自分以外は誰もいない、静かな空間。
だが正直、ほんの先程まで静かではいられなかった。
雑音さんとネルの新曲の作成で、ヘッドホンをし、機材のモニターに張り付くように作曲に没頭していた。
時計の針が十一時を指したことに気付くと、何故かそれまで没頭していた作業を中断し、休憩を取ろうと考えた。
ここは作曲室。俺の専用である。調教用スタジオのすぐ隣にある。
さほど広くはない防音屋に、最高級、最高性能の機材。
市販のDTM機材とは比べ物にならない性能の機材達だ。
そこに数時間も缶詰になっているのだから、集中力こそ高まるが、時の経過に気付いたときに一気に押し寄せる疲労感は、それまで没頭していた作業を中断させることぐらいたやすい。
俺はデスクの上に足を投げ出すと、荷物のバックから、一冊の本を取り出した。
詩集である。
疲労感を紛らわせるには煙草、といいたいところだが、ここの機材のことを考えるとそうはいかなくなる。
かといって、詩集か。
自分でも何故これを手にしているのか、時々疑問に思うときがある。
何故購入したのか、何所で購入したのかは忘れてしまった。
それでも読み進めるうちに、多少は気分が落ち着いた気がした。
そのとき、防音室のドアを叩く音が聞こえた。
ノックだ。誰であろうか。
「何だ?」
そうドアに向かって呼びかけると、一人の男が躊躇なしに入ってきた。
「よう。ここにいると思ってた。」
「畏月。」
畏月証である。
初音ミクや鏡音リン、レン達のマスター。ここではプロデューサー。
正式には、監視者。俺と同じく。
「どうだ調子は。」
「まぁまぁさ・・・・・・お前こそ、ライブの後はどうしていたんだ?」
「んー?まぁ、特にやることないし、調教?みたいな、ね。」
「そうか。暇なお前がうらやましいな。」
「ん、お前仕事中だったのか。そりゃ失礼したな・・・・・・。」
「いいんだ。丁度休憩しようとしてたところだ。」
「そうか?」
と、言いながら彼は気兼ねなしに手ごろな椅子に腰掛けた。
別に俺はどうとも思わない。
彼とは、長い付き合いなのだ。
「ところで、敏弘。」
急に彼の声が冷淡なものに変化したことから、俺は話の内容を察知した。
彼に向かって、自分の首筋を指差した。
「・・・・・・そうだな。」
暗黙の内に彼の了解を得ると、俺と畏月は目蓋をおろした。
(お前、この前のこと、どう思う?)
(この前のこととは、あのミクオと雑音さんのことか。)
(ああ。)
(どうだと問われても、あれで丸く収まったことを祈るだけだ。)
(しかし、俺は思うんだが、ミクオを和出に任せておいて大丈夫なのかって思うんだ。)
(何?)
(あのときだって、和出がミクオを放し飼いにして、わざと雑音と戦わせようと考えてたんじゃあないかと思える。そうでなけりゃあいつを見失うわけが無い。仮にも監視者なんだ。)
(・・・・・・実は、俺もそう考えていたところだ。)
(だろう。それに、あいつこのごろ、共有をしない・・・・・・。怪しいと思わないか?)
(そうだな・・・・・・俺の方もだ。普通に会話することには、違和感を感じないし、不審な行動をとることもない。しかし何故か信用できなくなっている。)
(和出は絶対怪しい。どうする?何かよからぬことが起こる前に本社へ報告でも・・・・・・。)
(何を言ってるんだ。まだ本当に怪しいかかも分かっていないときだぞ。)
(そうか・・・そうだな・・・。)
(だが、その準備ぐらいはしておこう。)
(気のせいだと、いいんだがな・・・・・・。)
(ああ。後で共有をさせてみる。)
体内通信が終わると、彼は俺の手元にあるものを指差した。
「お前、なに読んでんの、ソレ。」
この詩集か。
確かに、いつもはスモーカーな俺が、本で読書をしていたら興味深いだろう。
「これは、現代詩集だ。」
「はぁ?詩集?お前が?マジで?ウソォ。」
ムカついた。特にその顔。俺を小バカにしたその顔。
「文句あるか?」
ムカついたまま、俺は彼に言ってやった。
「いんや、無いよ。」
て、テメェあれほど言っておきながら・・・・・・。
「どれ、ちょっと見せてみろ。」
彼が俺の手から詩集をもぎ取っていったが、特に構わなかった。
「ふーん・・・・・・お前がこんなモンをねぇ・・・・・・。」
内容ををろくに確認しない癖にコメントだけは残す。畏月はそういう人間だ。
「どれどれ・・・・・・世に生を欲せず、黄泉に死を欲す。なお死せること叶わず。生のみ与えられん。生の義、杳として知れず。我に、生のみ在り、か・・・・・・へぇー、お前もセンチメンタルに浸ってる余裕ぐらいはあるようだな。」
俺をからかう気か?あ?
「うるさい。帰せッ。貴様には詩の奥深さなんぞ一生解からん。」
今度は俺が彼の手から詩集をもぎ取った。
「ちぇー。」
ウザッ。なにその顔?
「あいあい・・・・・・じゃ、そろそろお邪魔するぜ。後どれくらいいる?」
彼は元の顔を取り戻すと椅子から立ち上がった。
「明日になる前には・・・・・・。」
「そうか、じゃあ、お先に失礼するぜ。」
そう言って彼はそそくさと防音室から出て行ってしまった。
折角の休憩だったというのに、彼はとんだ話を持ち込んでくれたものだ。
俺の脳内には、明介への不信感が更に色濃くなってしまった。
俺は、実を言うと明介のことは余り詳しくない。
彼は雑音さんが新しくボーカロイドとして活動を始めると同時に監視者として俺達と仲間入りした。だから付き合いも短い。
彼自身も、情報の共有はするものの個人的な情報までは一片ともさらすことは無かった。
不思議だ・・・・・・何故彼にここまで不信感を抱くのだろう。
この前までは、そのようなことは無かったはずなのに・・・・・・。
いや、今はそのことを考えるのはやめておこう。
今はこの曲の仕上げをしなければならない。
彼女達の歌声は最高だった。心に響く。二人の絆あってこそだ。
テレビ番組での出演、発表も決まった。
これで、もしかしたらネルの人気が戻るかもしれない。
全てが順調のはずなのだ。
それなのに・・・・・・どうして・・・・・・。
「よう。」
「んー?どうしました。」
明介さんが、ソファーでテレビを見ている僕の隣に座った。
その手が早速僕の肩を抱いた。
「どうだ?ピアプロにはなれたか?」
「慣れたどころか、楽しいですよ。歌うことがこんなに楽しかったなんてね。僕の人気も随分上がったじゃないですか」
「そうだな・・・・・・そりゃ良かった。」
「ところで、明介さん。」
「なんだ。」
「このごろ貴方のお仲間が貴方のこと、信用していないみたいですよ。」
「ふん・・・・・・やらせとけ。俺は別に何もしていないからな。」
気付いていて、全く気にしない。別にどうとも思わない。
この人のこういうところが好きだ。
「まだ、でしょう?」
「さぁてね・・・・・・。」
彼は手にしていたグラスの中のワインを口に含んだ。
「別に、俺は普通にお前を監視してるだけだからな。敏弘や証がどう思ってってそいつらの勝手さ。」
「じゃ、貴方が何をしても?」
「そう。俺の勝手だ・・・・・・。」
「でも、あの二人が黙っちゃいませんよ。」
「そしたら、俺が黙らせてやる。」
「あら、怖い人ですね。」
「フフ・・・・・・。」
敏弘さんはワインを全部飲み干すと、リモコンでテレビの電源を切った。
「俺が考えてること・・・・・・わかるよな?」
「ええ。あの人についていくんでしょう。僕は別に止めませんよ。」
「お前、付いて来てはくれんのか?」
「生きますよ。少し遅れてね。」
「というと?」
「特別ゲストをお連れして・・・・・・。」
「なるほど。」
「で、いつお発ちになるんですか?」
「そーだなー・・・・・・あの亜北ネルと雑音ミクの新曲発表してしばらくしてからぐらいが丁度いい。」
「随分と近いんですね。」
「運命の刻はすぐ近くに来ている。」
「未来を託す、相続者の・・・・・・。」
「そうだ。聖戦だ。」
「そうですか。大変ですねぇ・・・・・・。」
僕はボトルからグラスへワインを一杯まで注ぐと、一気に喉に流し込んだ。
「じゃあ、せいぜいそれまで。」
「楽しもうか。」
僕は明介さんの胸に抱かれ、包み込まれた。
運命の刻が来るまで、力を休めておこう。
運命の刻が来たらば、また遊ぼうね。雑音さん。
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