曇り空の未来

 レン王子一行が帰国して三日が過ぎた。緑の国の晩餐会という行事で足が地に付かない雰囲気だった黄の国王宮には平常が戻り、王宮で生活をしている者達に安心感をもたらしていた。
 しかしそれは全体として見た場合であり、実際はいつもと違う空気が漂っている。重苦しい雰囲気を察している者は憂鬱を感じてはいたが、自分達には解決しようのない状況に溜息を吐かずにはいられなかった。
「レン様さ、この所様子が変だよね」
 普段ならどちらかがいないのが当たり前のおやつの時間。王宮の使用人室で、リリィは向かいに座るメイドに話しかける。
「やっぱりそう思う?」
 リンは答えながら視線を落とす。今日のおやつとしてレンに用意したブリオッシュと紅茶だが、現在は二人の間食としてテーブルの上に置かれていた。
 せっかく用意してくれて悪いけど今日はいいや。そのおやつはリンベル達で食べてしまって構わない。レンはそう言って自室に閉じこもり、リンは余ったブリオッシュを前にして途方に暮れた。一人で食べるには多すぎるブリオッシュは手が空いている同僚の使用人達に配り、余った数個はリリィと一緒に食べて処分すると言う事で片が付いた。
 リリィはブリオッシュを食べながら頷く。
「普段と変わらないように見えるけど、わざとそう振る舞ってる感じがする。帰って来てから何となく変な気がしてたけど、リンベルから話を聞いてはっきりした」
 悩み事があるんじゃないか。心配をかけたくないと考えて一人で抱え込んでいるんじゃないか。だとしたら原因は一体何なのか。紅茶を流し込んでカップを置き、リリィは憂い顔を見せる。
「いっつもそうなんだよ。辛いのや苦しいのを一人で背負いこんでさ。その癖弱音とか全然こぼさないの」
 レンの口から愚痴や泣き言を聞いた事が無いと教えられ、驚いたリンはブリオッシュへ伸ばしていた手を止める。
「えっ、王子が? 一言も?」
 嘘でしょとリンは顔に出し、今度はリリィが驚く番だった。
「レン様に仕えて三年になるけど、聞いた事も無ければ誰かに話してるのを見た事も無い。多分近衛隊のトニオさんとアルさんもそうじゃないの?」
 リリィはまるで常識と言わんばかりに語り、同時にもしかして知らないのかと問いかけていた。
「でも……」
 信じられないとリンは言い淀む。千年樹の森で野盗と戦った後、レンは怖くて仕方が無かったと吐露していた。あんなに強くても怖いと思う事があるのかと不思議な安心感を覚えて、だからこそリリィや近衛隊の人達が信頼を寄せているのだと納得していたのに。
 確かにレンは一人で抱え込んでしまいがちな子だけれど、信頼しているその人達には悩みを打ち明けたりしていると思っていた。だけど、レンと接する機会が多いリリィが聞いた事が無いと言うのならきっと本当だ。
 レンが弱音を吐いていたのを伝えるべきか。それとも黙っていた方が良いのか。迷ったリンが眉を寄せて口をつぐみ、リリィが少々慌てた様子で付け加える。
「あっ。でもさ、リンベルが王宮に入ってからレン様は変わったんだよ」
 怒っても無ければ不愉快な訳でも無いのだが、表情と態度のせいで誤解されたらしい。気を使わせてしまった後ろめたさを感じつつ、リンは弟について質問する。
「どんな風に変わったの?」
 自分が働き始めるまで、レンは現在とどこが違っていたのだろう。離れていた六年間で随分変わったのは理解しているけれど、別れてから再会するまでのレンの事はほとんど知らない。町に流れた噂を聞いただけだ。
 あくまで主観だと前置きをしてリリィは答える。
「落ち着いたと言うか歳相応になったって言うか……。リンベルが来る前までは無理して常に背伸びをしていた感じだったけど、それを止めて心に余裕が生まれた気がする」
 以前に比べると気持ちを緩める機会が増えたように見える。リリィはテーブルに腕を立て、組んだ両手に顎を乗せて続けた。
「レン様さ、結構荒れた時期があったらしいんだよ。苛々して周りの物や人を傷つけちゃったりして、手が付けられないくらい暴れた事もあったって」
 リリィの口調は優しく、非難の色は全く無い。リンは今のレンからは想像出来ない状態に息を飲む。
「王子にそんな頃が……?」
 レンが荒れた原因は察しが付く。両親の死やメイコ隊長の罷免など様々な不幸が重なり、悲しむ暇も無いまま勝手な大人達に振り回されたからだ。同じく運命を狂わされたリンにはそれが痛いほど分かる。
「あたしがここに来たばかりの頃はその片鱗が残ってたと思うよ。……新米騎士様を殴ってるのを止めた事あるし」
 リリィは声を落として貴族への皮肉を言い、いきり立つレンを宥めるのが大変だったと笑う。釣られたリンも笑みを浮かべる。
「……リリィは王子の事を良く見てるんだね」
 侍女と言うより姉みたいだと冗談めかして付け足すと、リリィは一呼吸置いて頷いた。
「おこがましい事を言うけど、あたしはレン様を弟のように思ってる」
 リリィの目に寂しげな光が差した事に、リンは気が付いていなかった。

 自室のベッドにうつ伏せになり、レンは枕に顔を埋めて自分に問いかける。
 俺は一体何なんだろう。黄の国のお飾りでしかないのか。俺がしていた事は意味の無い事だったのか。無駄どころか状況を悪化させてしまっていたのか。
 緑の王宮でミク王女と話して以来、レンは自分の存在意義に疑問を持つようになった。最低限の仕事だけはこなしつつも、ふとした瞬間に自問をして考え込む。答えの出ない問いかけを繰り返す内に気が塞ぎ、今日はおやつを断った。
 体を横向きに変える。左目の下には一筋の傷が走り、レンはほとんど治った傷を撫でる。

 数日の謹慎。一歩間違えば王子の命が消えていたにも関わらず、護衛の騎士に下された処分は余りに軽かった。レンが自分から千年樹の森へ行き、侍女共々いなくなったと騎士が強調し、それを理由に厳罰を免れたのだ。
 当然レンも黙っていた訳ではない。騎士としての責務を怠った罪は重く、過失は厳重に処罰すべきだと上級貴族達が集まる会議の席で主張した。これを機に腐敗しきった騎士団の改善を行いたかった思いもあり、護衛騎士には厳罰をと強く求めた。
 だが、貴族達は上辺だけの議論をレンに見せつけた後、数に物を言わせて失態の追及をはぐらかし、護衛騎士は謹慎と言う軽い処分に終わった。
 過失の内容はメイコと似ている。しかし国王夫妻を守る為に尽力していたメイコと、王子を守ろうともしなかった馬鹿騎士とは天と地の差だ。理不尽と思わずにはいられない。

 騎士って、弱い人を守る為の存在じゃなかったっけ……。
 正直、レンは王子を守らなかった事に関してはさほど気にしていない。護衛騎士に腹を立てているのは、一般人のリンベルを守る姿勢すら見せなかったからだ。
 腐っても騎士だから最低限の誇りはあるとは思っていた。だけど現実はするべき事を怠り、その事に何の責任も罪も感じていない有様だ。バルト団長が見たら嘆くに違いない。
 そんな貴族連中を罰せられない自分。情けない王子。己の不甲斐無さを叩き付けられた。
「貴方は王族に相応しくない」
 ミク王女の言葉が頭の中で反響する。
 その通りだ。どうして俺は黄の国の王子として生まれたんだろう。俺なんて王族に足る人間じゃない。現に家臣達すらまとめられずにいる。
 役立たずの王子と腐った貴族がいる限り、この国は変えられないのか。
 黄の国を堕落させた原因。それに思い至った時、レンは一つの可能性を見出した。
 この国はもう駄目だ。貴族の意識改革などを悠長にやっていたら、遠くない未来に国は食い潰される。いざその時になれば連中は逃亡するだろうが、崩壊した国に残されるのは平和に暮らしている国民達だ。
 無政府状態になれば野盗や盗賊がのさばり、国力が低下した所で他国からの侵略もあり得る。特に緑は機を逃さない。これ幸いにと黄の国に乗り込み、晴れて東西の併合を宣言するだろう。最悪、黄の国民を奴隷扱いする恐れもある。クオの事は信頼しているが、おそらく緑の国は大陸を支配する事に何の躊躇は無い。
 そうならない為に自身が出来る事。黄の国を守り、変える為に王子の自分がやれる事は一体何か。
 考えればすぐに手段は浮かんだ。だがそれは運に左右されやすく、穴の多い強引な計画だった。
 無関係な人達を巻き込んで多大な犠牲が出る。上手くいくかどうかも分からない。両親や周りの人達が望まない方法で、決して綺麗なやり方じゃない。先程の想像よりも悪い事態に転がる危険性もある。
 それでも。
「……やってやる」
 呟きと共にレンは体を起こす。蒼の双眸には決意の炎が灯っていた。
 それが必要なのであれば、役目を引き受けるのが王家の務め。大切なものを守るためなら、悪と呼ばれようと構わない。
 男女の双子は呪われた災いの子。上等だ。その通りになってやろうじゃないか。
 レンはベッドから降りて立ち上がり、壁に飾られている宝剣を見据える。王家に伝わる名剣はどんな時でも輝きを失っていなかった。
「俺は黄の国を壊す」
 王子が国を滅ぼす覚悟を決めた瞬間も、宝剣は変わらず煌いていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

蒲公英が紡ぐ物語 第31話

 リンとリリィの会話シーンが多い気がする。

 インタネ組がリンレンの保護者のようになってきました。

閲覧数:281

投稿日:2012/11/04 10:17:54

文字数:3,787文字

カテゴリ:小説

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