♯1『夢の話』
「うわっちっちっ……んくんく、ふー……やっぱり練習後に飲む緑茶はたまらないですなぁ~」
「放課後ティータイムってやつですね。ふふ、漫画みたいですよね」
午後三時二十五分。時間的には学校の六時限目が先程終わったところで、音楽室の窓からは温かいふわりとした日差しが差し込む。
その光を浴びながら、グミは椅子に座り、湯呑みを手にしてお茶を飲んでいた。
「ティーと言っても緑茶だけど」
紙コップに注がれた液体を覗きながら、巡音ルカはふとそんな疑問を口にする。
「いいじゃん!緑茶だってティーじゃん!」
「ティーって言ったら普通、紅茶をさすんだけどね。緑茶は『Green tea』っていうの」
やたら発音の良い英語だった。英語が得意分野であるルカにとっては、些細な違いも許せないのだろう。
「もーそういうとこ細かいんだよルカは」
「まぁまぁ、いいんじゃね。放課後グリーンティータイムってのも」
紙コップの緑茶をすすり、猫村いろはは笑った。
「猫村、楽器にお茶こぼすなよ」
「へいへい分かってんよ」
ルカの注意を受け、猫村はしぶしぶドラムの傍から少し離れる。
「明日は和菓子なんかももってきましょうか?」
グミの隣に座った弱音ハクは、そう提案した。
皆より一つ年が下なので、部活内では常に敬語だ。
「おおっ!ハクちゃんいいね、ナイスアイディア」
「私らいつから茶道部になったんだ」
「いいじゃん!そうした方が部活としても楽しいしさ」
「おー、私も賛成っす」
「はーい、三対一で、ルカの負けー!ハクちゃん、明日からはちゃんと和菓子持ってくるように」
「了解です!」
司令官のように命令するグミと兵隊のように敬礼するハク。どちらも熱が入っているのか、声色まで無駄に上手い演技だった。
「まったくもう、なんなんだこの子たちは」
「あー、ルカはまたそうやって上から目線で人を見る。年はウチと同じでしょ!」
「精神年齢の面では勝ってるつもりだけど」
「言うねぇ」
グミは湯呑みを机に起き、椅子から立ち上がってルカの座る場所まで歩み寄る。
座っているルカに対して、グミはしゃがんで目線を合わせた。
「今言った言葉をもう一度言ってみなよ、もぬけのカラにするよ」
「意味分かんないし、というか使い方間違ってる」
「なにをー!!このー!」
「ひゃっ!?」
グミがいきなり襲いかかってくる事まではルカも予想していなかったのだろう。手に持っていた紙コップが揺れる。
「反抗的なルカさんにはこちょこちょ攻撃だ!お腹の酸素全部使い果たせぇ!」
こちょこちょこちょ、と、グミはルカの脇をくすぐる。ところが。
「あれ、きかない?」
「私、くすぐりにはめっぽう強いから」
「なん……だと……!?今初めて知った!何故十一年も隠してきた!?」
「それよりもグミちゃん?人が熱いお茶を持ってるのに、いきなり襲いかかるのはやめてね?零れたらどうするのかな?」
あえてにこやかな笑顔で対応するルカ。一見やんちゃな子供を諭すような優しい口調だが、グミは知っている。その笑顔の裏に隠された怒りの感情を。ルカは怒ると決まって笑顔になり、グミ「ちゃん」と呼ぶのだ。
あの手この手でルカに悪戯をしかけて十一年。大概は許してくれるが、たまに少し度が過ぎた事もあって、その度にキレるルカの反応をグミは見てきた。
「え、えぇ、ああぁ、いやあその……」
「問答は無用よ」
「うぅ」
その後二十分の間、グミはルカの尻に敷かれていた。文字どおりの意味である。
うつ伏せになったグミの上に、ルカが座っているのである。始終笑顔を絶やさずに。
その様を見て、猫村いろはと弱音ハクは苦笑いするしかなかった。
グミに対するフォローを入れれば巻き添えにされる、などという事まではいかないが、猫村やハクが何かを言った所で開放してくれないのは確かだったからだ。
「でも、ルカの『ひゃっ』って声、超可愛かったよ!録音して収めたかったなぁ」
「うるさい。さ、そろそろ練習再開するよ」
「あ、あぁ」
「はい……」
ルカは動じず、ニコニコとした笑顔のままハクと猫村に指示を出すのだった。バンドのリーダーである手前、ハクも猫村も逆らえない。
尻に敷かれたグミを哀れみながらも、それぞれ自分の楽器のポジションへとつく。
ハクはベース。猫村はドラムだ。
「え、ウチは?」
「一回休み」
「すごろくのルールですかそれは」
「そ。『グミは巡音ルカの逆鱗に触れた』だから一回休み」
「うえ~……でもルカ、ちょっと苦しくなってきた。せめてそこどいてくれない?大人しくしてるから」
「あら、私に指図するなんてグミちゃんは偉くなったのねぇ」
「うぐ……スミマセンデシタ」
「よろしい」
観念したように、グミはそれ以上何も言わなくなった。やがて、ルカの合図で曲のセッションが始まったのだった。
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