『Consider my affliction and my travail. Forgive all my sins.』





「やあ、今日も元気そうで安心したよ」



もし運命なんてものがあるのなら。

敷かれたレールに歪みがないことを、祈り続けることしかできない。



七時四十五分の列車に必ず彼はいた。

平日の通勤ラッシュの中、目が合ったのが始まりだった。

目が合う回数が二桁を超えたとき、自然と話しかけるようになった。


最初は他愛ない会話から、なんでもない些細なことから始めた。

いつも会いますね。そうだね。この近くの学校なんですか?うん、確か君も降りる駅が一緒でしょ?あ、知ってたんですね。

そういえばいつもイヤホンされてますよね。気になるかい?ちょっと興味があります。このアーティストの曲をよく聞くんだ。私もこのアーティストのアルバム持ってますよ。おっ仲間だね。



日に日に会話は増していき、いつからか隣に立って話すようになった。

幸いにも私たちの住む地域を走る列車はさほど都会というわけではないので、人間がすし詰めに詰め込まれているわけではない。

彼の隣に行って話すことができるぐらいの余裕はある。

都会だったらこうして話すこともなく、お互い気にせず列車に揺られるはず。

だからこそこの街と列車、距離感が満足だった。



十分くらいで旅は終わり、駅に降り立ちお互いに一日を頑張り生き抜くための言葉を送り、そしてそれぞれの学校《戦場》へと歩き出す。

私はいつしか目的地へ行くことが楽しみになった。

目的地に乗れば、お互いを詮索せずいつも適度に気を抜いてくれる彼と話すことができるから。


そんなことが続くうちに、よく私たちと一緒の列車に乗るサラリーマンの人やOLさんとも仲良くなった。

たまに彼がいないとき、今日は彼いないんだね、今日はちょっと寂しいね、って笑って話しかけてくれるようになった。

いつもうるさくしててすみませんと謝ると、いつも見ててほんわかしてますって返してくれた。

いつも温かい目で見ててくださっていることがとても嬉しかったしありがたかった。



暖かな春も、溶けそうな夏も、この日常を願った。

少し冷え込む秋も、身が凍り付きそうな冬も、この関係を祈り続けた。

こんな穏やかな日々がいつまでも続けばいい。

ずっとずっと私の思い出として紡いでいけたらいい。

そう思っていた。





「俺さ、今日卒業するんだ」



だからこそ、突然告げられた別れの言葉に何よりも戸惑った。

お互いの学校も知らなかった。

彼が先輩で私よりもずっと大人だということを思い知らされた。



「ということは、今日でもうお別れなんですね」

「そうだね。だからもうこの列車で会うことはないと思う」



少しだけ寂しそうに話す彼の表情に、胸が強く締め付けられる気がした。

駅に着くまであと数分。

このまま別れたくない。もっと彼の隣にいたい。

私はこの列車以外の彼の顔を知らない。所詮それだけの仲なのに。

この時間だけはいつも彼の隣を独占できた。

なのに今日だけは彼の正面に立っていて、いつもの角度と違ってどうやったら彼を直面できるのだろう。



「じゃあもう、私に幸せを分けてくれないんですね」



なるべく平静を装ったつもりだったけど、多分声も震えていたし笑いきれていなかっただろう。もしかすると涙目だったのかもしれない。

よく考えれば名前も知らないのだ。そんな当たり前のことさえ知ろうとしなかった私の怠惰とお気楽思考に反吐が出る。

その姿がどのように写ったのかはわからないけど、見かねたのかもしれない彼が何かを言いかけたそのとき、列車が地震のように大きく揺れた。



「きゃっ」



バランスを崩しそうになった私を慌てて押さえこみ、吊り革に掴まる彼の片腕に背中を抱かれ、私は彼の胸に寄りかかるという構図が出来上がった。

恥ずかしさと共に、神様の悪戯でこのまま時が止まってしまえばいいのに、なんて思いがこみ上げてきて。

だけどそんな幸せも束の間、彼はすぐに私を離した。



「大丈夫?怪我はない?」

「あの、はい、その、大丈夫ですっ」

「えっ?……っ、それはよかった…」



不思議そうな顔をした彼も私の戸惑う姿を見て理解したらしく、すぐに視線を外しそっぽを向いた。

多分私も彼も顔が赤くなっていただろう。



そしてゆっくり速度を落としながら列車は止まる。

扉が開いてしまえばもう降りるしかない。



「この一年間楽しかったよ」

「こちらこそ。ありがとうございました」

「じゃあ、もう行かなくちゃ」



「待って!」



思いのほか大きな声が出たらしく、歩き出そうとした彼だけでなく他の乗客たちも何事かと一瞬動きを止める。



私はこの駅以外の彼を知らない。

人間は皆それぞれの顔を持ってる。私は偶然その一つを見る権利を掴んだだけ。

友達でもなく何の関係でもない私に、彼を引き止める権利など手にすることはできない。



「なんでもない、です………」



まだ手を伸ばせば届く距離にいる。

だけどどちらもその手に触れることはない。

彼の瞳に不安定な光が揺れ、何かを言おうとするかのように口を開いては唇を噛むのを繰り返し。

だけどその何かを私に伝えることはなく、代わりに私の頭に手を軽くのせ、髪を撫でた。



「……またな」



儚く消えてしまいそうな笑顔を浮かべて、遠くへと手は離れていく。





ごめんなさい。

なんでもないなんて、嘘をつきました。

一つだけわがままを言えるなら、たった一つの嘘をついた私の罪を、どうか許してください。




「先輩………」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】終点:Desire

去り行くちずさんへ捧ぐ。
どうも、ゆるりーです。

冒頭は旧約聖書『詩篇』第二十五章十八節より。
『わたしの苦しみ悩みをかえりみ、わたしのすべての罪をおゆるしください』

最後の「先輩」の意味は、ルカさんが最後に手に入れた唯一の彼を呼ぶための言葉だからです。

爽やかな話を書きました。
そしてこの話で気をつけたことは「必ず二人が別れるシーンを書くこと」、「好きという言葉を一切使わないこと」。
二人とも別に好きとか何も言ってませんが本当は好きで好きで堪らない感が出てたらいいなと私何言ってるんでしょう。
純愛ですね。

ちずさん。
今まで楽しい日々をありがとうございました。
また戻ってきてくださるのを待っています。
Memoriaがまだ二話残ってるのでそちらはちゃんと書きますので。
私にできるのはこの活動だけですので。

閲覧数:303

投稿日:2014/12/06 23:59:22

文字数:2,405文字

カテゴリ:小説

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