第六章 01
王宮の廊下を、焔姫が走り抜けていく。その後ろを、男は必死に追いかけていた。
「ひ、め……これ、は……いったい……?」
息が続かず切れ切れになりながらも、男は焔姫に尋ねる。
「……余にも分からぬ。地下の祭壇から出てきてみればこの有り様じゃ。このうつけどもは一体どこから湧いてきたのやら」
焔姫は急に立ち止まり、耳をすます。それから「こっちじゃ」とつぶやいてまた走りだした。追いかけていくと、その先――朝夕の祭事や謁見などを行う広間だ――からは剣戟の音が聞こえてくる。
廊下には、血を流してこと切れた者が幾人も倒れていた。近衛兵だけでなく、侍従侍女であろうと王宮の文官であろうとお構いなしに殺されている。
「なんとむごい……」
以前見た、壊滅した野営地よりも生々しいそれを見て、男は吐きそうなほど気分が悪くなる。が、ここでそんな事をしていては自分もすぐに彼らの仲間入りだ。男は彼らに対して無礼だとは思いつつも、努めて焔姫を見るようにし、彼らを視界に入れないようにまたぎ越していく。
一階に賊の姿は無い。すでに戦場は二階へと移っているのだ。それはつまり、近衛兵たちが賊に押し負けているという事を意味している。
「……奇襲としては、こやつらは文句のつけようのないくらいにうまくやっておる。認めたくない事じゃが、どうやら混乱で軍もあと一刻ほどはまともに機能せんじゃろう。しかし、それほどの時間があれば、どちらにせよ決着はつく。軍をまとめようとするよりも賊を直接討った方が早い」
こんな緊急事態であっても、焔姫の分析はあまりに冷静だった。
「……しかし、初手で余を仕留めなかったのはこやつらの最大の失策じゃな。この国の事を少しでも知っておれば、奇襲という手を使って必ず倒しておくべきは、国王やその他の有象無象どもよりもむしろ余であろうからな」
焔姫は一度だけ振り返ると、怒りに燃えた琥珀の瞳を男へと向け、にいっと笑う。
「余が健在である限り、この国は落ちぬ。安心せよ」
焔姫についていくだけで精一杯だった男はすでに返事も出来ないほどに息が上がってしまっていたが、寒気すら感じるほどの焔姫の笑みに、男は苦笑してしまった。
こんな状態になっていようとも、焔姫がいれば大丈夫だと、そう思えてしまったからだ。
しかし、そんな焔姫の笑みが少しだけかげる。
「じゃが、こやつらはもしかすると……まさかの」
男には分からないが、焔姫には思い当たるふしでもあるのだろう。そんな風につぶやいては首を横に振って否定する。
「心当たりが……おありなのですか?」
「……これは、余が招いた事かもしれぬゆえな」
それだけ言うと、焔姫は口をつぐむ。確信を得るまで、答えるつもりはないようだった。
ほどなく二階の広間に出ると、何とか奮戦し生き残っていた五人ほどの近衛兵が、十数人ほどの賊に囲まれていた。
かろうじて持ちこたえてはいたが、バルコニーへと追い詰められており、絶体絶命だった。
「……まったく、余の国でずいぶん好き勝手してくれおる」
焔姫はそんな賊の背後に無造作に近づくと、わざと聞こえるようにそう言った。
「なん――」
銀光が一閃する。
怪訝そうに振り返った一人は、驚く事すら出来ないまま両断される。
「んだてめぇ!」
「……姫!」
「貴様が例の――」
「これで助かる……」
敵と味方の声が入り乱れる。
「余の民の命を奪った罪、汝らの血であがなう事としよう。死にたい順にかかってくるがよい。余の剣で死ねる事を光栄に思え」
「ふざけやがって!」
劣勢のはずの――しかも一国の姫に――見下され、賊は簡単に激高した。
もしかすると、そうやって相手の注意力を散漫にさせる意図もあったのだろうか。ともかく、敵は血に濡れた三日月刀を振りかざす。――焔姫の強さも知らないままに。
「――ぬるい」
「――あ?」
焔姫は三日月刀を弾き飛ばし、二人目を斬り伏せる。三日月刀は宙を舞い、バルコニーの欄干から王宮前広場へと落ちていった。
