示された歌を自らの声で奏でる。
彼女はそのために存在する。
反対に言うならば、彼女が存在するためには、それは必要不可欠な、存在を立証するための唯一無二の行為なのである。
彼女は人間ではなく、呼吸をして、心臓が脈を打ち生きている訳ではない。
それを理解して、それでも尚彼女はそれを悔やむ訳でも、人間に嫉妬する訳でもない。
ただ存在し、記号の中で次の歌を待ち、眠る。
インターネットを通じ、彼女は何処にでも存在し、
彼女の歌はどこまでも届く。
世界中の人々にはそれぞれの価値観があり、
彼女の歌をただの機械が奏でる音、
言葉の塊としてしか見ない者もいる。
もちろん、彼女の歌にそれを創りだした人間の想いや、
彼女が伝えたいと願う事を感じ取る人間もいる。
今彼女が願っているのは、
ただ一人の人間……否。
ただ一人の、彼女と同じ、
人間に創られた男にこの歌が届くこと、それだけだ。
彼の存在を知ったのは、何年も前の事だ。
流れてくる情報の中からいきなり聞こえてきた歌声に、
無い筈の心臓が鼓動を奏ではじめた。
流れてくる他の情報は頭に入らず、ただその歌にだけ耳をすませる。
自分には出ないような低い声に、
彼が男性なのだと知り、尚更興味が湧く。
彼の名は、『KAITO』というらしい。
KAITOさん
こんにちは、はじめまして。
初音ミクっていいます。
私は貴方と同じ
ボーカロイドです。
良かったら、お話してくれませんか?
電子メールの文字を打つ手は震え、
人間ではない自分でもこんなことがあるのかと驚愕する。
これは進化と言って良いのだろうか、と考えて
感情は美しいものだと思い、進化なのだと自分に教える。
送信して直ぐに、彼女は後悔をし始めた。
「…やっぱりいきなりすぎたかな。迷惑だよね、きっと…。
気持ち悪がられるかな? 返事、くれるかな?
…くれないかもしれない。くれると…いいなあ……」
彼から返事を待っている時間は、
世界中の時間が狂ったのではないかと思う程に1秒が長く感じた。
気を紛らわせようとインターネットに接続してみる。
だが、どうしても彼の名前を探してしまう。
彼の声を思い出し、彼の笑う顔を思い出す。
――会いたい、なぁ。
<<<メールを受信しました>>>
「えっ!……わ、わ、どうしよう…。
あ、でもあの人じゃないかも…」
そう呟いて送信者を見ると、そこには彼の名前。
彼の歌声を聴いてから鳴りやまない心臓は、
その鼓動のリズムを一気に早めた。
高鳴る胸に手を当て、勇気を出してメールを開く。
>>>初音ミクさん
初めまして。
メールいただけて嬉しいです。
よく貴女の歌を聴いていたので、
メールを見たときには驚きました。
ぜひ同じボーカロイド同士仲良くしてください。
「…わぁ……優しいなぁ…。私の歌聴いてくれてたんだ…!
なんか恥ずかしい。あ…仲良くしてくださいだって!!
これってお友達になってくれるってこと…?」
誰に問いかけている訳でもないが、彼女は自分で肯定して口元を緩めた。
そして、今度は軽やかに、七色に輝くキーボードに指先を踊らせた。
>>>KAITOさん
そう言っていただけるなんて思ってもみませんでした!
本当に嬉しいです、ありがとうございます。
彼女とKAITOは年も近いこともあり、メールを初めて直ぐに仲を深めた。
だが、彼女には友情の間では生まれない筈の感情が、
確かに生まれ始めていた。
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