注意書き
 これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 ガクト視点で、【こわれゆくもの】からの続きです。なお、【ただひたすらに】からの流れもくんでいますので、両者にまつわる外伝を全部読んでから、読むことを推奨します。

 【家族の定義】

 何かがおかしい。
 俺がそう思うようになったのは、ミカが二歳の誕生日を迎えてしばらくの頃だった。最近、俺はミカに絵本の読み聞かせをしている。絵本を読み聞かせることは、子供の知力や情緒の発達に極めて有効であると、育児書に書いてあったのだ。いや、そんなことは、実をいうとどうでもいい。俺はただ単に、ミカに絵本を読んでやるのが楽しかったのだ。
 だが、その絵本が、次々となくなるのだ。ルカに訊いてみると「ミカがイタズラしてしまって……」という。だが俺はミカが絵本を破ったところを見たことがない。ミカがそんなにイタズラ好きなら、俺の前でも一度くらいやるのではないだろうか? それとも、俺の前では常にいい子? まだ二歳のミカに、そんな裏表があるなど考えられないのだが……。
 妙なのは、絵本のことだけではない。ミカに買い与えたぬいぐるみも、なくなってしまった。なくなったというか、ルカ曰く「ひどく汚れたので、捨てた」ということだった。ルカはやや潔癖なところがあり、常に部屋がきちんと整頓されていることを好む。だが汚れてしまったにしても、少し期間が短すぎるのではないだろうか。
 あまりにイタズラがすぎるようなら、一度ミカを専門家に見せた方がいいのではないだろうか。そんな風に考えていた時だった。仕事をしようと書斎に入った俺は、鞄にメモが止めてあることに気がついた。
 なんだろう、と思いつつ、メモを外す。開いてみると、たった一行、こんな風に書かれていた。
「旦那様が不在の時、お嬢様がどうしているのかを見てください」
 なんだこれは。俺はメモを手に唖然となった。文面からすると、書いたのはお手伝いさんだろう。言いたいことがあるのなら、俺に直接言えばいいのに……いや、言いづらい話題だからメモにしたのか。それにしてもこの文章、一体何を言いたいのだろう。俺が不在の時、ミカがどうしているか? ルカが面倒を見ているに決まっているはずだ。
 俺はわけがわからなかった。だが確かに、俺が家にいない時のことを、正確には把握していない。ルカかお手伝いさんに訊けば……いや待てよ。訊いたところで、本当のことを言ってくれるとは限らない。だからこそ、このメモなのではないだろうか。
 胸の中に、ぼんやりとした疑惑が広がる。この家の中で、何かが起きている。そして、俺はそれを知らない。何なのかはわからないが、見過ごしにしていてはならないことだ。


