15.
ボロボロになった高級車の前には、閑散としたバリケードが。後には暴力と略奪と炎をまとった阿鼻叫喚の混沌が繰り広げられていた。
一番地区は無法地帯と化した。
女の破壊と扇動によって。
女の……怒りと嘆きによって。
「……」
女は高級車のボンネットから降り、背後の一番地区の惨状を眺める。
そこでは、女がけしかけたスラム出身の怒れる人々が暴徒となり、思う様に上流階級へと復讐する様子が見てとれる。
警察は最早機能しないだろう。軍部が鎮圧に来るまではどうにもならないように見えた。
「ふー……」
女は一度鼻をすすり、目元をぬぐうと後部座席の扉を開けて車の中に戻ってくる。
「……ディミトリ。行こう」
「はい。承知しました」
生気を使い果たし、まるで抜け殻のようになった女の声音にも、執事はうろたえない。
運転席の執事は車のエンジンをかけ、アクセルを踏む。
ボロボロの高級車は、それでもちゃんと動いた。ゆっくりとバリケードを抜け、一番地区を後にする。
「ニー……、ニードルスピア卿。貴女は、一体なんて事を……」
「……スコット。不満か?」
助手席の警官は、微動だにせず正面を凝視している。
対する女は後部座席で、もう動けないとばかりに深く腰を下ろしている。
「卿は……無辜の市民を犠牲にしたのですよ……! 卿はこれまで、官警の目の届かぬ犯罪者を裁いてきたはずです。なぜこのような暴挙に出たのですか!」
「笑わせんな。無辜の民なんざ、この世に存在しねぇよ。皆生きてるだけで何かしらの罪を背負ってる。この都市がどれだけの犠牲の上で存在してるのか知らねーのか? この都市の住民は、生きてるだけでも相当の罪があんだぜ。他の場所に住んでる人と比べりゃな」
「それでも貴女は――」
警官はジャケットの内側に手を伸ばしながら言いかけるが、女に遮られる。
「スコーット。……スコット・ギレンホール。あんたは何か? オレを責めればそれで満足か? 自らの偽善まみれの自尊心が満たせればそれでいいのか?」
「……ッ!」
「本当にそう思うんならよ、オレを止めて見せろよ。脇に吊るした銃は単なる見せもんじゃねぇんだってこと、証明して見せろ」
見抜かれていた事にぎくりと身体を強ばらせる警官に対し、女はデリンジャーを抜き、後部座席から警官の後頭部を狙う。
「それ、は……」
「スコット。気骨のあるとこを見せてもらおうじゃねぇか」
女が口角を吊り上げる。だがそれは、なぜか笑みとは違う表情に見える。
女に煽られ、警官は脇に吊るしたホルスターから回転弾倉式の拳銃を抜く。が、その表情は困惑に満ちていて決意や覚悟とは程遠い。
「……」
「……」
緊迫する二人の視線。車内の空気が凍りついているかのようだった。
ボロボロの高級車は湾岸部の五番地区を走る。
工場を暴徒が襲い、そこかしこで火の手と黒煙が立ち上っている。それは対岸の六番地区の工場も同様だった。
無法地帯と化したのは一番地区だけではない。湾岸部の工場地域も同様で、その混沌はやがて二番地区以北の東側の住宅街にも広まるだろう。
道路には近くの建物の残骸や割れたガラスが撒き散らされ、時には血だらけの死体も倒れている。
車はそれらを避けていくが、時折乗り上げて車内は大きく揺れた。
「……スコット。オレをバカにしてんのか?」
長い沈黙の間も微動だにしなかった警官に呆れ、女はため息をつく。
「いえ……ただ、私は……」
「見せてくれよ。テメェの正義ってヤツをよ。……それができねぇんなら、テメェはここまでだ。オレの……“ブラック・ウィドウ”最期の仕事にしてやる」
そう言ってデリンジャーの引き金を引こうとした瞬間、瓦礫を踏んだ車が大きく揺れ、車内が衝撃に跳ねる。
「うっ」
――瞬間、銃声が重なる。
女のデリンジャーは明後日の方を向き、後部座席の窓を割る。
同時に警官の構えていた回転弾倉式拳銃から弾丸が射出。助手席の背もたれ越しに女の右肩を穿った。
「ニードルスピア卿!」
「イッテェ……なぁ……」
肩を赤く染めながら座席に深く沈み込む女に、警官は慌てた声を出す。その表情からは、女を撃ったのが偶然か故意か判断し難い。
「スコーッ……ト。よぉ」
「……はい。ニードルスピア……卿。リン殿」
沈痛な面持ちで女を見る警官。
針降る都市の現状では、医者など望むべくもない。警官はそこに察しがついているのだろう。
これで終わったのだ、と顔を伏せる警官に、女は下らなさそうに口の中にたまった血を吐いた。
「ペッ……スコット。残念だなぁ」
「……」
「テメェは、詰めが甘い」
「それは――」
女は左腕を上げ、デリンジャーで警官の頭を撃ち抜く。
疑問符を浮かべたままの顔で、警官はそのまま後ろに――車の前方に――のけぞり、無くなったフロントガラスの向こうに頭を投げ出した。
へこんだボンネットの上に、警官の血が無惨に広がる。
「うわああああっ!」
それまで硬直して黙りっぱなしだった少年が悲鳴を上げる。対して、執事はこの状況でさえも冷静さを失う事なく、頬に飛んだ血を拭って高級車を運転し続けていた。
