千歳SIDE。



「暑い・・・・・・・・・・。」
 夏が暑い。それはみんな知っている。だからって、こうも暑くなくてもいいのかと、悪態くらいはつきたくなる。
 千歳、大学2年。本屋バイトの最中の休憩時間に考えたことだった。いやこんなの考えるよりは、さっさと飲み物買って休憩室へ戻った方がいい。
 蝉の鳴き声は乱反射して、五月蠅い。子どものころは虫取り網を持ってよく捕まえたけど、もう二十歳になると追いかけている余裕がない。小さい頃の自分は、あんなに小さくて、羽根が生えてすばしっこい生き物を追いかけていたんだと思うと、感心する。
「あ、コーヒー売り切れ・・・・・・・。」
 夏の空は不気味なくらい青くて、雲がパレットからぶちまけたように散らばっている。
「ならお茶だ。」
 まあ夏場だから当然、冷たい飲み物はほとんど売り切れに近い。お茶でも残っているんだから有り難い。
「あ~なんでこうひんやりしてるんだ。気持ちいいじゃんかこんちくしょう。」
 首筋にキンキンに冷えたお茶を当てながら、俺はバイト先へと足早に向かった。
 太陽の紫外線は常に降り注ぐ。多分今日は太陽は休憩なしなんだろう。
「太陽も休憩がないと思うとちょっと可哀想だよな。」
 なにせ、常に輝いていないといけない。休みなんて、許されないのだから。一秒の休みも許されず働いているに近い。と、太陽に同情を覚えても仕方ないので、本屋へと戻る足を早めた。
「暑い・・・・暑い!」
 悪態を吐きながら、ようやく店の前に辿り着いた。店内に入ると、クーラーが効いていて一気に涼をとれた。
「ふはぁ・・・・・・・・・。」
 蝉の声は店内に入っても、ドアを開いている限りは聞こえる。あの生き地獄と思えるような外へ出て行くのは勇者くらいだろう。
 とか思っていたら、見知った顔がすれ違って外へ出て行くので、思わず声をかけた。
「あれ?舞さん?」
 歩いていた足がピタっと止まり、こちらに踵を返した。ストレートに垂らしたロン毛を靡かせ、視線が一、二度交わされる。表情は無表情だったけど、それもすぐに崩れて笑顔になった。
「千歳君!バイト先ってここだったんだ!久しぶりだね~。」
 以前の自分が知っていた明るさは、まだ健在だった。
紫舞。それが彼女の名前。
「はい、お久しぶりです。」
「そだ、折角会ったんだから、今日飲みに行かない?いい飲み友達も見つけたの。きっと千歳君のタイプだよ!」
「あっははは。本当ですか?それならぜひ誘ってください。」
 いつもいきなり、唐突に発案するのはこの人の性格だった。でも、いつも悪い気はしない。ここまで明るいと、小さい苛立ちとかは全く感じない。
「うん!そうするよ!それじゃあ私用があるから、あとはメールでね。」
 そそくさと灼熱地獄へ走り去る舞さんを見送ったあと、自分の腕時計を見た。そして、秒針の刻みに目を疑って、自分の目を擦る。
「・・・・・・・・・・・・・ん?」
 秒針は規則正しく、しっかりと自分の役目を務めながら、現在の時刻を知らせていた。
「休み時間・・・・・・・・・なくなった。」
 手から、冷たさを少し失ったお茶が、床へと落ちた。店長の休憩時間の終わりを告げる声がここまで絶望的なことってあっただろうか。いやない。ドアが開き、蝉の合唱が店内に流れ込む。その声が自分を嘲笑っているように思えてしかたなかった。
 それでも、久しぶりに舞さんとお酒を交わすとなると、胸が躍る。



