祭の音色は既に遠く
凍てつく寒風に身を震わせて
儚いこえで 私の名を呼ぶ
そこで見たのは、緋の色に鮮やかな金の――
『ことりの泡夢』
飛脚が来たのは三日前の朝だった。
父の元を離れたのが十五の時。身を移したのは母親の故郷・京の都。今はここで母と二人、小さな塾を営んでいる。
江戸の世が始まってもう二百年余り。西鶴が浮世と語ったこの時代も、本格的に陰りを見せ始めている。
そう。浮世とは、憂き世とは不安定なもの。
だからこそ私は、この地で穏やかな時を過ごそうと決意したのに。
「なにを、今更……っ」
私は読み終えたばかりの手紙を、文机に乱暴に叩き付けた。
窓の外、庭の柿の木で蝉が鳴く。その実はまだ青かった。
「なんだ、楽歩。えらく気が立っているな」
言いようもない憤りに身を任せていると、軒先から友人が顔を覗かせた。
「何でもない」
「ははぁ、またお江戸の父上様からのお達しか」
卸問屋の息子は暢気なものだ。同時に意地悪く、私の様子を面白がっているようにも見えた。したり顔で手にしていた扇子をぱちりと仕舞い込む。
「そういうときはやはり廓だろう。嶋原と祗園、どっちが好みだ」
「そんなことを言って、どうせお前が行きたいだけだろう」
「細かいことは言うな。陰気顔はもてんぞ」
そうして引きずり出された先は、上方でも有数の花街。
西新屋敷、嶋原。昼見世の始まったその場所は、人と音で溢れていた。
茶屋に客を呼び込む声、どこかの店から聞こえる長唄。賑やかな笑い声。喧騒。
そして道を歩く大勢の人々。流れる空気までもが活気に満ちている。
先刻までくすぶっていた苛立ちは、いつの間にかどこかへ消えていた。
確かに華やかな場所に出ると気が紛れる。家に籠もりきりだった身にとって外出はいい薬だったのかもしれない。私は私を置いて馴染みの店に入っていった友にこっそりと感謝した。
付き合いできたものの、すぐに帰るのも惜しい気がした。折角出てきたのだ、母に土産のひとつでも買っていこうかと、露店の並ぶ通りをうろつく。
通りかかったのは、一軒の揚屋だった。
外観は何処とも変わらぬ店構えだったが、何故かその店だけ客が遠巻きに覗いている。よほど美しい太夫でもいるのだろうかと、私もその人混みに紛れて様子を窺った。
すると、途端。格子戸の向こうで何かが光った。
眩さに思わず眉をしかめる。それからすぐに、目を見開いた。
格子の向こうに座っていたのは、紅い打掛けに身を纏包んだひとりの少女だった。誰とも目を合わせず、ただ心許無そうにそこに座っている。
輝いて見えたのは、見たこともない色の髪と瞳。
明るくつややかな黄金の色と、晴れ渡った空よりも澄んだ鮮やかな蒼。
目鼻立ちも心なし、私達とはかけ離れている。しかしその姿は紛れもなく、数えで十四、五程の少女。
そして悟る。この見慣れない風貌。彼女は異国人だ。
「珍しいですやろ」
呆然と見つめていると、店の女将らしき女性が声をかけてきた。気付かぬうちにひとり人混みから離れていたらしい。
「元々はな。見世物小屋で売られとったのやて」
そう語る顔は得意げで、そしてどこか哀れみを帯びているようにも見えた。
「金の髪に青の眼だろう。鬼の子供や言うて」
「本当…気味が悪いわね」
すぐ側で、見知らぬ女性が顔をしかめる。まるで見てはいけないものを目の当たりしたように声をひそめる。
それでも私はその姿から目を離すことができなかった。
気味が悪い? どこがだ。
私の目には、幻惑の色にしか映らなかった。
心を刺す、冷たくも美しい輝き。
まるで、闇夜を照らす望月のように。
「それで、お武家様。今日は誰にしはります。太夫かい、天神かい」
立ち去ろうとも入ろうともしない客に業を煮やしたか、重ねて女将が声をかけてきた。
