ねえ、どこにいるの? 貴方は、私を置いて、どこへ消えてしまったの?


「はぁ、幽霊が出る?」
「そうなのよ。だから、私と一緒に……」
 俺が、幼馴染の君からそう声をかけられたのは、部活を終えて家に帰ろうとした時だった。晩秋の太陽はあっという間に落ち、辺りはすでに星が輝き、満月が東から姿を現していた。
「断る」
「そんなこと言わないでよ。貴方しか頼れる人がいないの。お願いだから……」
 君はいつもそうだ。僕の弱点をよく知っている。僕は、「貴方しか」という言葉に弱い。
 そして、とどめと言わんばかりに抱きついてきた。

「ね、お願い」
 君の髪からほのかに香る、女の子らしい香り。
「……わかったよ」
「本当? ありがとう!」
 まるで子供のようにはしゃぎ、うさぎの様に飛び跳ねる君は、幼稚園の時から何も変わっていない。興味のある事、関心がある事には、何にでも首を突っ込み、そして、大きな騒ぎを起こす。その後始末をするのは僕だ。
「とりあえず、その幽霊が出るとかいう所に連れて行ってくれよ」
 ろくに教科書も入っていない鞄を机に置くと、僕は君に手を引かれ、人気のない校舎を歩き始めた。


「ここ。資料室よ」
 君に手を引かれてやってきたのは、もはや使われる事がなくなった資料室だった。
 明日からいらないものをすべて処分して、その代わりにコンピューター教室になると誰かから聞いた事を思い出した。
 引き戸を引くと、何の問題もなく扉は開く。普段からカギはかかっておらず、サボりたい生徒にとってはには格好の隠れ場所になっていた。
「ふーん。こんなところで幽霊を見ただなんて。で、その幽霊って、女?」
「そうみたいね。はっきり見た人はいないけど、髪は長かったそうよ」
 君の話を聞いて、真っ先に思い浮かべたのは「お岩さん」のような、青白い顔をした女の幽霊だった。

「ね、だから、わ、私から……は、離れないでよね」
 君は僕の腕にしっかりしがみつき、心なしか震えている。
 怖いから僕を連れてきたの? 
 別に僕じゃなくてもいいじゃないか。
 君が本気で怖がるところを見て見たくなった。誰でもいいなら、そんなに怖がったりしないよね。
 ふと見回すと、いろいろな物が無造作に置かれていた。僕は「それ」を見つけると、おもむろに手に取った。

「何? 何か見つけたの?」
「これかい? 幽霊みたいなのって」
 僕が君に見せたのは、人体模型の頭の部分。ご丁寧に半分は筋肉だけのあれだ。
「いやあああああああああ」
 しばらく間があって、君の悲鳴が響き渡った。だが、その後が大変だった。
 君は勢い余って、小さな棚を倒してしまった。
 ガチャーーーン
 派手な音が響き渡り、僕のいる所にまで飛んできたガラスの破片が飛び散ってきた。
「何よ! いきなり!!」
 君は怒った表情を僕に向けたが、すぐに表情が変わった。
「顔……」
 君の手が、頬に伸びた。僕はその時、頬から赤い筋が流れているのに気がついた。
「ごめん。私のせいで」
 君の泣きそうな顔に、バカな事をしてしまったと後悔してしまった。


「誰かいるの?」
 声がしたのは、その時だった。まるで抑揚のない、冷たい声。
「誰かいるの?」
 声は次第に大きくなっていく。先生の声ではないのは、すぐにわかった。
「どうしよう……」
 君は僕を見て、何か訴えかけているようだ。でも、僕も何をしていいかなんてわからない。できることと言えば、とにかく声の主に見つからない事を祈るだけだ。

 足音が近づいてくる。君は目を閉じ、祈るような姿で僕にしがみついていた。
 やがて、足音がとまる。僕はそっと顔を上げる。そこにいたのは、全身黒色に染まった、髪の長い女の姿だった。ほっそりとした姿と、闇に溶け込むような黒に、僕は釘づけになった。
 顔を上げた瞬間、目があったような気がした。だが、その女は僕には何の興味も示さず、そのまま倒れた棚へと歩いていった。
「やっと、やっと会えた」
 女の声が聞こえてきた。僕と君は、息を殺して女の方を見ていた。
「ごめんね。随分、待たせちゃったね」
 女が手にしている物。それは、蝶の標本だった。
「さ、いこう。みんな、待ってる」
 その時、僕達は信じがたい光景を見た。


 動くはずのない蝶の標本が、月明かりに照らされ、羽ばたき始めた。呆然とする僕達を尻目に、蝶は窓から外へと出ていった。
 あの女は、僕達の方を見て、少し微笑んだ。そして、窓から飛び降りた。
「えっ!?」
 僕達が窓に走り、外を眺めた。そこには、学校のそばにある小さな湖が、光に包まれていた。決して月明かりでも、人工の光でもなく、まぎれもなくあの蝶の放つ光だ。

「すごい」
 君はその光を携帯のカメラで撮影しようとした。だけど、君は手がかじかんで、うまく携帯を操作できないでいた。
「あ、光が!」
 光り輝く幾千もの蝶の群れが、帯のように月に向かって羽ばたいていく。
 そして、あの2匹の蝶も、その帯に合流していった。
 ものの5分もしないうちに、光の帯は消え去り、静かな満月の夜に戻った。
「あー……写真撮りたかったのに」
 君は悔しそうに闇夜に向かってつぶやいた。
「でも、これでよかったんじゃないの? 僕はしっかり目に焼き付けたよ」
「私もそうすればよかった……」
 君は不満そうな顔を僕に向け、取り出した携帯電話をしまった。


 翌日から、あの資料室にあった物が廃棄されていった。蝶の標本が一つなくなっている事に誰も気がつかなかったし、棚が倒れている事についても、何の詮索もなかった。

「今日の事は、秘密にしよう」
 昨日の帰り道、君と僕は2人だけの秘密を作った。だから、この事は僕の頬の傷とともに、青春の思い出となった。

 後で調べてわかった事だが、かつて、ここで光る蝶がたくさん見られたそうだ。だが、乱獲と環境破壊によって50年ほど前に絶滅したらしい。だから、あの女の「幽霊」は、離れ離れになった「恋人」を捜すために、この世界をさまよっていたのかもしれない。


「何? どうしたの」
 僕は思わず君の手を強く握っていた。
 どうか、あの蝶のように、君と離れ離れになりませんように。
 そう祈りながら。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

月下飛翔

 以前、某ラノベレーベルの短編部門に応募した時の作品を加筆修正したものです。

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投稿日:2013/07/12 22:35:38

文字数:2,581文字

カテゴリ:小説

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