「こんばんは、――男爵令嬢様」
あなたは相変わらずお赤いのですわね。とても輝いていて眩しいですわ。

口元に扇子を当て、どこかの令嬢が嫌味ったらしく声をかけてくる。

「あら、リューネブルク子爵令嬢様。こんばんは。お褒め頂ありがとうございます、光栄ですわ。」
いくら私が低級貴族だからといって、礼儀も知らないわけではない。

「――――様は、相も変わらずお美しいですわ!私達、あなた様がいない間、ずっと寂しかったんですの。」
どこからか、黄色い声がする。いつの時代も、女は美しい物が好きなのは万国共通だと思う。

「あら、――男爵令嬢様は、どこを眺めていらっしゃいますの?――あら、あちらは…!!」
冷めた表情で私を見る令嬢。彼女は、私がどこを見ているのか気になるようで、私の視線を追うなり、誰かを囲っている集団と同じ様に黄色い声を上げた。

「私は、失礼いたしますわ。」
聞こえたのか聞こえていないのかわからないが、私は令嬢の隣を通り過ぎ、バルコニーへ向かった。



「そちらの赤のお嬢様。」
バルコニーに出て、私は手すりに寄りかかる。暫く夜空を眺めていたが、不意に後ろから声を掛けられた。

また人を馬鹿にしに来た令嬢かと思ったけれど、振り向いた先にいたのは、おそらく端正であろう顔に仮面をつけた、青い髪の男だった。

「……。」
どこかで見たことのあるシルエットに、私は一瞬言葉を失った。

「斯様(かよう)に美しい姫がこの様な所にいるとは…、お似合いになりませんね。」
仮面の男は悠然と微笑む。

「風に当たりたかったの。」
実際、ここは風が吹き込んでくる。私は男に背を向け、再び夜空を見上げた。

「夜風にあたっていると、体に障りますよ。」
言葉と共に、肩に何かが掛けられた。

「平気よ。悪いけど、これはお返しするわ。」
肩に掛かっていた物を取り、男に返そうと振りかえる。

するとそこには、見覚えのある男がいた。

「あなた、カイト…」
この男は、つい数週間前まで、我が家の執事だった。



「一体、どういうこと?あなた、何者?」
場所をバルコニーから移し、今はどこかの部屋にいた。

カイトに連れて来られたのだ。まるで自分の家とでも言うかのように、この男はすいすいと動く。


このカイトという男は、今から5年前、我が家の門の前で倒れていた。そこを私が見つけ、身寄りのないというこの男を、私が専属の執事として雇ったのだ。

だがしかし、先ほどの会場では、誰かが言っていなかっただろうか?『あなた様がいない間』、と。あの時ちらりとだけ、中央に立つ男を見た。髪の青い、私よりも背の高い長身の男を。

それだけで、カイトがあの中央に立つ男だと判断するのは早計だろう。

ただ、カイトは私のような没滅寸前の男爵令嬢とは、立場、いや、格が違うというのはあるのかも知れない。

「私は、ただの執事だった者です。」
あなた様専属の。

妖艶とも言えるカイトのその気障ったらしい言葉と笑顔に、何か引っかかりを感じる。

「それは、答えになっていないわ。
じゃあ、なぜ急に執事を辞めたの?」
この男に執事を辞められて、前の生活に戻っただけの私は、酷く動揺したのだ。

朝起きて居たのは、あの家に元からいたメイドが一人のみ。あんなだだっ広い家で二人きり。しかも、向こうはただの仕事と割り切っている。実質あの家には一人で住んでいたようなものだった。

そこで専属としてカイトがやってきた。まるで、カイトは本物の家族のように振舞ってくれた。

立場の違いなどで遠慮せず、年齢が近いのだからといって、いつも一人だった私に楽しいことを教えてくれた。勉強だって、教えてくれた。

これではまるで、カイトがいなくなって寂しいみたいではないか。そんなことはない。ただ、カイトが来る前の生活に戻っただけなのだから。だから、涙なんて出てくるほうがおかしかった。

気づいたら視界は歪んでいて、目の前に立つカイトの顔が、いまいち判然としない。

「それは…。」
きっと苦い顔をしているのだろう。この男は心根が優しいのだ。だから、他人である私の境遇に同情もする。

それに漬け込んで…、の可能性のほうが遥かに高いが、けれども私よりも上流階級ならば、私に構うメリットが見当たらない。

「答えられないの?カイト。」
涙ぐんだ姿を見られたくない。そう思った私は、カイトが困っていることをいいことに、俯いて声を出した。

「……街角で、あなたを見つけて。」
私に気づいた様子も見せず、ぽつりぽつりと、カイトが理由を話し出す。

最初は、道を行く馬車の中で私を見つけたという。気持ち肩を落とし、俯き気味に歩いている少女。初めて私を見たのは、カイトが15のとき。私も彼とそう変わらないから、年齢はそれくらいだった。そのときは、両親と死別し、メイドとの慣れない二人暮らしを始めたところだと思う。

