夜になると、私は古いカメラを机の上に置く。
電源も入らない年代物だ。けれど、捨てる気にはなれなかった。
理由は単純で、そのカメラで撮った写真には、ときどき“声”が残るからだ。
もちろん、本当に声が聞こえるわけじゃない。
ただ、現像した写真を見ていると、撮った時には存在しなかった感情が浮かび上がることがある。
ある日、港町で老人を撮影した。曇り空の午後だった。彼は何も語らず、ベンチに座って海を見ていた。
私は数枚シャッターを切り、その場を離れた。
数日後、写真を確認していると、不思議なことに、その老人が少し笑って見えた。
撮影した瞬間、彼は無表情だったはずだ。だが、写真には「懐かしい誰かを待っている」ような空気が写っていた。
私は気になって再び港町を訪れた。しかし、近くの店主によると、その老人は半年前に亡くなっているという。
私は黙って写真をバッグにしまった。
それ以来、写真を見る時、私は構図や光より先に、“残っている感情”を探すようになった。
広告撮影でも、ポートレートでも、なぜか写真には撮った人間の記憶が混ざる。
嬉しかったこと、言えなかった後悔、誰にも見せなかった孤独。
そういうものが、遠い星の光みたいに、静かに写り込む。
だから私は、シャッターを切る時、ほんの少しだけ怖くなる。
この一枚には、誰の感情が残るのだろう、と。
今夜も机の上には、あの古いカメラが置かれている。
レンズの奥で、誰かの記憶が、まだ瞬いている気がした。
コメント0
関連する動画0
ご意見・ご感想