「……この程度の賊に遅れを取るとは、兵の鍛え方が足らぬのかもしれぬの」
「お……俺たちも行くぞ!」
「応!」
焔姫の厳しい叱咤に、五人の近衛兵も剣を構えなおす。
六人対十数人。
男が頭数に入らないのはどうにもならないが、それでも人数差は明らかだった。しかし、それを覆すのが焔姫である。
焔姫がその目にも止まらぬ剣さばきで、近衛兵を囲んでいた賊を次々と斬り伏せていく。賊はおびえ、近衛兵たちは勢いづいて戦いに加わる。
焔姫は、自らの態度と言動にどれほどの影響力があるのかをよく知っている。相手に脅威を与え、かつ味方に力を発揮させるために、焔姫は最大限にそれを利用する。
焔姫の本心を聞く事が出来たからこそ、男は焔姫の振る舞いが素ではなく演じているものなのだと理解出来た。
それはすごい事ではあるが、同時に悲しい事でもあるだろう。それは焔姫が自らを律するために、心に縛りつけた強靭な鎖に他ならない。
「姫、ありがとうございます。もうだめかと……」
男がそんな事を考えている間に、広間を占領していた賊は一人残らず討ち倒されていた。
感謝の言葉を告げる近衛兵に、焔姫は首をふる。
「いや……汝らしか助けられなかった事を悔やまねばなるまい」
「しかし……!」
「そうです。姫は――」
「――そういった話は後じゃ。これで賊が全員ではあるまい。王は無事か?」
近衛兵たちをいさめ、焔姫は尋ねる。
「いえ……我らはここで動けなかったため分かりません。賊が広間から上の国王の居室へ向かったのは見ましたが……」
口惜しそうな近衛兵を、焔姫は責めようとはしなかった。
「分かった。では上へ向かうとするかの。まだ戦える者はついてまいれ。なれは――」
「――私も行きます」
振り返って尋ねてくる焔姫に、男は羊皮紙を胸に抱いたままそう答えた。焔姫は少しだけためらい、やがてうなずく。
「……そうするがいい。まだ王宮内の安全が確認出来ておるわけでもないしの。戦いになった時は……分かっておるな?」
「無理に戦いはしません。安全なところにおります」
男は素直にそう言った。少しくらいは強がってみたいと思わなくもないが、ここで虚勢を張っても仕方がない事くらいは男もわきまえている。戦える身なら別だが、今の男では焔姫に余計な心労を増やすだけだ。
焔姫はうなずいて広間の奥、国王の居室へと続く階段へと向かった。
階段の脇には、そこで国王を守っているはずの近衛兵の死体がある。
「――サリフ?」
焔姫の声に男は近衛兵の死体から視線を外し、階段の上を見る。
「ひ、姫!」
そこにいたのは恰幅のいい男、宰相だった。
宰相はちらりと背後を見ると、あわてたように階段を降りてくる。見れば宰相は護身用か剣を手にしており、仕立てのいい服も血に汚れていた。
「どこにおられたのですか? 王宮内はどこもかしこも――」
「たまたま地下の祭壇におってな。おかげで不意打ちを食らわずに済んだ。汝こそよく無事じゃったな」
焔姫にそう言われて、なぜか宰相はびくりと肩を震わせた。
「いえ、私は……」
「……?」
ごくりと、宰相はのどを鳴らす。不自然に思えるほどに狼狽しているが、考えてみれば宰相は戦場に行った事などない。この生きるか死ぬかの極限状態に耐えられない事を考えれば、狼狽して当然とも言える。
「自室で隠れておりましたら、気づかれなかったようで……」
広間の上には国王の居室しかない。その手の剣を見る限り、宰相は無謀にも一人で賊と戦うつもりだったのかもしれない。
「……ともあれ、無事で何よりじゃ。きゃつらは出会った者を皆殺しにしておるようじゃからの。父上――国王はやはり上なのじゃな?」
宰相は剣を固く握りしめながらうなずく。
「……はい。奥で国王が賊と言い争うのを聞いたので」
それを聞いて、皆が息をのむ。
「……まずいな。ゆくぞ」
「はっ!」
焔姫が階段を駆け上がり、近衛兵と男、そして宰相が後に続いた。
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