「……ディミトリ。一度停めてくれる? スコットを下ろそう。邪魔になるから」
「承知しました。ミセスは……お怪我は?」
「このくらいは……平気。あと、もう少しだから。それくらいなら、保つ」
「で、あれば……宜しいのですが」
緩やかに減速して車を停めるが、女は立ち上がる気力は無いようだった。
執事が運転席から降り、逆側に回って助手席で死んでいる警官を外へと引きずり下ろす。
「あんたは……人間じゃない。……悪魔だ」
「ヨハン?」
少年は顔を恐怖に染め、身体をわなわなと震わせて女を糾弾する。
「ヨハン。貴方も死体なんて見慣れてるでしょう?」
「そういう事じゃない。こんな、見境なく……友人にすら手をかけるなんて」
「友人……? そんなの、わたしにはいない……。彼は、ただの保険だもの」
「あなたは、一体なにを……」
「けれど、彼は失敗したわ。やっぱり、思い付きの保険じゃダメね。……アレックス。やっとこれで果たせるわ」
どこか焦点の合わない視線で虚空を見上げ、うわ言のようにつぶやく女の言葉が理解できず、少年はただ戦慄するしかない。
ばたん、と音を立てて警官を下ろし終えた執事が運転席の扉を閉める。
はっとした少年は、執事がアクセルを踏む前に慌てて後部座席の扉を開け、車外へと身を投げ出す。
「ヨハン――」
打ち捨てられた警官の死体の隣でわななく少年に、女がデリンジャーを向ける。が――。
カチン。
乾いた音を立て、女のデリンジャーは撃鉄が落ちる。
デリンジャーは二発しか撃てない。弾切れだ。
「僕は……あなたを止める」
「もう手遅れじゃないかしら? 針降る都市は……もう、おしまいよ」
少年は首を振る。
「それでも、あなただけは……これで終わりにさせる」
「ふふ……見せてごらんなさい」
どこか妖艶に、優雅にも見える笑みを見せる女。
五番地区の路上に警官の死体と少年を放置し、ボロボロの高級車はそのまま走り去る。
「……」
女がひび割れたリアガラスから少年を眺めると、少年は警官の死体にしゃがみこみ、何かを拾い上げていた。
そんな姿もすぐに遠く小さくなり、やがて見えなくなる。
「……ヨハンはそのままで宜しかったのですか?」
「構いません。彼には、彼の役割を果たしてもらわなければなりませんから」
「その通りではありますが……いえ、余計な意見でした」
「いいのよ」
後部座席で肩を押さえる女からは、先程までの鬼気迫る気配は消え失せていた。どこか奇妙にも穏やかで、それでいて悲愴な雰囲気が女を覆っている。
執事は彼女をいたわるように、緩やかな運転でどこかを目指していた。
「ディミトリ……」
「行き先は承知しております」
「そう。なら……よかった」
五番地区から幹線道路に入ろうとするが、すでに逃げ出そうとしている無数の車両で埋め尽くされ、交通は麻痺していた。
執事は運河を渡り、都市の西側へと車を向ける。西側の運河沿いの幹線道路もまた同じように渋滞で車が動く気配もないため、七番と八番のスラム街の中、入り組んだ細道を抜けていく。
スラムは東側に比べると混乱まではしていないがそれなりに騒がしい。暴徒や火事があるというわけではなく、めいめいに建物から出て、遠巻きに運河の対岸を困惑気味に眺めているといった様子だった。
時折、女の乗るボロボロの高級車に目を向ける者もいるが、大抵は向こうの高層ビルの惨状に目を奪われていた。
その、女に目を向ける者の中には、女自身も知っているはずの者達がいた。
全身に刺青を入れていて、スキンヘッドに骸骨を被っているかのような刺青をした男。
ドレッドヘアに重たい釘打ち機を軽々担いだ中年女性。
後部座席の窓越しに彼らと一瞬目が合うが、女はどこか遠くを、虚空を見つめたままで手を振り、そのまま通りすぎていってしまう。
「バイバイ」
骸骨の男にも、ドレッドヘアの中年女性にも、その声は届かない。ただ彼らは、女のあまりの変わりように目を丸くしていただけだ。
が、そんな事に気付きもせず、女を乗せたボロボロの高級車はどこかに走り去っていく。
「バイバイ」
そう囁く女を乗せて。
針降る都市のモノクロ少女 15 ※二次創作
第十五話
そういえばヨハンもドイツ語系でしたね。英語読みだとジョンになるわけですし。
あと、書いているとき、口調の違和感がすごかったです。
でも、想定通り英語圏だとしたら、「オレ」も「わたし」も「ぼく」も「I」になるわけですし、日本語での女口調、男口調のニュアンスなんて、英文にしたらなくなってしまうんじゃないでしょうか。
アニメや漫画なんかでキャラ立ちしているものが多いのは、一人称がやたら多かったり、口調に様々なバリエーションを出すことができる日本語の特性も寄与していたりするんでしょうかね。
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センリ
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