怪我まではしていないみたいだが、それでも打ち身の痛みまではどうにもならない。
「ッテェな」
 悪態をついても誰からも返事がない。あたりまえだ。
 道路の真ん中に転がる。緊張の糸が切れてしまって、すぐに立ち上がって走ることができない。
 ぜいぜいと荒い息をつき、僕はなんとか呼吸を整える。
 ……急いだって、無駄なのかもしれない。
 ふと、そんなことに思い当たる。
 “やっとこっちに来る決心がつきました”
 “だから、悲しまなくていいんです”
 向こう側にいた少女のその言葉を信じるなら、美紅はもう“やり遂げて”いる。
 僕が急いだとしても、ゆっくり向かったとしても、結果は変わらない。変えられない。
 だけど――。
 それなら、僕はなんでこんなに慌てている?
 なんでこんなに焦っている?
 なんでこんなに……胸が締め付けられているんだ?
「……」
 のそりと上半身を起こす。
 線路沿いの道のど真ん中だったが、前も後ろも車や人の気配はない。落ち着くまでここで休憩していても平気そうだ。
 僕は……どう思っているんだろう。
 美紅が本当に“やり遂げて”いたら……僕はどう思うんだろう。
 悲しむのだろうか。それとも、先にやり遂げられた彼女を羨むのだろうか。
 ……。
 ……。
 ……。
 まだ信じられないけれど、彼女の最期を目の当たりにして思い知らされたら、きっと……悲しむのだと思う。
 ……だけどそれって、彼女に対する侮辱なんじゃないだろうか。
 それを求めて、望んで、為し遂げた彼女に対して……死んで欲しくなかったなんて考えるのは。
 それにそれって……僕だって望んでいることなんだ。
 なのに、彼女を責めることなんてできるだろうか。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ローリンガール 6 ※二次創作

6
データ復旧時、この回くらいまで書いていました。
復旧後、ここまでの文章も二、三割は書き足しているので、そのまま、というわけではないのですが……ここまで書いてデータ消えたら、そりゃ心折れるよね、みたいな。

閲覧数:90

投稿日:2021/08/31 19:02:44

文字数:2,317文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました