その記憶は光に満ちている。
<王国の薔薇.2>
『お二人はね、皆が待ち望んだお子様だったんですよ』
僕等が小さい頃乳母として面倒を見てくれた女性はそう教えてくれた。
『お生まれになったときには、お祝いに国中の鐘を鳴らしてねえ。私も嬉しかったものです』
『ねえねえ、アンネ!お母様のことをおしえて!』
リンはよく彼女にお母様のことを尋ねていたっけ。
僕等のお母様は、僕とリンを産んですぐに亡くなった。だから僕としてはお母様がいないのは当たり前で、淋しいとかはあまり感じた記憶がない。
だって隣にはいつだってリンが居てくれたから。
隣で無邪気に笑うリンを見ていれば、何だって平気な気分になれた。
『きょうのおやつ、なにかなあ』
『ええと、あれじゃないかな、ぶり』
『おさかな!?』
『ぶり、ブリオッシュ?』
『ちゃんと言ってよ!』
『リンがさきばしったんじゃん!』
『なによぅ!』
僕と、リンと。双子として生を受けた僕等は死ぬまで一緒にいられるんだ、と、何となくそう信じていた。
『わたし、レンとずっといっしょがいいなあ』
『ぼくも。リンになにかあったらすぐにたすけてあげるからね!』
『そしたらわたしも、レンのこと守るよ!レンよりわたしのほうがつよいもん!』
『えっ、リンよりはぼくのほうがつよいよ!』
『そんなことないー!わたしのほう――!』
『ぼくのほうだよ!』
他愛ない言い争い。
でもあの頃はとても大切なことだと思って、譲れなかったっけ。
あの頃、薔薇園は恰好の遊び場だった。
勿論刺は危険だったけど、背丈よりも高い植え込みは隠れるのに丁度良かったから。
迎えに来たお父様の部下から隠れて逃げ回るのも実は楽しかった。ごめんなさい。
あの頃は全てが輝いていた。
心配事といってもすぐに忘れてしまうようなことばかりだったし、自分のいる立ち位置や周りの状況なんて全然知らなかったから―――無垢だったんだ、と言えたと思う。
別れの日が来るまでは。
『王位継承者はリンと決めた』
その日、無感動な声で、良く知らない大人にそう言われて混乱したのを覚えている。
でも、その言葉は段々と頭に染み込んだ。
僕はその時、王位継承者に選ばれるということがどういう事か既に理解していた。そして、選ばれなかった方がどうなるのかということも、知っていた。
信じられなかった。
リンが選ばれたことが、じゃない。
僕とリンが引き離されることが信じられなかった。
勿論大人達から言われてはいた。
あなたとリン様のうち、王位継承者になれるのはお一人だけです。もうお一人は別の方のお家に行かれて、そこの養子になられるのです。いつかはその日が来ると、覚悟して頂きたい。
でもそれが、こんなに早い事だなんて。
『リン!』
僕は振り返って、隣にいたリンの手を握った。
『レン!』
リンは泣きそうな顔で僕を見る。
多分僕も、泣きそうだった。
このまま手をくっつけてしまいたい、なんて考えを本気で思った。
今だけ引き離されなければ、きっと―――
『・・・失礼します』
少し苦しそうな声でありながらも、彼は忠実に任務を遂行した。
つまり。
『・・・っ、リン!』
抱え上げられて、僕はもがいた。
力づくで僕を引き離そうとしている、それが分かったから、抵抗した。
だって、まだ嫌だ!
でも、
『レンっ!?い、いや!やめて!やめてよぉ!』
『聞き分けてください!』
叫ぶリンの声を遮るように、ぱしん、と軽い音がした。
リンは片頬を押さえ、信じられないと言うように彼を見つめた。僕もじたばたと体を動かすのをやめる。
僕を抱え上げた彼は厳しい声でリンに告げた。
『王族でなくなったレン様はこの場にいることを許されません。もしも無理に引き止めようとなさるなら、彼の身に害が及ぶことになるでしょう―――リン様、それでも宜しいのですか!?』
卑怯だ。
反射的にそう思った。
だってそんな言い方をされたら答えは一つだけしかない。
『・・・いや』
リンは、唇を噛む。
『レンを・・・つれていって』
『リン!?』
『はやくつれてって!』
叫ばれた声に、駆け寄りたくなった。
だってその声は明らかに涙声だったから。
リンが泣いたとき、慰めるのは僕の役目だった。
大丈夫、側にいるから。怖くないよ。痛くないよ。
だからリン、泣かないで―――
でもその時だけは、遠ざかっていくリンの名前を呼ぶ事しかできなかった。
手を伸ばしても、いくら伸ばしても、リンとの距離は縮まらない。
遠くなっていくリンに、恐怖した。
この距離は二度と埋まらないんじゃないか。
この距離が僕等を引き裂くんじゃないか。
そんな恐怖が溢れて溢れて、気が狂いそうだった。
『リン――――――――――!!』
力の限りに叫ぶ。
答えは、聞こえなかった。
『・・・レン様』
僕を運ぶ人が静かに呟いた。
『あなたとリン様は似過ぎています。このまま側にいれば、あなたはいずれ確実に殺される―――王位継承者は一人に絞られるという掟がありますから』
『でも!』
言い募る僕に、彼は告げた。
『王室には保守派がいます。彼等は無駄にその掟を守ろうとする。無駄に、固く』
だからあなたはここにいてはいけない。
彼女、リン王女を悲しませないためにも。
僕はもう一度リンの方を見つめた。
すっかり遠くなった姿。
でもきっとまだリンは泣いている。
『リン様も覚悟を決められたのです・・・ですから、あなたも』
覚悟。
それ、何の覚悟?
それはどんな辛いもののことなんだよ。
だってリンが、あんなに泣いてるだなんて!
『はなせよ!』
『駄目です』
『いやだ、いやだこんなの!』
いくら抵抗しても、僕を捕まえた手が緩むことはなかった。
まるでそれが運命であるかのように。
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