まるで現実に引き戻されたように瞬きを繰り返す。
「いや、私は……」
通された部屋で待つこと幾数分。
やがて襖が開いて、ひとりの少女が押し込まれるように入って来た。
怯えた瞳。困惑の滲んだ、青白い顔。それでも尚輝く金の髪。おそらくここがどんな場所で、自分がどんな役目なのかも知っているのだろう。もしかしたら、既に誰か物好きに買われたことがあるのかもしれない。
『物好き』。それでは自分もその中のひとりか、と苦笑する。
しかし、自分はそうではない。ただ話をしてみたかったのだ。
彼女は黙ったまま、少し離れた場所に座った。
「間近で見ると一層輝いているのだな」
声をかけると、その肩がびくりと震えた。盗み見るようにちらりと顔があがる。
さてどうしたものかと、私は懐を漁った。少女の気を引くもの、警戒を解くものは何かないか。すると丁度良い物を見つけた。
私はその表情に見ぬ振りをして、小さな千代紙包みを少女に渡した。
「さっき通りで買った干菓子だ。食べぬか?」
少女は手に載せられたものと私の顔とを怪訝そうに見比べる。
「安心しろ。毒など入っておらんよ」
そう言って笑いかけるが、上手く伝わったかどうか。微動だにしないその様子に、言葉を伝える代わりに一口食べてみせる。
「うん。美味い」
少女は私が落雁を食べる様子をじっと見つめていた。顔を上げると目が合った。もう一度微笑みかける。
暫く迷ったところで、やっとひとつを口に含んだ。美味しかったのだろうか、その面に淡く笑みが浮かんだ。
この娘が何故こんな場所に居るのかは分からない。出で立ちも、どうやら他の遊女とは違う。鹿恋でも禿(かむろ)でさえもないようだ。笄も大櫛も飾っていなければ、島田髷にも結っていない。梳いた髪に僅かに花簪をつけているだけ。
それでも彼女は、どの太夫や天神よりも美しく見えた。
「異国の子よ」
今度はあまり怯えられずに済んだ。しかし、勿論返事はない。私の様子を窺うだけ。
「言葉は……分からんか」
小さく息を吐くと、少女は聞き返す代わりに首を傾げた。
その仕草が愛らしかった。
私は諦めずに声をかけた。
「私は神威だ。神威。お前は伊鈴というのだったな」
「イスズ」
少女は自分の名前に反応を示した。
やっと聞くことの出来たその声は、まるで鈴の音のように透き通っていて。
「そう。お前の名が伊鈴のように、私は神威だ」
今度はもう少しゆっくりと。伊鈴、神威、とそれぞれの胸元を指し示した。
「…カムイ」
その言葉に思いがけず微笑む。すると伊鈴もまた、私につられるようにして笑みを浮かべた。
少女の表情にはもう、戸惑いの色は失せていた。
~弐へ続く~
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ご意見・ご感想
飛色
ご意見・ご感想
>STSTさん
コメントありがとうございました!
いいですよね~楽鈴。歌声は勿論、あのイラストも素敵でした。
数日前にあの動画に出会い、お陰様で湧き上がるままに構想した作品になります^^
展開としては最後まで考えてあるのですが。このまま気持ちが揺らがねば突っ走る予定でいます。
とりあえず二話目も更新しましたので、そちらも楽しんで戴けると幸いです。
2008/09/20 00:12:22
STST
ご意見・ご感想
楽鈴小説、凄く楽しませて頂きました^^
自分もあの動画を見てから楽鈴に目覚めてしまい…
小説読みたい!と思って居た所にこちらのお話を発見しまして、とても嬉しかったです。
これから先二人がどんな物語を辿って行くのか、楽しみに待たせて頂きます。
執筆の方頑張ってくださいませ^^ こそりと応援しております。
2008/09/19 18:07:16