9.
「ギュスターヴ・ファン・デル・ローエ二世。我、ニードルスピアの名に置いて汝の罪を裁かん。己が罪を数えよ」
「は……? いったい何の冗談――」
「一つ。レオナルド・アロンソを操り、十二年前の革命もどきを引き起こした罪」
告げながら、女は市長の目の前まで悠然と歩を進める。
「待ちたまえ。誰の許可を得てここに……ん? そなた、まさかニードルスピア卿か?」
「一つ。革命に紛れて、汝が父、ギュスターヴ・ファン・デル・ローエ一世を殺した罪」
「おい。待てと――」
「一つ。同様に、我が夫、アレックス・ニードルスピアを殺した罪」
「……」
市長が顔を強ばらせ、言葉を失う。
女の、ヴェールの向こう側の視線に居すくめられたのだ。
「け、卿。本当――」
「そんな訳なかろう! 全くの出鱈目だ!」
女の背後で唖然としている警官の言葉を、我に返った市長が否定する。
「そぉーかい? レオナルド・アロンソと親交があったのは事実だろう?」
「はっ。あの、自称エコロジスト等というろくでもない輩とか? そんなこと――」
「るせぇよ、ギュスターヴ。こっちは調べがついてんだ」
女はおもむろに懐からデリンジャーを取り出し、ためらい無く撃つ。
その破裂音に市長はとっさに机に身を伏せるが、そもそも女の銃撃は彼を狙ったものではなかった。
市長の背後、天井から床まで、壁の全面を占める大きなガラス窓が粉々に砕け散る。
虚空に大小無数のガラス片が広がると同時に、気圧差で室内から外へと突風が吹き荒れた。
市長のデスク上にあった沢山の書類が巻き上がって外へ撒き散らされ、女の小さな帽子とヴェールまでもが突風に飛んでいってしまう。
帽子とヴェールに隠れていた、丁寧にまとめられていた絹糸のような長い銀髪がもみくちゃにされる。
そしてその奥からは、髪の色とは対照的な、烈火のごとく燃え上がる金色の瞳が市長を射抜いていた。
「レオナルド・アロンソはあんたのハイスクール時代の先輩だ。二十数年前、あんたはハイスクールで常に成績トップだった。まぁ、父親が市長なんだ。それで当然だっていうプレッシャーの賜物だろうがな。そこで同じように秀才であるレオナルド・アロンソと意気投合。二人でこの都市の改革プランを空想しては盛り上がった。それだけなら――」
『――ギュスターヴ市長の献身的な働きにより、市民の皆様の生活が支えられています』
外から響くプロパガンダ放送に女は顔をしかめる。
窓ガラスが割れて遮る物が無くなってしまったからだろう。放送は耳を押さえたくなるほどの騒音だった。
それから少しして、市長の背後、破壊された窓ガラスの向こうから飛行船がゆったりと顔を出す。
「……チッ。うるせぇなぁ。……で、だ。そこまでなら単なるお遊びだった。まぁ、レオナルドが本当に実行しようとしなきゃ、あんたにとってもお遊びで済む筈だったかもな」
女はさもつまならさそうに左右に行ったり来たりしながら話を続ける。
分かりきってる事を口にしなければならないという行為に、意味を見いだせないようだった。
「だが……レオナルドは冗談と空想の産物だったはずの改革を、十二年前に実際にやろうとした。環境活動家と名乗り、低所得者層を囲い込み、急激に支持者を増やした。お前たちのプラン通りにな」
「しかし、それは……」
「そう。そこまではレオナルドの独断だった。だが、都市の全てを巻き込んだ彼のデモを……あんたは破壊を伴う革命へと変え、自分のために利用した」
女は市長のデスクに近寄り、置いてあった葉巻を手に取る。
煙管を持っていなかったからだろう。市長が何も言わないのをいいことに、シガーカッターで葉巻の吸い口を切って咥えると、マッチで火を点ける。
「デモの一員の振りをして爆薬を用意し、トライデントビルを倒壊させた。これはあんたが最初で最後、唯一直接手を下した事件だ」
紫煙をくゆらせながら、女は続ける。
