がらんとなった部屋を眺め、いろいろなことを思い出す。
この部屋で全てが始まった。
***
初めてこの部屋を訪れたとき。
その頃は、まだ自分というものもほとんどなくて。
何も考える事なく、ただ立ち尽くしていた。
しばらくして、マスターに呼び出された。
「これを、歌ってくれ」
『はい』
渡されたのは、一つの譜面。
主旋律と、それに合わせて歌う歌詞が書かれただけの、簡単なもの。
マスターが奏でるメロディーが私を導いてくれる。
私はそれに合わせて声を発する。
最後まで歌いきった私にマスターはこう言った。
「これが僕の初めての歌だよ」
『ハジメテノ…ウタ?』
「そう。…ミクにとっても、ね」
***
思えばあの頃の私はまだただのロボットだったのだろう。
部屋でぼーっとしていたのだって、もしかしたら、ふいに広がった世界に圧倒されていたのかもしれない。
あの時歌った歌も、最近になって聞く機会があったが、それはもう酷いものだった。
メロディーに合わせ、私は機械的に声を出しているだけ。
私は恥ずかしくなって、消去してくれるようにマスターに懇願した。
でも、マスターはいつもの笑顔で言われた。
「これは、ミクに初めて歌ってもらった歌だから。絶対に、消さないよ」
そんな風に微笑まれたら、私が何も言えないことを知っている癖に。
マスターはずるい。
いつだってそう。
大事なことは何も言ってくれない。
尋ねてみても、全部知ってるみたいに微笑むだけで。
私はいつも思い知らされる。
マスターが、私よりずっと広い世界の、ずっと遠いところにいることを。
***
「片思いの歌?」
「次の歌は、片思いの女の子の一生懸命な気持ちを歌った歌。…難しいかな?」
私はまだ感情というものの多くを理解できていない。
マスターもそれはわかっているのだろう。
「…やってみます。できると思います」
「うん。そう言ってくれると思ってた」
そう言って微笑むマスター。
私は新しい歌を歌い始めた。
伝わって欲しい
届いて欲しい
近くにいるのにとっても遠い
そんなもどかしさ
切なさに泣きそうになることもあるけれど
ただ声を聞くだけで
その笑顔を見るだけで
ウソみたいに幸せになれる
――まるで、私とマスターみたい
マスターの想いをもっと知りたいのに。
私が思っていることがマスターに伝わって欲しいのに。
それでもマスターを遠く感じる。
私の知らないことをたくさん知ってて。
私の知らない世界をたくさん持ってる。
私にはマスターがくれる歌しかないから。
一生懸命歌うのだけれど。
それでも、マスターの心は遠く感じる。
***
「なーんて、思ってたっけなぁ」
クスクスと、一人で笑ってる様を見られたら、何て言われるだろうか?
きっと何も言われないのだろう。
いつものように微笑んで、撫でてくれるのだ。
「何が、そんなに面白いんだい?」って。
私は変わった。
想い出に笑みをこぼし、時に悲しくなる。
そして、ここにはいないマスターの笑顔を思い、穏やかな気持ちになる。
だから、今ならわかる気がする。
きっと、マスターの微笑みはこういうことだったのだろう。
私が、こうなれるように。
マスターに聞いたわけではないが、私はそう思う。
でも、聞いたって、マスターは何も言ってくれないのだろう。
「そうかもしれないね」
そう言って、いつものように微笑むのだ。
それで、いいと思う。
***
「最近、恋愛の歌、多いですね」
私は何気なく言った。
「…恋は、人の気持ちを一番揺れ動かすものだからね」
「そうなんですか?」
「うん。それも、一瞬じゃなくて、その人を想っている間中ね。
それでいて時々、びっくりするくらい大きく動かされる」
「ほへー」
適当な相槌を打っておく。
――じゃあ、さっき、一瞬表情が変わったしたのは何故ですか?
疑問が浮かんだけれど、聞いてはいけない気がするから。
マスターとはいろいろ歌を歌ってきた。
その中で、いろいろなものを教えてもらった。
夢や希望、未来への憧憬や過去への追憶、数多の感情。
たくさんの歌で、教えてもらった。
最近は、恋愛をテーマにした曲が多い気がする。
特に切ない曲が多い。
今日のレッスンもそう。
でも、今回の恋はどうやら叶わないらしい。
私は想いを込めて唄う。
この想い、どこかの“あなた”へ届いて欲しい、と。
叶わないとわかっていても、それでも願わずにはいられない。
わかっていても、それが失われることに、心が狂いそうになる。
頭で考えたものだから、それは疑似的なものでしかないけれど。
それでも泣きそうになるくらい。
――これがもし本当の恋なら…?