 悩んだが、俺は自宅に隠しカメラを仕掛けることにした。調べてみると、置き時計の形をしたカメラがあるという。それを買いこんで、居間と子供部屋に置く。ルカは何も言わなかった。ルカは俺のすることに、基本的に口は挟まない。
 カメラを設置したのは、金曜日のことだった。そして次の土曜日。予定が一つキャンセルされ、することがなくなってしまった。……今から戻れば、ルカとミカを連れて出かけられる。親子でランチするのもいいかもしれない。そう思った俺は、帰宅することにした。
 家に入って、俺は驚いた。ルカが居間にいるのはいつもどおりだが、ミカの泣き声が聞こえてくる。そして、肝心の本人はどこにもいない。ルカは、泣いているミカを放っているのか?
「ミカはどこだ?」
「えっと、その……」
 問い詰めると、ルカは一瞬ためらったが、やがてこう答えた。
「ロフトにいるわ」
「ロフト!?」
 俺は唖然となった。ここのロフトは窓が小さく、昼でも薄暗い。二歳のミカを放り込むようなところではない。俺は慌ててロフトに向かった。ロフトの小さめのドアを開け、中の様子を見る。ミカは床に座って泣きじゃくっていた。
「ミカ! お父さんのとこに来い!」
 俺が叫ぶと、ミカは泣きながらこっちににじり寄ってきた。ミカを抱き上げて、ロフトから連れ出す。ミカは不安の反動からか、俺にしがみついて泣き喚いた。
「ああ、よしよしミカ。泣くんじゃない。お父さんがついてるからな」
 ミカが無事だったことにほっとすると、今度は苛立ちがわいてきた。ルカは何だって、こんな真似をしたのだ?
「ルカ、どうしてミカをロフトに入れたりしたんだ」
「いうことをきかないのよ。いうことをきかない子は、ロフトに入れるの」
 当然のような口調で、ルカはそう答えた。
「……何を言っているんだ!?」
 俺は、ルカの言うことが理解できなかった。……もちろん子供に躾は必要だろう。俺もまだ子供の時、父に逆らって押入れに放り込まれたことがある。だが、少なくとも幼稚園に入る年齢になってからの話だ。二歳児にするのに適した行為とは思えない。
「ミカはまだ二歳だぞ!」
「仕方ないの。言うことをきかないのは悪い子。悪い子にはお仕置きが必要なのよ」
 ルカの口調は淡々としていた。自分は何も間違ったことはしていないと言わんばかりに。俺は気が変になりそうだったが、その時、カメラのことを思い出した。ミカを一度ソファに下ろすと、俺は棚に置いておいたカメラを手に取った。記録されているはずの映像を呼び出してみる。
 そこに映っていたのは、信じられない……というより、信じたくない光景だった。ルカが、ミカのぬいぐるみの耳を切っている。ぬいぐるみの耳を切られて泣き喚くミカを、ルカは一方的にロフトに入れてしまった。
 俺は映像を巻き戻すと、ルカにカメラを差し出した。
「……これが、躾か?」
 映像を見せると、ルカはさすがに驚いた表情になった。
「これ……いったい……」
「どうも変だと思って、カメラを仕掛けておいた。……こんな結果になるとはな」
 妙だとは感じていた。はっきり理解していなくても、心のどこかに引っかかっていた。だからあのメモを見た時、ルカに直接尋ねるのではなく、カメラを買って仕掛けるという行動に出てしまったのだ。今なら、それがわかる。
「だから、ミカが言うことを……」
「ぬいぐるみの耳を切って、怒鳴りつけて、泣き喚くミカをロフトに放り込んで、どこが躾だ! 絵本も、ミカが破っていたんじゃないだろう!」
 目の前でぬいぐるみの耳を切って、一体何になる? 俺はミカに、物を大切にする子になってほしい。こんなことをしたら、どう考えても逆効果だ。
「言うことをきかないミカが悪いのよ」
「目の前で大事にしているぬいぐるみを傷つけられて、ミカがどれだけ傷ついたのかわからないのか!? ルカ、それでもお前は母親か!?」
 思わずそう叫んでしまい、口にした直後にしまったと思う。さすがに今の言葉はまずかったかもしれない。
 だがルカの反応は、俺の予想とはかけ離れたものだった。
「ぬいぐるみなんて、所詮は玩具よ。生きてすらいないわ。傷つくんじゃなくて、壊れるだけ」
 相変わらず淡々とした口調のままで、ルカはそう言ったのだ。思わずまじまじと目の前のルカを見てしまう。どういう思考回路をしていたら、こんな言葉が出てくるんだ?
 異常だ。どう考えてもおかしい。不意に、恐怖がこみ上げてきた。今、俺の前に立っているのは、一体何なんだ? これ以上、ルカと一緒にはいたくない。いられない。
「……そうか、わかった」
「わかってくれたの?」
「ああ。……これ以上話しても、無駄だということが」
 俺は一度部屋を出ると、大きめの鞄をクローゼットから出した。その中に、適当に自分とミカの着替えや、身の回りの品を入れる。鞄を持って居間に戻ると、今度はカメラを詰め、それから耳を切られたぬいぐるみも入れた。そして鞄を閉めると、ミカを抱き上げる。ミカの泣き声はやや収まり、しゃくりあげるだけになっていた。
「あなた、どうするの?」
「答える必要はない」
 俺は鞄を肩にかけ、ミカを抱いて家を出た。ルカは、追っては来なかった。ルカは一体、どういう行動原理で動いているんだ? 今までずっと、普通の夫婦だと思っていたのに……。
 考えても、俺にはさっぱりわからなかった。


