朝の光の角度が少し変わっただけで、自分の影の形がいつもと違って見えることがある。その細長くのびた影を眺めていた時、ふと影が独自にメロディを拾っているような錯覚に陥った。音が聞こえたわけではないのに、影の揺れ方がまるでリズムを刻んでいるようで、自分よりも先に影のほうが曲を思いついているのではないかと妙な気分になった。そんな空気の朝だったので、そのまま影に引っ張られるように歩きながら、影が拾ったという設定の音を自分なりに再現してみたくなる。すると、頭の中に不思議な旋律が浮かび上がった。
影は音を発さない。だからこそ、こちら側の想像が勝手に意味を与えることができる。影の輪郭が細く震えると高音が鳴る気がし、地面にべったりと貼り付くと低音が響く気がする。この勝手な解釈が妙に楽しくて、曲作りをするときに影を観察する遊びが習慣になりつつある。影は人間より正直で、余計な装飾をしない。ただ光がある方向を示し続けるだけだ。それがかえって、自分の中に眠っているアイデアを引き出す鍵になっている。
ある日、影が妙に歪んで見えたことがあった。風が強いわけでもなく、服の裾が揺れたわけでもない。理由はないのにその歪みが違和感ではなく、むしろ新しい音階を示している印のように感じられた。影が示す音階という発想が急に自分の中で形になり、一気にメロディが広がっていった。曲を作る過程で、影という存在がただの黒い形ではなく、思考の補助線のように感じられる瞬間がある。
影は光によって長くも短くもなる。それはまるで試行錯誤の時間の伸び縮みのようで、焦っている時は影も短く、落ち着いている時は影ものびやかに見える。影の伸び方を見ると、自分の心の状態まで透けて見えるようで、思いがけない気づきを与えてくれることがある。音楽や文章を作るときの自分の癖も、影の表情を通してなら素直に受け止められる。
影が拾ってくるメロディは、実際には存在しない。でもそれがいい。存在しないからこそ、どんな音にもなるし、どんな形にも変えられる。影は自由だ。自分が思いつけなかった角度から、アイデアの取っ手をそっと差し出してくれる。影の中には沈黙が詰まっているが、その沈黙が意外なほど豊かで、自分の創作に欠かせないものになってきた。最近では影を見ないと落ち着いて作れないほどで、影が今日どんなメロディを拾ってくるのかを楽しみにしている。
今日も朝の光を浴びて、地面に落ちた影を見つめる。形は相変わらず気まぐれで、その気まぐれがまた新しい音の扉を開ける予感がする。自分の影が作曲の相棒になるとは思わなかったが、気づけば影がいる場所に音が生まれるようになっていた。
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