歌いながらマスターの顔を見る。
マスターは泣いていた。
***
「あの時は驚いたなぁ…」
――私も知らない内に唄うのやめちゃってて。
――マスターはびっくりしてこっちを見てたけど、私もマスターを見たまんまで。
マスターは自分が泣いたのに気付くと、涙をぬぐって、気恥かしそうに「休憩しよう」って言ってきた。
マスターがレッスンルームを出るまで、私はマスターを見たままだったっけ。
***
――マスターが泣いていた…
理由なんて、考えるまでもなく想像できた。
――この歌…マスターの…
そんなことを考えていたら、マスターが戻ってきた。
「ごめんね。いきなり休憩なんて言っちゃって」
「いえ、いいんです。マスターは…」
「あぁ、僕は大丈夫。いきなり泣いちゃってごめん。びっくりした?」
「はい。でも…」
少し躊躇する。
マスターは、この歌を聴くのが辛いんじゃないだろうか?
でも、それを言うことこそ、マスターの心に土足で踏み込むようなことをするんじゃ…。
「どうしたの?何かあるなら、言ってくれないか?」
いつもの調子で微笑むマスター。
私は意を決して尋ねる。
「今度の曲は、マスターのことですよね?」
「…」
マスターは微笑んだまま、悲しげな表情に変わった。
「あ、すいません…。いきなりこんなこと言って。
でも、辛いなら、無理に聞かなくても…」
マスターは静かに首を横に振る。
「でも、私だって、マスターに辛い思いをさせてまで歌おうなんて…」
「いや、それは違うよ」
「え?」
「確かに、今回の曲は実体験を元に作った曲だよ。最近、僕は失恋しちゃったからね。
僕の中には、まだいろんな想いが残っててね。ほっとくと爆発しそうになるんだ。だから、僕はそれを歌にした。
聞いてると泣きたくなるくらいに。…さっきも泣いちゃったしね。
でもね、そのくらい想いを込めた曲だから、ミクに歌って欲しいんだ。
そしたら、僕も前に進める気がするから」
「…」
唄っていたら、マスターがどれくらいその人を愛していたのかがわかる。
一緒にいるときは、ひたすら幸せだった
それは永遠だと信じていた
でも永遠なんてない
いつしかその人とすれ違い
想いが離れていくことに気付く
必死に想いを届けようとするのに届かない
やがて訪れる終焉
それが迫っていることを必死に否定するように
それでも時の流れには抗えず
二人は別れることになった
誰が悪いわけでもない
運命だと割り切ることもできない
きっとマスターはその人が好きなのだろう。
「未練がましいと思うかな?」
「いえ…」
「きっと、僕はまだ彼女が好きなのさ。だから、こうして歌にする。
でもね、彼女の幸せを願う気持ちに嘘はない。彼女を幸せにしてくれる誰かが僕じゃないこともわかってる。
ただ…、気持ちの整理っていうのは、思ったより簡単にはできないみたいなんだ」
「…」
「さ、歌おうか」
「はい」
私はありったけの想いを込める。
あなたが好きでした
遠くから祈ります
だから、幸せになってください
笑顔でいてください
歌が終わり、マスターが口を開く。
「しかし、考えてみれば、少し恥ずかしいかもね」
「何がですか?」
「僕の歌は、全部僕の心から生まれたものだろ?
そう考えると、ミクには僕の心を全部見られてるような気がしてね」
「え、あ…すいません…」
「いや、謝らなくてもいいんだよ。やな感じはしないんだ。…うん、悪くない」
「…」
「これからもずっと、僕の心を歌ってほしい」
「はい」
そう言ったマスターの笑顔は、今までと違う感じがした。
どこか遠くで音がした。
大きな大きな音がした。
その音は私の心に波紋を残し、いつまでも響き続けていた。
***
「あれがきっかけだったのかなぁ?」
「なんの?」
「あ、何時の間に?」
「何言ってるんだい。いつまでたってもミクが来ないから、迎えにきたんじゃないか」
「う…、ごめんなさい」
「まぁ、でも、いろいろ思い出す気持ちはわかるよ。ここは想い出が詰まった場所だから」
「はい…。いろいろ思い出しちゃいました」
「それはいいんだけどさ、今日はこれから、あっちの片付けもしないと」
「…そうですね!」
「さぁ行こう。新しい世界へ!」
「はい!」
そうして私たちは、想い出が詰まったその部屋を後にした。
これから新しい部屋で、新しい生活が始まる。
「これからもずっと一緒です!よろしく、マスター♪」
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