あ、でも……。
「あの……巡音さん、ちょっといい?」
 俺は気になっていることを訊いてみることにした。
「あ、うん。何?」
「多分これ、ひどく失礼な質問だと思うんだけど……巡音さんも、時々、さっきみたいな状態になってたことがあったんだよ。自覚があるのかどうかはわからないし、最近はそんな対応しないから、言わない方がいいような気はするんだけど……やっぱり気になって……」
 つまり巡音さんは何も考えずに喋っていたんだよ、あの頃は。
「……わかってる。わたし、考えるってことから逃げてた」
 あ……気づいてたんだ。
「自分の考えを持って、それを否定されるのが怖かったの。私自身が否定されているみたいだし……」
 おいおい、それは幾らなんでもネガティヴすぎるぞ……。あ、でも、それにはもう気づいているし、自分の考えを持って話もするようになったんだよな。
「でも、結局、自分の考えとか意見を持つようになったんだよね? きっかけは?」
 それがわかれば、お姉さんもどうにかできるかも。
「多分、鏡音君がわたしの問題点を指摘したからだと思う」
「え?」
 意外な答えが返ってきた。俺がきっかけなの?
「鏡音君、わたしに言ったわよね。『自分の意見ってものがないの?』って。あれ、そのとおりで、わたし何も言えなくて、ショックでわたし、頭の中が真っ白になって……でもその後で気がついたの。わたし、考えることから逃げていたんだって」
 あ……確かに言った。あの時の巡音さんは、まさにロボット状態がひどくて、俺は結局頭に来て、きつい口調でそう言っちゃったんだっけ……。その直後に巡音さんが倒れてしまったから、俺としては言ったことを悔やむはめになったが……どうやら、一種のショック療法になっていたらしい。
「同じことをお姉さんにやってみたら?」
「もうやってみたわ。でも……駄目だったの」
 気落ちした表情で、巡音さんは肩を落とした。沈んだ様子を見ていると、俺としても胸が苦しくなってくる。かといって、気軽に「元気出せ」とも言えないしな……。
「……巡音さん、もう一人のお姉さんのこと、訊いてもいい?」
 確かもう一人お姉さんいたよな。姉貴の後輩だったって人。こっちのお姉さんのことも、巡音さんはあんまり話したくないみたいだけど……。とはいえ、姉貴が懐かしんでるぐらいだから、ロボットってことはないだろう。
 巡音さんは頷いた。訊いてもいいのか。
「もう一人のお姉さん……ハクさんだっけ。その人はロボットじゃないんだよね? ロボットだったら、俺の姉貴と話なんかできないだろうし……」
 ロボット状態の人間を前にして、姉貴が黙っていられるとは思えない。絶対修羅場になる。
「ハク姉さんはロボットじゃないけど……三年前から部屋に引きこもって出て来ないの。わたしが部屋に行けば入れてくれるけど、他の家族は無理。絶対に入れようとしないし、話もしていないわ」
 部屋に引きこもってるって……。巡音さんが話したがらなかった理由はそれか。しかし、上の姉はロボット、下の姉は引きこもりって……。何をどうしたらそんな状態になるんだ?
「何だってまたそのお姉さんは引きこもりを?」
「……それがわからないの。ハク姉さん、何も話してくれないし」
 巡音さんは暗い表情で首を横に振った。
「でも……もしかしたら、わたしのせいかも。」
 おいおい……幾らなんでもそれはないよ。考えすぎだって。
「巡音さんのせいってどういうこと?」
「うちの学校、お父さんの母校でもあるの。お父さんはわたしたちを全員、あそこに行かせたかったんだけど……ハク姉さんだけ、受験に失敗してしまったの」
 あ……だから巡音さんは、ユイが落ちたって聞いた時に暗い表情してたのか。お姉さんが落ちた時のことを思い出しちゃったんだな。
「わたしとハク姉さんは四つ離れているから、ハク姉さんが高校受験に失敗した次の年、わたしは中学受験することになって……わたしの方は受かったのよ。ハク姉さん……もしかしたら、それがストレスになったのかも……」
 えーと……それは要するに「自分より優秀な妹は欲しくない」ってことか? あったよな、『エンダーのゲーム』にそういう台詞が。あれは両方男だから正確には妹じゃなくて弟だし、ピーターは一番上だけど。参ったな……どうなってんだ。というか、優秀に生まれつくのなんて、その人のせいでもなんでもないじゃないか。それにあの本読んだら、大抵はピーターの方に腹を立てるぞ。ま、それ以前にピーターは性格破綻者だけど。
 あれ? でも待てよ。何か変だ……。
「巡音さん、お姉さんが引きこもったのは三年前からって言ったよね?」
「ええ。三年前の冬だったわ」
「じゃ、巡音さんは中学二年だよね?」
「ええ」
「じゃあ、原因は巡音さんじゃないよ。時間が開きすぎてる。巡音さんが合格したことが原因なら、もっと早く引きこもってると思う」
 一年以上も経ってから、それが原因で引きこもるなんておかしいよ。
「姉貴の話だと、高校生活自体は結構楽しんでいたみたいだし、受験の失敗が引きこもりの原因とは考えにくいよ」
 楽しんでなかったらバドミントン部なんか、とっくにやめてるよな。姉貴の話だと結構ハードだそうだし。
「え……そうなの?」
「姉貴はこの手の話で嘘つかないよ。巡音さんのお姉さんより二学年上だから、引きこもった原因までは知らないだろうけど」
 巡音さんは、多少ほっとした表情になった。とりあえず、気がかりの一つは消えたか。……大本の問題がまだ残ってるけどね。
 でもこれ、巡音さんが一人で悩んでも仕方がないんじゃないかなあ。俺だったら、姉貴がこんな状態になって、話しても話しても埒が明かないってことになったら、多分諦めて放っておくだろう。……まあ、そんな状態になる姉貴ってのは、想像がつかなかったりするが。
