双子の一人が言った。オルゴールのぜんまいを巻きながら言った。
「きみは、なぜ食べているんだい」
 言われてみると、たしかに僕は食べていた。何を食べているのかはちょっと分からない。
 それでもなにか差し迫った理由が、気まぐれや道楽のようなものではない差し迫った理由があって、僕はそれを食べていた。その理由が何かは分からないし、いつから食べているかも分からない。でもやめるわけにはいかないのだ。
 僕がそれを言うと、双子のもう片方は手の平を見せて笑った。
「気にしなくていいよ。僕らはなにも、きみが食べているのを邪魔しようってわけじゃないんだから」
 笑いながら、その目はとても残念そうに見えた。僕の心の一部はすまない気持ちになったが、食べることだけはどうしても止められそうになかった。僕はむしゃむしゃと音をたてて食べ続けた。

 しばらくして、双子の一人がふたたび口を開いた。
「ねえ、幸せ?」
 僕は食べる手を休めずに少し考えて、幸せかもしれない、と答えた。答えてから、幸せでないかもしれない、と思った。幸せでないと思うと、僕はとんでもない大罪を犯しているような気分になった。こんなに食べているのに、僕は幸せでないのだ。
「気にしなくていいよ。きみが幸せでなくたって、僕らはなにも言わないから」
 また、もう一人の双子が言葉を継いだ。しかし双子はすみずみまでそっくりだったので、今のが先ほど「気にしなくていい」と言ったほうなのか、それとも違うのか、僕には判断がつかなかった。それよりも、僕が幸せなのかどうかが知りたくて、僕はいっそう食べ続けた。一つ食べるたびに、僕の中の幸せに対する考えはほつれた糸くずのようにまとまりなく投げ出されていった。「幸せ」という言葉の意味さえ、いつしか僕の中から失われていき、それは幸せという文字から幸せという記号になった。僕は幸せかどうかも分からないまま食べ続けた。食べ続ける僕の周りを、双子は常に動きまわっていた。

 双子はオルゴールを持っていた。同じ形のオルゴールはずしりと大きな木製の箱で、それを胸に抱えて絶えずぜんまいを巻きながら、双子は歩いたり、しゃがんだり、背伸びをしたりした。二人がぜんまいを巻いている間、オルゴールはりんとも鳴らなかった。
 オルゴールの音色が必要だ、と僕は唐突に思った。それを聞けば僕は食べ終えることができるかもしれない、と思った。食べることが幸せかどうかも分からないまま、僕はそれが終わる瞬間を期待していた。
 僕がそれを言うと、双子の一人は重々しく首を振った。それは葬式かなにかで披露されるべきではないかと思えるほど荘厳な否定だった。
「悪いけど、これは止めるわけにはいかないんだ。きみが食べるのをやめるわけにはいかないのとおんなじさ」
「どうしても?」と僕はきいた。
「どうしても」ともう一人が言った。
 しばらく沈黙が続いても、二人はぜんまいを巻き続けていた。

 それはきっかけだった。
 いちど食べなくなると、それは少しばかり苦しいけれども、どうにか両手を膝にそろえていられるらしかった。食べることを考えずにその箱だけを見ていると、そのうちにオルゴールのことだけで頭の中はいっぱいになった。
「食べないの?」と双子の一人がきいた。
「食べない」と僕は言った。
「食べないと幸せになれないよ」ともう片方が言った。言われてみるとそんな気がした。けれど僕の手はもう食べるためには動かなかった。食べることがどういうことなのか、僕の両手は忘れてしまったようだった。
「食べてよ」と先に言ったほうが言った。
「食べてよ」ともう一人が繰り返した。
「食べない」と僕は言った。
「食べようよ」と双子は騒ぎたてた。「食べるよね」「食べるでしょ」「食べなくちゃ」「今すぐに」。
 僕が黙っていると、双子は声を荒げて早口でわめきちらした。早口すぎて何を言っているのかよく分からなくなってからも、口端に泡をつけたまま、双子は際限のない恫喝を続けた。二人の顔はどんどん赤くなっていき、ぜんまいを回す手もどんどん速くなっていった。二人の大声の間で、ぜんまいはみしみしと苛立たしげな音をたてた。

 べきんばきんと音がして、とうとう二人のぜんまいの軸は折れてしまった。真っ赤になった二人はそれまでの剣幕が嘘のように静まりかえり、唖然として互いの箱を見つめた。オルゴールから最初のメロディが流れた。二人の顔からはみるみる血の気が引いていき、やがて能面のようになった。第一楽章が終わると、双子は煙のように消えてしまった。
 残された二つのオルゴールが奏でるメロディには少しのずれもなく、それはぴったりと重なっていた。曲は第四楽章まであり、それが終わるとまた第一楽章が始まった。
 僕は食べ終えたらしかった。再び食べることもないという漠然とした予感もあった。三回目の第一楽章が始まった。硬い床の上で、僕は急いで眠りについた。折れたぜんまいが二つ、顔の隣に転がっていた。






 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【小説】食べる

2007年8月の作品。
重篤な村上春樹ですね。。。

もっと見る

閲覧数:208

投稿日:2016/04/17 12:44:16

文字数:2,064文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました