ブロック塀からはみ出た低い木のてっぺんは、逆光を浴びてくっきりと黒い輪郭を描いていた。
 すぐ隣の電信柱に、ちょうどそのてっぺんの高さでぐるぐると透明なガムテープを巻きつけた。
「できた」
 少女は息を切らせてそれを眺める。不恰好で、満足いくものではなかったが、少女はとりあえずその出来に納得することにした。

「ねえ、もうすぐ卒業式じゃない?」
「あと・・来週の水曜日だから・・・ちょうど1週間か」
「もう、1週間しかないんだあ」
「うん、だからね、最後にさ、旧体育館、行ってみない?」
「ええーー、やだよーー。お化けが出るって噂じゃない」
「うん。それに立ち入り禁止になってるのに、入ったら怒られるよ。嫌だよ。卒業式前に呼び出し食らうなんて」
「高校だってせっかく受かったのに、入学拒否されたらどうするの?」
「大丈夫だよ。夜になってこっそり忍び込めば、バレないって」
「でも、お化けが出るのって夜でしょう?夜な夜な女の子の悲鳴が聞こえるって。本当に出たらどうするの」
 旧体育館の怪談は比較的新しい。少女たちの入学後になって、まことしやかに囁かれる噂話だった。少女たちの知り合いにも、その怪談を体験した人が複数おり、どこから発生したのかもわからない都市伝説よりもずっと信憑性は高かった。
「ええー、私、一回も出会ったことないんだよ。せっかくこの学校の卒業生なのにさ、見ないまま卒業なんてしたくないよー」
「そんなの見ないほうがいいって」
「いいじゃない。幽霊に知り合いできるかもしれないよ?ねえ、行こうよ?ね、さやかなら怖くないでしょ?一緒に行かない?」
「私は・・ごめん。ちょっと夜は」
 少女は言いにくそうに口ごもる。目鼻立ちのくっきりした、少し明るい髪の少女だ。
「あ、そうか。おうちの都合だっけ」
「うん。ごめんね」
 さやかは夕方から夜にかけて、都合が悪くなることが多い。家の都合であるとだけ言うが、友人たちも詳しくは知らなかった。
「ええー、みんなは?」
「私は嫌だよ。お化けなんて見なくてもいいじゃない」
「私も。禁止されてる場所なんだから、入らないほうがいいと思うよ」
「ええー、せっかく面白そうなのに」
 少女の一人は口を尖らせた。
「お化けなんていないよ。きっと、子供たちが勝手に入り込んでるか、誰かが面白半分に新しい怪談を広めただけなんじゃない?」
「そうかなあ?」
「そうだよ。常識で考えてみなよ。例えばお化けが出るような事件があったとして、私たちが知らないはず無いじゃない?それに、私たちの代になって急にそんな怪談が出来たのだっておかしいよ」
 常識、当たり前。なんて便利な言葉なのかしら。さやかは口の端でころころと言葉を弄びながら思った。
「うーん・・そう言われてみれば、そうかも」
「そうかもじゃないよ。そうなの。それに禁止って書いてある場所にわざわざ入るのは危ないよ。老朽化してて事故が起こらないためにそうしてるのかもしれないじゃない」
「あぁ、それで立ち入り禁止になってたのか」
「普通はそうだよ。当たり前じゃない」
「なるほど。そっか」
 少女は納得し、さやかは満足そうに頷いた。彼女たちの行き場は、常識によって埋められた。
 がらりと扉が開いた。
「相沢、いるか?」
「はい」
 さやかは席を立つと扉に向かった。無言のまま少女たちはさやかを目で追った。さやかは先生と二言、三言話すと、ノートの束を受け取り、戻ってきた。
「ごめん。これ配ってくる」
「手伝うよ」
 先ほどまでしきりに肝試しを勧めていた少女は、さっとノートの半分を掬うと、名前を確認しながらその場を立ち去る。
「私も」
「あ、ありがと。ごめんね」
「ううん」
 少女たちはそれに倣うように、適宜取っていくとそれぞれ目的の席を探してうろつきはじめた。結果、誰よりも少なくなってしまったノートの山を配りながら、さやかは時計に目をやった。
 自分の机に戻ってノートを確認すると、付箋がついていた。
「17時に旧体育館」
 さやかは付箋をポケットに入れると、ノートをしまい、少女たちの輪の中へ戻っていった。