それから暫くは、街で私を見かけることはなかったという。けれど、5年と少し前、再び私を見かけたらしい。

私の住んでいる場所は片田舎で、周りにあるのは田んぼや山ばかり。そんな片田舎に、カイトは避暑に来ていたのだそうだ。避暑に来ていた間に、カイトは私の屋敷を見つけ出し、あとは私が知っているカイトだという。

「片田舎に避暑って…。あなた、どの階級なの?」
もう、何もいう気はしない。

「……公爵、です。あなたを招いたのも、私、です。」
ぽつりと、ほとんど聞こえないくらいの声音で、カイトが言った。

「そ、そんな…、公爵様が…、カイト、あなたなの…?」
目の前が真っ白になるとは、このことなのだろうか。頭がくらくらして、まともに立っていることが出来そうにない。

「メイコ様」
きっと、執事をしていた頃の癖だろう、カイトが無意識に叫ぶように言った。

「もう、その呼び方は…。」
もう、この顔を見ることも叶わなくなるのだと思うと、私は何も言えなくなる。まだ、私の執事でいる気分なのか。

「私があなたに近づいた理由は、ある下心からなのです。
申し訳ございませんでした。」
頭を抱え壁に手を着く私に、カイトが急に頭を下げてきた。

「……?」
何も言わず、私は目線だけで答える。

「この時代、政略結婚です。最初、私はこの政略結婚から逃げるためだけに、私はあなたを利用させてもらおうと思っていました。ですが、あなたは見た目以上に魅力的な方でした。こんな言い方はずるいとわかってはいるのです。ですが、あなたと過ごした5年間が、本当は楽しくて仕方がなかった。
でも、楽しい時間というのはすぐに過ぎ去ってしまうものです。私が公爵家の人間だということすら忘れていたある日。私は、父の使いの者から言伝を預かったのです。」
だから、私はあの日、忽然と姿を消してしまいました。

だから、私はここにいて、あなたもここにいる。そう、カイトは言う。

「じゃあ…、あなたは、親の選んだ人と、結婚するのね。」
自分で言って、心がずしりと、どこかで悲鳴を上げた気がした。

「いえ。」
カイトはそう言い切ると、未だ壁に手をついている私の前に膝をつき、私の右手を取って宣言した。

「誠に勝手だとは存じますが、あなた様と結婚すると言ってしまいました。直に使いの者が来るでしょう。この後結婚披露宴の予定ですから。」
その時のカイトの顔を見て、何もかもが嵌められたと、そんな気がした。でも、カイトが執事であった事、私が落ちぶれた男爵令嬢であること、カイトが公爵令息であることも、また、全てが事実だ。
私の選択肢はもとよりない。けれど、私もそれ以外選ばない。一体、どこから仕掛けられていたのかしら。

「あなたには、負けたわ。」

「いいえ、それほどでもありません。」

まるで、先ほどしていた道化師の仮面のように、カイトは微笑んだ。今はそれすらも、愛おしい。

――END

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

悲しそうな顔をした道化師 ‐clown with an unhappy face‐

十田悠さまの作品、『赤』をイメージして書きました。

とても繊細な絵で美しいです。

十田悠さま、本当にありがとうございました!

閲覧数:889

投稿日:2009/04/20 23:47:53

文字数:3,254文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

  • 関連動画0

  • 冬馬

    冬馬

    ご意見・ご感想

    気に入って頂けたようで良かったです。
    わざわざ感想をありがとうございます!

    2009/04/26 19:13:17

  • 十田悠

    十田悠

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです。少し遅くなりましたが拝読させて頂きました。

    あの絵から…この素敵な小説が生まれたんですか!
    読みながら頭の中でアニメの様に動きました。
    こんな素敵にして頂いてありがとうございます!!

    2009/04/26 18:32:43

  • 冬馬

    冬馬

    ご意見・ご感想

    ありがとうございます。
    そう言って頂けると嬉しいです(^^)
    それでは失礼します。

    2009/04/23 08:48:07

  • kmsaiko

    kmsaiko

    ご意見・ご感想

    初めまして。
    素敵な小説故にブックマークさせていただきました!
    物語の設定が分かり易く、文章も綺麗で、読んでいて楽しかったです(´∀`)

    2009/04/22 23:59:10

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