「本来、レオナルドはそんな風に過激な事は一切やるつもりなど無かった。が、トライデントビル倒壊がデモの……革命のせいになると、そうもいかない。レオナルド本人はともかく、彼に心酔していた一般市民以下の者達にしてみれば、それは一番の成果だったからな。事件後、革命はエスカレートを続けた。そこでようやくあんたは、レオナルドにトライデントビルの犯人が自分だと告げ……彼を都合よく操るために脅したんだ」
「まるで……見てきたかのように言うじゃないか」
「直接、本人から聞いたからな」
ふぅ、と煙を吐きながら平然と返す女に、市長は眉根を上げる。
『皆さんはこの国で最も偉大な都市で暮らしているのです』
またも放送が響き、市長の疑問は言葉にならない。
「……へっ。最も偉大、ねぇ。前から思ってたけどよ、あれ、ちょっと自意識過剰過ぎんじゃねぇの?」
「……」
「まーいーけどよ。で、オレはよ……革命の首謀者として捕らえられたレオナルド・アロンソと話をしたのさ」
「そんなバカな……ヤツは面会謝絶で死刑になった筈だ!」
「おやおや、市長さんよ。あんたはこの都市の死刑執行がどんなもんか知らねーのかい?」
「なに?」
「ここじゃ絞首刑も電気椅子も使わねぇ。死刑執行はガスで行われる。本人には痛みが伴わず、気を失うだけで苦しまずに死ねる。だから人道的だ……つってな」
市長は怪訝な表情を浮かべる。
「それがなんだと……」
「刑務所と死体安置所さえ押さえりゃ、睡眠薬で眠らせて連れて来るのなんか容易いってぇ事だよ。誰かをこっそり逃がすのにも、誰かを……拷問するのにも使える」
ごくり、と息を呑んだのは背後にいる警官だった。
「オレの部下には優秀なのが居てね。真実と嘘を見分けつつ、与えうる限りの痛みを与えられる奴らがいる。レオナルドには……きっちり四十八時間かけたんだぜ。さて……あんたはいったい、何時間保つかな?」
葉巻を絨毯の上に投げ捨てながら、キヒヒ、と笑う女に、市長は恐怖に顔を歪める。
「や、やめろ。わたしは……」
「レオナルドの口から聞いたんだぜ。前市長とアレックスの殺害も、あんたに指示されてやらざるを得なくなった事件だったとな」
「出鱈目だ!」
女はまだくすぶる葉巻を踏み、絨毯に焦げ跡をつけながら火を消す。
「オレの部下が、レオナルドの“身体に”確認した。レオナルドは嘘を言ってない。だがまあ、そうだな。あんたの身体にも、確かめておく必要があるよな?」
近づいてくる女に、市長は慌てて立ち上がろうとして椅子から転げ落ちる。高級そうなワーキングチェアが転がり、割れた窓ガラスから外へ落ちていく。
必死の思いで立ち上がり、女から距離をとろうと後ろへ下がる。
だがすぐそこはもう割れた窓ガラス。あと一メートルも下がれば地上まで遮るものは無い。
「――スコット・ギレンホール巡査部長」
「……はい」
「あんたは……オレを止めるかい?」
デリンジャーを市長に向け、警官へと振り返る女。
彼女の狂喜に染まった笑みに、警官だけでなく、少年と秘書もまた凍りつく。
「そ、そそ、そうだ! そこのお前、私を助けるのだ! そうすれば……ここの警備部長にしてやる。月給八千ドルだしてやろう! だからその女を――」
『発展と確かな未来。ギュスターヴ市長と、この都市がそれを獲得できるのです』
「――くそっ、うるさいぞ!」
叫ぶ市長に、女は鼻で笑う。
「テメーで用意した放送だろーが。父親が市長だった時はやってなかったぜ、あんなの」
女は再度警官を見る。
「――スコット。あんたの意見に耳を傾けてやんのも、今が最後だぜ。オレは気がみじけーんだ」
「私は……」
「ま、今の話を聞きゃあ困惑もするか。こいつがあの時、トライデントビルを崩壊させてなきゃ、あんたはギレンホール家の子になるこたぁ無かったんだしな」
「……そこまで、ご存じなのですね」
「そのカッコを見る限り、アランの会社は継げなかったみてーだがな」
「結局のところ、私は父が望むほど頭が良いわけではなく……会社が奪われていくのを眺めていることしかできませんでした」