 ぎしり、ぎしり、と机が鳴る。
 お互いの荒い息が混ざり合う。
 立ち入り禁止の看板が、風にゆらゆら。
 時折、高い女の声が上がり、また荒い息にかき消される。
 酸欠と現実逃避でぼーっとする頭の奥で、さやかは思う。

――『知らないこと』は『起こらなかったこと』
――それでいい。それがいい。

「ねえ、鈴木先生ってカッコいいよね」
 さやかは現国の先生を思い描く。確かに綺麗な顔をしていた。入学間近で、あまり多くの先生を見てはいないが、おそらくこの学校で1番と言えるだろう。
「うん」
「いいなあ。ねえ、先生って彼女いるのかな?」
「さあ?」
「いるんじゃない?だってイケメンだもん」
「ええーー!?やだー!」
「うっわ、何。本気で狙ってるの?」
 さやかは暖かい気持ちになってくすくすと笑う。
「いいんじゃない?今度、お菓子でも焼いてみたら?」
 にっこりと綺麗な笑顔でさやかは提案した。
 格好いいとは思うが、さやかはそれ以上の感情を持つことは無かった。綺麗なだけで惹かれるほど、さやかは無知でも無垢でも無くなっていた。ただ、彼女たちの純粋で可愛らしい恋心には惹かれた。心底愛おしく、心から応援したいと思っていた。

「相沢」
「はい」
 入学してすぐ、たまたま現国の成績が良かったからと、さやかは鈴木先生から教科係に推され、そのまま請け負うことにした。
「相沢、授業が始まるまでに、宿題のプリントを集めて教卓に置いておいてくれるか」
「わかりました。2枚ともですか?」
「ああ。そうか。そうだな。先週のと、月曜日の分、両方集めておいてくれ」
「わかりました」
 タバコの匂いが微かに鼻をくすぐった。少し甘い、嗅ぎ慣れない匂いだったので、珍しい葉なのだろうと思う。そういうところも、同学年の女の子には格好よく映るのだろうと思い、その綺麗な顔を見る。そのままさやかは、席に戻るため、踵を返そうとした。
「あ、待ってくれ」
「はい?」
 呼び止められ振り返ると、鈴木先生の綺麗な顔が間近にあり、さやかはぎょっとした。
「お前、俺のこと、好きだろ?」
「え?」
「あんまり見つめられると、先生も照れる」
 驚いた。思えば、最近ではよく彼を見つめていた。しかし、気付かれているとは思っていなかった。彼に惹かれていたというわけではない。さやかは彼を見つめると同時に、彼女の友達をも見つめていた。その、小さな恋愛に惹かれていたのだ。
「旧体育館ってあるだろ」
「あ、はい」
「放課後、そうだな・・、7時にそこで待ってろ」
「・・・・なんで、ですか」
「いいものをやるよ」

――いいものとはなんだろう?

 その真意に気付くには、さやかは幼すぎていた。

――少し多めにもらって、友達にわけてあげよう

 きっと内緒で大事なものなのだろう。その程度にしか、さやかは思っていなかった。もしも出来るのならば、友人の小さな恋心を手助けできるチャンスもあるかもしれない、と、さやかは無防備に彼に従った。


