古いソファの上、上体を積み上げたクッションに預けただらしのない恰好で、一字一字をゆっくりと拾い上げるようにアヤが本を読んでいた。飲み物を取りに来たついでに獣はその傍に立ち寄って、ちらりとアヤが読んでいる本に視線を落とす。
「その話、全部アリスの夢だったんだ。白ウサギの穴なんかに落ちてなんかいない。アリスがハートの女王に首を落とされる前に目を覚ますよ。」
通り過ぎながら、獣は嫌がらせの言葉をアヤの上に落とした。まだ半分も読み終えていない物語の結末を言われてしまったアヤは、盛大にしかめっ面をして、言うなよ馬鹿。と獣に悪態をついた。
アヤは毎晩この塔に戻ってくるようになった。そして勝手に蔵書に手を伸ばし、文字を独学で学び始めていた。自分の力で学ぶんだから、あんたが言う、とうかなんとか、っていうのは必要ないだろう?そうアヤは言って勝手に本を紐解き、少しずつ少しずつ、学んでいった。
家具やらなんかの物置として使っていた一階玄関ホールと二階の大広間をつなぐ、巨大な階段踊り場の暖炉の前。沢山のクッションと毛布を持ち込んで、アヤはそこを勝手に自分の寝床にしていた。塔の隅で埃をかぶっていたテーブルやソファなんかを置いて並べて囲んで。この塔の中でアヤは少しずつ自分の居場所を整えていった。
ある日、アヤが自慢したいものがあると、普段は使用していないこの場所まで獣を引っ張ってきたときには、もうそこにはまるで秘密基地の様な居心地の良いアヤの為の空間が出来上がっていた。
今更壊すのも面倒だったし、ここならばアヤが居ついてしまっても煩くないだろう。と、獣は顔をしかめながらもアヤの秘密基地を黙認した。
アヤがここにやってくる事を止める事が出来ないと解った獣は、アヤの存在を無視しようと思った。アヤなど居ないものと考える。そう思ったはずだった。
だけど、無理だった。
上手に距離感を測れない獣は、上手にアヤを無視することが出来ず、声をかけてしまって激怒して嫌がらせをして苛立って。
けれど、それなのに。アヤは、顔を顰めてふくれっ面になってべえと舌を出して怒鳴り返して、そして結局笑った。獣に笑顔を向けてきた。
「なあなあ。昨日、おれが土産に持ってきたパン、食べたか?」
今だって、先ほど嫌がらせをしてきた相手にアヤはそう朗らかに声をかけてくる。読んでいた本を下ろして期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「私に食物は必要ない。と前に言っただろう?」
そう素っ気なく獣が言い返しても、けど食べる事は出来るんだろう?とアヤは負けずに言い返してくる。
「なあ、美味かっただろう?」
そう目を輝かせて問い掛けてくるから。その明るい眼差しを避けるように、ふいとそっぽを向いて、知らない。と獣は言った。
「食べていないから知らない。」
「なんだよ。せっかくおれが作ったんだから、食えよ勿体ない。」
そうふくれっ面になったアヤに、獣はそうだったのか。と心の中で呟いた。
先日まで露店の荷物運びを手伝っている。と言っていた。けれど。今はパン屋の下働きでもしているのだろうか。そんな憶測が獣の中で生まれたが実際どうなのか、アヤに確認をしなかった。別にアヤが外で何をしていようが、獣には関わりのない事だったからだ。
「あーあ。分からない文字が出てきたから、あんたに教わろうと思って持ってきたパンだったのにな。」
そう残念そうにため息をつくアヤに、そんなものじゃあ対価にはならない。と獣はふんと鼻で笑った。
「あんな安いパンでは何も教える事は無い。」
「確かに安いパンだけど。あれだよ、おれの真心が詰まったパンだよ?プライスレスだよ?」
「どちらにしろパンは食べていないから、教える事もない。自分で考えろ。」
「けちけち、けーち。」
へんな節をつけて歌う様に言うアヤに、誰がケチだ。と獣は言いかけて。アヤに対して子供のようにむきになってしまっている自分に気がついて。獣は、自分が間抜けな存在のような気がして俯いた。
「どうしたんだよ。眠いのか?」
自己嫌悪に口を閉ざした獣に、アヤは首をかしげて手を伸ばす。
ためらう事を知らないその温かな手が、冷たいままの獣に触れてくる。獣の気も知らないで、今まで獣が必死で築き上げてきたものすらアヤはたやすく飛び越えて、触れてくる。
それは痺れるように甘く心地よい、だけど、とても恐ろしいもの。
ぱん。とその温かく小さな手を払いのけて、獣は嫌悪感を露わにしてアヤを睨みつけた。
「鬱陶しい。触るな。」
そう獣が低い声で唸るように言うと、アヤはきょとんと眼を丸くして、そしてごめん。と少しだけ残念そうに笑った。
「おれ、もうすこしこれ読んだら寝るよ。」
おやすみ。とアヤが穏やかな声で言う。
そんな風に穏やかに、おやすみ、と獣には言えない。ふいと何も言わないまま踵を返して、獣は仕事場である最上階の書斎へ足早に向かった。
―遠慮なくアヤは近寄って私に触れてきました。
温かさを与えてくれました。言葉をくれました。アヤが与えてくれるもの全てに甘えるくせに、私はどうすればいいのか分からなくなってしまって、いつも最後には逃げ出していました。
そんな私の弱さをアヤは分かっていたのでしょうか。それともアヤ本人がとても強かったのでしょうか。
逃げ出す私をそれでもアヤは追いかけて掬いあげてくれた。
傲慢な私の本当を、アヤは知っていたのでしょうか。
どうして。と、尋ねる事すら、だけど私にはできませんでした。
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