「やっぱり暑い・・・・・・・・・・。」
 夏は太陽が出ている、いないに関わらず暑い。それを現在進行形で実感していた。バイトを終えて、自分の携帯電話を見ると、着信メールが1つ。
『昼は本当に久しぶりだったね!いつも行く居酒屋にいるから来てね!友達もいるから!』
 いつも行く居酒屋は、大学に入り立てのころ自分がよく通った居酒屋のことだった。そこで舞さんとも出会った。ただ、最近はバイトで忙しかったし、舞さんと一緒に飲むことが滅多になくなっていたから、楽しみだ。
「あの人とお酒飲みながら話すのって本当に楽しいんだよな。笑える話しが多いし、酔うとまた面白いし。」
 夜の暑さは昼のような直接的なものじゃない。湿度による蒸されるような暑さだ。でも。
 暑さが自然と不快にならなくなったことには気づけずに、久々に見る真っ白なのれんを潜った。
 中に入った途端、周りは人の声で満たされた。
 笑い声、嘆き声、怒りに満ちた声。色んな人の色んな感情がごったがえしている。この感覚が何より好きだ。なぜか知らないけど。
「落ち着く。」
 よくある居酒屋と同じような店内の装飾。帰宅の途中で店により、馴染みの店長に愚痴をこぼすサラリーマン。自分と同じくらいの年であろう若者が開いている合コン。
 そして客の対応におわれて必死に働く店員の顔ぶれ。変わっていなかった。
 直後。
「ちっ、とっ、せっ、くーーーーーーーーーーーーーーーん!」
 感傷に浸りかけていたら、昼に聞いたばかりの声に一気に現実に引き戻された。
 声のする方向を見ると、舞さんが腕をぶんぶんと振りながら手招きしていた。
「久しぶり!さっき会ったけど久しぶりだね!」
「確かに舞さんとお酒飲むのは久しぶりですね・・・・・・。あ、この人が。」
「あ、ども。柚木って言います。木暮柚木。普通に柚木って呼んでください。呼び捨てで。」
 短く切られて整えられた短髪からは、ボーイッシュな感じがする。明るそうだし、また一緒に飲むと楽しそう。そんな印象を受けた。
 早速三人で注文する品を考えるのだけれど、それだけでも二人を見ていると楽しかった。
「いいえ!絶対にとり軟骨です!外せないでしょ!?」
「違うよ!柚木ちゃん、ここは枝豆なんだって!」
 ありきたりな一品の注文でもここまで論議する二人は、見ていて本当に退屈しない。参加してもよかったけど、その前に店員を呼ぶ。よく知っている人だった。
「すいません。」
「はい・・・。あ!お久しぶりです!千歳さんですよね!」
「うん、久しぶり、倉子ちゃんだよね?ちゃんと覚えてるよ。とりあえずビール3ついいかな?」
「はい!大丈夫ですよ!」
 元気よく返事を返すこの子は、笹川倉子。バイトで入ってるのだけれども、結構この店に長くいる。多分もう一年くらい。確かもう一人バイトの子がいた。そろそろ髪を染めたいんじゃない?と聞くと、バイトでのルールですからと返された。
「それじゃあ、持ってきますね。」
「あ、そうだ倉子ちゃん。嶺は元気?」
「はい!今でもバイト頑張って続けてますよ!」
 それだけ言うと、倉子ちゃんは踵を返して厨房へと去っていった。まだ夜になってそう時間もたっていないけれど、店内は凄く五月蠅い。でも、居心地がいい五月蠅さで、好きになれた。
 一方柚木と舞さんはまだ一品料理について論議・・・というよりもう喧嘩に近いものになってる。仲はいいんだろうか、一抹の不安を覚える。杞憂に違いないけど。
「だからアスパラベーコン!」
「柚木ちゃんは分かってない!わかってないよ!絶対に!」
「間をとってフライドポテトでどうですか?これも定番ですよ。」
「う・・・・・・・・・。」
「うん!じゃあそれでいこう!」
 こんなことがあるから、舞さんは楽しい。それに、どうやら柚木も面白い人のようだから、自然と俺は笑った。
 こうして舞さんと居酒屋で過ごすのも久しぶりだけど、いつもよりずっとよかった。柚木がいたからだと思う。舞さんが何か言うとそれにつっかかり、そしてごたごたともめだす。すぐ傍で見ていても、近所の子どもが喧嘩しているように見える。それくらいの程度の微笑ましく思えてしまう光景。
ああだこうだ、こうだああだとお互いに意地を張って喧嘩して、そして膨れて見せる。
そうして注文を取り付けている間に、持ってこられたビールを三人で仰ぐ。
アルコールが血管を巡って、ビールの冷たさは体を内側から爽快感で満たす。血液が血管と摩擦しながら流れる音。実際には聞こえないとわかっていても、この時だけはそれを感じるような気がしてならない。
「ふっはぁ。」
「う~~~~~~~~~~。」
「ふぅ。」
 各々がビールを口にし、吐息が漏れ、声が漏れる。
 おつまみも運ばれ、味の濃い数々のおつまみを口に運び、そして三人で最近あったことだとか、気にくわない人の愚痴だとかを延々と言い合っていた。その度に、笑い、共感し、励まして、慰める。お互いの弱みをわざとさらけ出して、共感してもらえれば心地よく感じて、共感してもらえなければ仕方ないと諦める。でもその諦めは、笑いの種になる。
 ああ、そうだ。俺はだからここが好きなんだ。なんでも遺伝子みたいに共有できるこの場所が。
「千歳君が含み笑いしてる。」
「え?そうですか?そんなことないですよ。」
「いや、してましたよ。」
柚木までそんなことを言う。考えていたことが顔に出ていることよりも恥ずかしいことはなくて、少し黙った。
そこから先はまた同じ事の繰り返し。でも、それが素晴らしく楽しくて、平和だった。
 その後のことは、正直覚えてない。みんなで笑ったとか笑ってないとか、ヤケになった勢いで更にビールを飲み干し、記憶が飛んでいた。
 お金は確か舞さんが払ってくれていた。大丈夫と訊ねられたから、大丈夫と自分から言ったはずだった。・・・・・・正直ちょっと大丈夫じゃないかもしれない。
 迷惑をかけまいと思ったけど、これは好意に甘えてもよかったのではないだろうか。
 どうしようか。明日もバイトが入っているけど、アルコールが抜けていなかったら、まずい。
 夜の街灯の明かりが粒子になって、街に降り注ぐ。
 どこからか湧いた蛾は、ひらひらと舞う夜の蝶よりもずっと劣った。
「頭が・・・・・・痛い。」
 ――サイレンが、五月蠅い。
 ――視界は大丈夫。
「家についたら、もう大人しく寝よう・・・・・・・・。」
 千鳥足にはなっていない。大丈夫だ。
「はは、ちょっと情けないな。これは。」
「お兄さん~。そこの酔ってるお兄さん。無料にするから占いしてかない?未来をズバっと当てちゃうからさ。」
「あとで・・・・・・・・・・・・。」
 路上で商いをしている占い師を適当にあしらい、自宅へ急いだ。
 まだネオンの毒々しい色が誘惑していたけど、そんな誘いに乗る気にはなれなかったし、乗る気もなかった。
 久々に楽しかった。バイトや大学での嫌なことを忘れることができて。舞さんと話すといつもそうだ、あの人はいつも何かを引っ張る力を持っていて。それは暗い気分でさえ強引に、根を張っていてもその根っこごと引っ張って太陽の下にさらけ出して、包んでしまう。
「う・・・・・。痛い。」
 とかなんとか考えても、やっぱり頭は痛い。
 大人しくさっさと家に帰って、寝よう。頭を抑えながら、家へと向かう足取りをあげた。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

ツイッター企画 一話 千歳SIDE

主人公に配役した千歳さん視点の一話

閲覧数:337

投稿日:2012/01/05 21:04:26

文字数:4,486文字

カテゴリ:小説

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