 さやかの両親は美しかった。
 年齢を感じさせない美貌を、両親共に備え続けていた。
 その代わり、その性質は鼻を覆いたくなるほどの腐臭を放っているようにさやかは感じた。
 始終喧嘩が絶えず、さやかを罵ることもあれば、味方につけようと安いお菓子で釣ることもあった。自身が誰より美しい、自身が誰より優れていると思い込んでいる彼らにとって、日々美しく成長するさやかは自慢の種であり、目の上のたんこぶでもあった。
 また、夫婦共に、相手が自分よりすばらしいと思える部分がひとつでもあることが気に食わず、寄ると触るとけなしあっていた。さやかにとって、その2人に囲まれながらする食事は、まるで腐った汚泥を食んでいるようで、どんなに高級な食事でもとても食べられたものではなかったが、延々と自慢話を繰り返す両親の手前、にっこり笑って「美味しい」と言う以外のことができる強さは、まだ育ってはいなかった。
 彼女の中の何もかもは、そうして成長不良を起こし、どろどろと腐っているように感じていた。それゆえに、同級生たちの健やかな心は眩しくて、見ているだけでも嬉しくなり、少しでも傷つくことを望むことは出来なかった。
 見た目だけの美しさに絶望する日常を過ごす彼女にとって、友人の可愛らしい恋愛は、自分がそういう女の子になりたかったという憧れであり、ひとつの理想だったのだ。


 古びた机と埃の匂い。
 緞帳は白く霞んで、舞台は廃屋の小屋の中のよう。
 割れたガラスからは生臭い性の匂いが漂って、伸びた雑草を枯らせてしまうのではないかと心配だった。
 のろのろと身支度を整える傍ら、ほんの少し甘い匂いの混じる煙草を、横で綺麗な人が吸っていた。
「明日は雨だな」
 時々この人はこんなことを言った。煙草の湿気り具合で判断できるらしかった。

――明日、長靴履かなくちゃ

 ぼーっとした頭の中でそんなことを思った。ふいに、可笑しいな、と思った。口の端からこぼれた笑いは、誰に気付かれることも無く、ぽたり、とすえた匂いのなかで形を溶かした。


 その日、さやかは珍しく友人たちと一緒に帰った。
 午後は職員会議が長引くと言っていたので、彼からの誘いは無いと判断できたのだ。結局、さやかはそのことを誰にも言わなかった。ひとつに彼からの脅しがあった。ひとつに、家族に対して助けを求める気になれなかった。少なくとも母親は鈴木先生を気に入っており、さやかを悪者にするだろうという予想がつき、親に期待が出来なかった。そして一番に、友人の淡い恋心を壊す気にはなれなかった。傷ついたところから腐臭を放ち、壊れていったらどうしようと思うと、唯一の宝物を失いそうで怖かった。
 何事も無かったと言う風に、笑う以外の選択肢を失っていた。
 友人とアイスを買い、いつも通る通りから少し先に行ったところの、高い滑り台がある公園に入った。「これ、美味しくない」、「溶ける、落ちる」とはしゃぎながらアイスを食べ、ブランコで押し合い揺れ合い、ひやっとする感覚に大きな声を立てて笑いあった。
 塾があると行って帰る友達に合わせ、解散したあと、いつもは入らない通りから家に帰ると、小学生の頃、よく遊びに入った廃屋を見つけた。
 ふいに懐かしい気持ちになってさやかはその中に入って行った。
 当時は廃屋の1階と2階で遊んでいた。廃材がバリケードのように階段を塞いで、その上に上がれなかったのだ。
 今ならば跨ぎ超えることが出来たので、その先に何があるのか確かめたくなった。
 崩れ落ちそうな階段を上がっていき、息が切れ、少し休もうかと思う頃、屋上に着いた。ざらざらとした砂を踏みしめながら進んで行くと、空が近く、さっきの滑り台なんかよりもずっと高く、まるで巨人にでもなったような気分になった。錆びて欠けた柵の間から見下ろすと、地面は遠く、ここから落ちれば確実に死ねると思えた。
 廃屋を出て帰り道、ふと振り返った。
 通りから小枝のように別れた、細い曲がりくねった道の奥にある廃屋は、道の入り口からは見えなかった。両脇には隣家の低い木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも影を落としているのがわかった。入り口のすぐ脇には、古い、石がぼこぼこと傷んだ電信柱が立っていた。
 その日はなんとなく、人に会いたくなくて、獣道に近い、公園とは名ばかりの森林から家に帰った。その途中、いつかの台風の落し物であろう、「立ち入り禁止」の標識が落ちているのを見つけた。ふと、思いついて、さやかはそれを木の陰に隠して埋めた。