 俺は巡音さんを見た。やっぱり思いつめているみたいだな。言葉を選ばないと。向こうは俺と違って繊細にできている。
「あのさ……巡音さん、お姉さんのことは、あんまり悩んでもしょうがないと思うよ。兄や姉って立場の人は、弟や妹に弱みを見せたくないって思うみたいなんだよね。俺の姉貴だって、あんまりそういうこと言わないしさ」
 それ以前に姉貴に悩みはあるのだろうか。……まあいいや、嘘も方便だ。
「でも、鏡音君のお姉さんはわたしの姉とは全然違うわ。仕事もしてるし、鏡音君と毎日話もしてるんでしょう? わたし一週間前にハク姉さんと揉めちゃったんだけど、それからずっとハク姉さんとは話してないの。ルカ姉さんとは、昨日話したんだけど全然埒が明かないし」
 それが、巡音さんの答えだった。これじゃ堂々巡りだ。どうするか……もういっそのこと姉貴に頼み込んで、ハクさんって人と話をしてもらおうか。片方だけでもカタがつけば、巡音さんだってもう少し落ちつけるかもしれない。
「あの……巡音さん、さっき『誰にも言わない』って約束しちゃっけど、ハクさんって人のことを、姉貴に話したら駄目かな? 実は姉貴、ずっと心配してるんだよ。何かあったんじゃないかって」
 ……嘘だけどさ。ま、後輩が引きこもってるって話聞いて、黙ってる人じゃないよ。俺の姉貴はね。だからいいんだよ。
「この前に巡音さんが家に来た時の受け答えで、『なんかおかしいな』って勘づいたみたいで……あれで結構勘がいいんだよ。姉貴はハクさんの先輩なわけだから、無関係じゃないしさ」
 巡音さんはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。……よし、じゃあ、後で姉貴に話しておこう。巡音さんと会ってたことをあれこれ言われたら……いや、会ってたなんて言う必要はないか。昨日聞いたことにしておけばいいんだ。昨日はあのカイトとやらのせいで、そんな話する暇無かったって言えば、姉貴も疑わないだろう。
 俺があれこれ考えていると、いきなり右の肩にずしっと重みがかかった。……何だ? 見ると、巡音さんが俺の肩にもたれかかって、瞳を閉じている。
「……巡音さん?」
 返事はなかった。
「巡音さん? 巡音さんってば」
 やっぱり返事が無い。……眠ってしまったようだ。ここは公園なんだが……こんなところで無防備に寝ちゃっていいんだろうか。十一月の割に今日は暖かいけど、天気が崩れるかもしれないし……起こした方がいいような。
 そう思ったのだが、俺は巡音さんを起こす気になれなかった。今日寝坊したっていうのも、ひょっとしたらお姉さんのことで悩みすぎて眠れなかったのが原因かもしれないし。少し寝かせてあげた方がいいのかもしれない。
 ……なんていうか、本当に無防備だな。ちょっと手を伸ばして、頬に触れてみる。……柔らかい。そっと指を滑らせてみたい気もするけれど、そんなことをしたら起きちゃうだろうな。……もうよそう。
 よそうと思ったのに、なんで俺はやっているんだ!? いい加減にしろよ。相手は眠ってるんだぞ。眠ってる女の子にちょっかい出すなんて……。
 俺の頭に、いつぞやの夢が甦った。巡音さんが眠り姫になっていて、キスしたら目を覚ました夢だ。だから、なんでそんなこと思い出すんだよっ。これは夢じゃなくて現実なんだから、巡音さんにキスしたら……まあ、起きはするだろうな……そして俺は築き上げた信頼を失うだろう。巡音さんは以前、ガラスに閉じ込められるとどうのと言っていたが、むしろ巡音さん自身がガラス細工だ。
 ……このまま巡音さんの寝顔を見ていたら、また妙なことを考えてしまいそうだ。俺はため息をついて、目の前に広がる公園の池に視線を向けた。水鳥が水面を漂っている。……あーあ、のんきそうだな、あいつら。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第三十話【折れた翼であの子は歌う】後編

 肩にもたれての居眠りの構図を想像すると、東京メトロのマナーポスターが真っ先に頭に浮かぶんですが……。あのポスター色んな意味でインパクトありすぎました。
 どんなポスターか知りたい方はこちら。九月のポスターです。
http://www.tokyometro.jp/corporate/csr/society/manner/index.html

閲覧数:880

投稿日:2011/11/22 22:50:51

文字数:3,975文字

カテゴリ:小説

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  • 苺ころね

    苺ころね

    ご意見・ご感想

    読みました~
    リン、ついにレンに相談しましたね~

    マナーポスター見ました。
    リンがあんな顔でレンによっかかってたらイメージが・・・

    2011/11/26 18:20:55

    • 目白皐月

      目白皐月

      納豆御飯さん、こんにちは。感想ありがとうございます。

      こういう「重い悩み」って、そう簡単に話せないんですよ。
      簡単に話す人は、別の問題抱えてるんです。

      鳥バカにはあのポスターがすごく可愛いんですよ。
      ちょうど九月に飼い鳥のイベントがあったのですが、最寄の地下鉄駅にこのポスターが貼ってあって、みなさんこの話で持ちきりでした。

      2011/11/26 23:32:10

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