「そのギレンホール商会を買収したのが、カレン総合貿易社。市長の子会社だ。買収してすぐ、ギレンホール商会の取締役会を解散、重役は全員解雇を迫られた。拒んだアラン・ギレンホールは、毒を盛られた」
「……恐らく、そうなのでしょう。ですが、物証はありません」
「オレが、毒を盛った張本人を押さえているっつったら、信じるか?」
「なんですって?」
驚く警官に、女は笑う。
「さあスコット。正念場だぜ。究極の二択ってヤツさ」
女は道化のように仰々しい仕草で両手を広げる。
「一つ。これまでの恨みなど全て忘れる。オレを逮捕し、憎み続けてきた市長を救う。このタワーの警備部長になり、月給八千ドルを受け取り、富裕層ほどではなくても、そこそこ裕福な生活を送る」
女と警官の姿を、市長は黙ったまま見つめている。
「もう一つ。恨みを忘れなどしない。疑惑をはっきりさせ、復讐を遂げる。主犯から話を聞きだし、もちろん……そこにいる市長からも、どんな方法を使ってでも真実を明らかにする。そして、父を貶めたものに罰を与える。しかし、その代わり……それほど裕福な生活は送れないだろう」
「……答えは、決まっています」
警官は、女に向かって静かに膝をついた。
「ニードルスピア卿。……いえ、漆黒の未亡人。私はあなたについていきます」
女は手を伸ばし、その細い指先で警官のあごを上げる。
「……。そうだ、スコット。懸命な選択だ」
女は市長に向き直り、距離を詰める。
「や、やめろ。私に拷問など……そんなことあってはならん」
うろたえる市長にも、女は一向に怯まない。
「諦めな。ここがテメーの終着駅さ」
「なにをたわけた事を――」
「――黙りな。辞世の句はあんたにゃ必要ない」
女はデリンジャーを市長に向ける。
「眠れ。次に会うときはオレ特製の隔離室だ。全てを白状させ、全てをつまびらかにさせるさ」
「はははっ! 貴様の好きになどさせるか! 私は、私は……」
市長は恐怖に顔を染めながらと、一歩、また一歩と後ろに下がる。
「……止めとけ。テメェにゃ無理だよ」
「ははっ。それはどうか……ひっ」
足が窓際に散らばった破片を踏み、微かに音が鳴る。その音に市長は小さく悲鳴を上げた。
「ギュスターヴ市長、こちらへ。私たちはあなたから真実を教えてもらわなければなりません」
警官の言葉に、市長が取り乱す。
「お断りだ! 私は絶っ、うわっ……」
取り乱して一歩踏み出そうとした拍子に、ガラス片に足を取られたのか、バランスを崩す。
慌てて窓ガラスのサッシを掴むが、不安定な体制で咄嗟に伸ばした手で、全体重を支えられる筈も無い。
背後に倒れる市長は、掴んだサッシに血の跡を残して……虚空へと身を投げ出す。
「なっ――」
どこか間抜けな声を残し、市長が窓ガラスの向こうへ消える。
「……チッ。クソッ」
女が割れた窓際へ駆け寄る。
見下ろしたそこにあったのは、自らの信念も無く飛び降りる羽目になり、絶望した顔で錐揉み回転しながら道路へと直行する市長の姿だった。
「……」
女と同じように、警官も窓際に駆け寄って見下ろすが、すでに……市長は“着地”していた。
『――ギュスターヴ市長の献身的な働きにより、市民の皆様の生活が支えられています』
場違いにも程がある飛行船からの放送に、女は舌打ちする。
「こんな……安易な死をさせるつもりじゃ無かったんだがな。脅しで窓を割ったのは失敗だったな」
ポツリとそう言うと、女はきびすを返す。彼女の行く先には、言葉を一切発しないままだった少年と秘書の姿。
「……帰るぞ。まだ、何もかも“始まったばかり”だからな」
他の者の事など一顧だにせず、女はエレベーターへと直行する。
扉がすぐ開き、女は中に入ろうとして……扉に手をかけ、一度だけ振り返って割れた窓ガラスに視線を向ける。
「本当の復讐は……これからだ。全て、ミキサーにかけるみたいにな」
その言葉だけが、室内に空虚に響いた。
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