 夜になり、「コンビニへ行く」と言い残してさやかは昼間の森へ戻って行った。標識を掘り起こすと、廃屋の道の入り口の電信柱の横に立った。目線をあげると、樹木と言うにはまだ低い木が、ブロック塀を超えて、頭を出していた。

――これくらいの位置がいい

 さやかは家から持ち出した透明なガムテープを取り出すと、ブロック塀の上に置き、飾り彫りに足を掛けて塀の上によじ登った。標識の端にガムテープの先をくっつけて、標識の背後から電信柱に押し当てた。そのままガムテープをひっぱって、ぐるぐるとテープを巻きつけていく。何周も、何周もするうちに、標識の重みでもテープが剥れないようになってくる。さやかは念には念を入れて、更に何十周もぐるぐるとテープを巻きつけると、ようやくその手を休めた。
 すでに息は切れ、あのときのような荒い息が耳障りだった。
 さやかはブロック塀から降りるとその標識を見上げた。不恰好で、満足いくものではなかったが、とりあえずその出来に納得することにした。

――これでここに立ち入る人はいない

 標識でいき場を埋めた。


 卒業式まであと1週間を切ったその日、さやかはいつもの登校ルートからはずれ、あの廃屋に向かっていた。
 その日は雨が降っていた。
 長靴がじゃばじゃばと音を立てた。
 濡れた髪が頬に張り付き、うっとうしかった。
 私を雨から守ってくれるはずの傘は、私を守ってくれない人たちが使って失くしてしまっていた。
 仕方無しにザーッと無音に近いノイズを聞きながらその標識の先を目指した。
 隣を行くのは普通の学生たち。
 雨を凌ぐ傘を差して、当たり前に守られて、濡れている私を避けるように早足で学校に向かっている。
 さやかは道を折れ、廃屋の中へ進んで行く。
 中は高い湿気が埃の匂いを強調し、灰色の森の中みたいだった。
 屋上は雨が降っても足元が少しざりざりしていた。
 見下ろした世界には、普通の人たちが行き交っていた。
 さやかも、1日前まではその中を歩いていた。

――なんでだろうな。

 緩やかに死へと蛇行して行く彼女を、止めようとする人はおろか、気付く人もいなかった。

――明日、死んでしまおう

 すべての準備が整った後、だらだらと生きていた私は、昨日天啓のようにそう思った。
 雨が降ったら、長靴を履かなくちゃ。
 そんな感情と同じ強さで、そこから落ちることを決めた。
 
――明日は落ちるだけなのに、長靴を履こうなんてばかみたい

 廃屋に満ちた埃と灰色はあの時の感情を同調させた。
 さやかはくすりと笑うと、欠けた柵の間を通って、歩くように落ちた。



 その浮遊感は一瞬で、永遠だった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

頭の中のSzkieletor 【勝手に小説】

原曲は、k_zero+Aさんの、頭の中のSzkieletor(http://www.nicovideo.jp/watch/sm14518246)です。
聞いてて中毒になりました。
お勧めです!
と、いうことで、特に許可とか取ってないんですが、勝手に二次創作してみました。苦情が来たらすぐに消すかもしれませんが、苦情が来てる事に気付かなかった場合は、放置される可能性が高いので、悪しからず(ぁ

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閲覧数:137

投稿日:2011/05/25 16:58:23

文字数:5,940文字

カテゴリ:小説

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