 俺はミカを車に乗せ――ちゃんとチャイルドシートは使っている――家を離れた。しばらく漠然と道を走っていたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。ルカの言葉がショックで、反射的にミカを連れて飛び出してしまったが、行く場所を決めないと。
 走るうちに、大きめのスーパーが目についた。そこの駐車場に、一度車を止める。ミカは大分落ち着いてもう泣くこともやめていたが、顔には涙の跡が盛大に残っている。俺はミカを抱えて車を降りると、スーパーでウェットティッシュと紙パックのジュースを買い込んだ。涙で汚れたミカの顔を拭き、ジュースを渡してやると、ミカの機嫌もかなり直ってきた。
 どこに行くか。両手で紙パックのジュースを抱えて飲むミカを眺めながら、俺はこの先のことを考えた。二人でホテルにでも泊まる……金銭的には簡単だが、ミカの面倒を全部自分一人で見切れる自信がない。もちろん俺もそれなりに育児には関わってきたが、基本的にはルカに任せていた。細かいあれこれをどうしたらいいかになると、見当がつかないというのが、正直な感想だったりする。
 じゃあ、俺の実家に連れて行こうか。俺の母もベテランのお手伝いさんもいるから、ミカの面倒は見てもらえる。だが、あそこに長期に泊まるとなると、両親に事情を説明しないとならない。一体、何をどう言えばいい? 結婚した相手が、全く言葉の通じない人間だったと? そんな説明をしたら、俺の父はルカの父に電話をかけて、ことを問いただしかねない。下手をすれば、当事者以外を巻き込んで大騒ぎだ。
 ルカの実家……問題外だ。ルカもいないのに、俺とミカだけで行く場所ではない。それに義父やサトミさんと顔をあわせたくない。
 俺はため息をついた。あの時は、もうこれ以上ルカと一緒にはいられないと、そう思った。その気持ちは今も同じだが、やっぱり短慮が過ぎただろうか。
 だが別れ際のルカの態度を思い出すと、やはりミカを連れて戻ることははばかられた。どこか頼れそうな場所……。
 もうあそこしかないか。何を言われるかわからないが、俺の実家やルカの実家よりはまだ、ましな気がする。


 幸い道はそんなに混んでなかったので、俺は程なく目的地に着いた。前に来た時と同じコインパーキングに車を止めると、ミカと荷物を抱えて降りる。歩きながら、俺の気持ちは沈んでいた。選択肢の中では比較的話しやすそうに思えたからここに来たのだが、果たしてこれが最善の選択だろうか。またそうだとしても、こんな状況をどう説明したものだろうか……。
 あれこれ迷ううちに、着いてしまった。インターホンを押す。そんなにしないうちに、応答する声が聞こえて来た。
「どなた?」
「あ、ガクトです」
 玄関のドアが開いて、義母が顔を見せた。当然、驚いた表情をしている。
「いらっしゃい……」
「すみません、急に押しかけて」
 言いながら、俺はミカを連れて家に入った。ミカの靴を脱がせようとして、ミカが靴を履いてないことに気がつく。……履かせるのを忘れていたらしい。俺は相当慌てていたようだ。行動に困り、ミカをお義母さんに手渡す。
「ミカちゃん、ずいぶん重くなったわね」
 ミカを抱いた義母は、そう言って微笑んだ。俺は自分の靴を脱ごうとして、靴脱ぎにずいぶんとたくさんの靴があるのに気がついた。男物も混じっている。
「あの……もしかして、来客中ですか」
「ええ」
 俺は、自分の迂闊さを呪った。当たり前のことだが、義母にだって自分の生活がある。どうして今日の予定を確認してから、来ることができなかったのか。
「ところでガクトさん、ルカはどうしてますか?」
 ミカをあやしながら、義母が訊いてくる。俺は一瞬、言葉に詰まった。全部話すつもりでここに来たのだが、その決心が揺らいでくる。
「ああ、えーっと……その……」
 義母はせかしもせず、俺が話すのを待っている。話さないと……けど、何をどうやって? 養子縁組を解消していないということは、義母にとってルカはまだ娘だ。……駄目だ、話せそうにない。
「やっぱり帰ります。俺とミカがいたら邪魔でしょうし」
 俺はそう言って、ミカを受け取ろうとした。だが、義母はミカを抱いたまま、心配そうにこう尋ねてきた。
「ガクトさん、何か大事な話があるのではないですか?」
「ええ、まあ、そうなんですが……邪魔をするつもりではなかったので……」
「でしたら、しばらく別室で待ってもらえませんか?」
 義母はちらっと奥の部屋の様子を伺った。客人はそこにいるらしい。
「ケーキもありますし。ミカちゃん、ケーキは好き?」
 義母がミカの顔を覗きこむ。ミカの顔がぱっと輝いた。
「ケーキ?」
「ええ、ケーキよ。でもそうね、もうちょっと後にね。ガクトさん、お昼は?」
「……まだです」
 昼食のことなど、すっかり忘れていた。何から何まで好意に甘えてしまって、いいのだろうか?
「じゃあ、先にお昼を出しましょう。お料理たくさんありますから、二人くらい増えても平気ですよ。ミカちゃん、ケーキはおやつの時間にね」
 話がまとまりかけた時だった。不意に、よく知っている声が飛び込んできた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その三十九【家族の定義】その一

閲覧数:584

投稿日:2012/09/15 18:45:17

文字数:5,491文字

カテゴリ:小説

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