「もしもし、さっきの……」
 言いかけたところで、また電話を切られてしまった。もう一度リダイヤルボタンを押す。こうなったら意地だ。出たのは、やはり同じ女性だった。
「しつこいわね! この泥棒猫の身内が!」
 大声で怒鳴られ、俺はまた唖然とすることになった。この人は、一体何なんだ?
「何なんですか、いきなり。俺はまだ何も……」
「言わなくてもわかるわよ。巡音の人間でしょう? そんなろくでなしの一家と話すことなんてありません。お引取りください」
 このままだとまた電話を切られそうだ。俺は慌てて声を張り上げた。
「待ってください! 一体何の話をしているんですか!?」
「まあ、しらばっくれちゃって。あなた、大方あの泥棒猫の息子でしょ。こっちは一生許す気なんかありませんから」
 状況がさっぱりわからない。泥棒猫とは一体、何のことなんだ?
「だから何の話ですか?」
「あんな女の息子に話すことは……」
「俺はルカの夫です!」
 必死で怒鳴った。電話の相手が、虚を衝かれたのか、一瞬黙る。
「ルカの本当のお母さんのことが知りたくて、電話したんです。お願いします、何か教えてもらえませんか」
 電話の向こうからは、何の答えも返って来ない。俺は何も言わず、相手が答えてくれるのを待った。
「あなたは、ルカの夫ですって?」
 向こうの声は、さっきよりは落ち着いているようだった。
「そうです」
「それで……何で今頃電話を?」
 ルカの実母が家を出て行ったのは、単純計算で二十四年ぐらい前のことだ。十年一昔というから、もう二昔になってしまう。今頃になって……と先方が思うのは、もっともだろう。
「今頃というか……俺はつい最近まで、何も知らなかったんです」
「何も?」
「ルカの両親が離婚していたことや、ルカを育てていた人が継母だったことをです。ルカは何も言ってくれなかったし、ルカのお父さんも……」
「あの人が何か言うわけないでしょ」
 突き放した口調で、電話相手は答えた。……そう言えば、この人は一体誰なのだろう。
「あの……あなたは」
「私は茅野スミ。ルカの母、ルミの姉です」
 口調は冷たかったが、疑問には答えてくれた。ということは、この人はルカの伯母なのか。
「それで、ルカの母親には、一体何があったんですか?」
 俺が尋ねると、スミさんはまた黙ってしまった。
「スミさん?」
「どうしても知りたい?」
 聞かない方がいいのかもしれない。一瞬、そんな考えが頭をかすめる。だが……。
「ええ」
 俺は、そう答えを返していた。ここまできたのだ。後には引けない。
「そう、わかったわ。でも電話で話すのは……ちょっと」
 スミさんは、俺に空いている時間を尋ねた。対面でなら話してくれるつもりがあるらしい。俺はスミさんと、いつどこで会うかを話し合ってから、電話を切った。


 決めた日に待ち合わせの喫茶店に行くと、スミさんらしき人はすぐに来ていた。見分けるために当日の服装を教えてもらっていたのだが、そんなのがなくても、おそらくわかっただろう。そっくり……とはいかないまでも、ルカと似たところがある。
 来たのは、俺一人。スミさんに「ルカは連れてくるな。自分と会う話もするな。でなければ何も話さない」と言われたからだ。
「巡音ガクトです」
 俺はそう言って、スミさんの向かいに座った。スミさんが、落ち着かない様子で俺を見る。
「あなたが、ルカの夫?」
「そうです。巡音の家には娘しかいなくて、俺が婿に入りました」
「ということは、下の子は女の子だったのね」
「ええ」
 ……ん? この人は、ルカに妹……というか、下がいることを知っていたのか? そう言えば最初、俺のことも間違えていたようだし……。
「それでスミさん、ルカの母のこと、教えてもらえますか」
 スミさんはふーっとため息をついた。
「あのね、こんな話、本当はするべきじゃないと思う。ルミが離婚した時に、巡音の家とは縁を切ったわけだし。その気持ちは今も続いている。私は巡音の家が、あの人たちが許せない」
 俺は、ルカはあなたの姪でしょうと言いたいのを、必死で堪えた。ここで臍を曲げられて、帰られてしまうわけにはいかない。
「でも、溜め込んでいるのも辛いのよ。本当は色々と言いたいことがあったし。そんなことしても何にもならないって、ずっと堪えてきたけど。だからあなたに話すのは、私なりの気持ちの整理。それは、理解しておいて」
 刺々しい口調で言われ、俺はとりあえず頷いた。ルミさんという人が亡くなっているのだから、姉である彼女が苛立つのは当然かもしれない。だが、やはり納得のいかないものも感じてしまう。
「あなたは、どこまで知っているの?」
「ルカが二つか三つぐらいの時に両親が離婚したことと、ルカの母はもう亡くなっているということぐらいです。……ただ」
 俺はここで言葉を切り、スミさんの目を真っ直ぐ見つめた。
「ルカはどうも、実母が亡くなっていることを知らないようなんです」
「……え?」
 スミさんは、怪訝そうな表情になった。
「知らないって、どういうこと? ちゃんと連絡はしたわ」
「したんですか?」
 これには、俺が驚いた。
「ええ。知らないというのは、確かなの?」
 俺は頷いた。あの後、ルカに実母はどこにいるのかを訊いてみた。ルカの返答は「出て行ってからのことは、何も知らない」という、シンプルなもので、俺はそれ以上何も言えなかった。
「いつ亡くなったんです?」
「もう二十年も前よ」
 二十年前なら、ルカは七つだ。そんなに早く実母を亡くし、それを知らされていなかったなんて……。
「ルミの個人的な資産なんてそんなになかったけど、相続のことがあるから、連絡はしたわ。あの人と弁護士さんがきて、ルカの名義で通帳を作って、形見分けの品を渡して、それっきり」
 あの人、と言うのは義父のことだろう。
「泥棒猫を連れて来なかっただけ、ましということかしら」
「あの……その泥棒猫というのは」
「決まってるでしょ。ルミを追い出した、浮気相手のことよ」
 自分の顔が、驚愕で固まるのがわかった。スミさんが、おかしそうに笑う。
「もしかして、それも知らなかったの?」
「……はい」
「ということは、あの泥棒猫にも、多少なりとも恥じる気持ちはあったのかしら。何しろ先妻のルミを追い出して、自分が居座ったんだし」
 言葉が出てこない。先妻を追い出して居座った? あの大人しそうな義母が?
「それは本当ですか?」
「本当よ。ルミが泣きながら電話かけてきたもの。あの人に女がいる。しかもその女のお腹に子供がいる。姉さんどうしたらいいのって」
 苦い言葉だった。……ん? ちょっと待て。
「あなたは本妻、向こうは愛人。あなたの方が立場が強いんだからしっかりしなさいって、言ったんだけどね……」
 俺は引っかかりを憶え、スミさんの言葉を遮った。
「今、お腹に子供って、言いましたよね」
「そうよ。泥棒猫は妊娠中だったの。妊娠すると、神経ってますます太くなるみたいね。連日、ルミに電話をかけてきたらしいわ」
 俺は苛立って、こめかみを揉んだ。ルカの家庭は、思っていたのよりもはるかに複雑なようだ。
「それで離婚……ですか」
「あなた本当に何も知らないのね」
 呆れた口調だった。俺は苛立ちを押さえ込み、「はい」とだけ答える。
「離婚したのはわかるんですが、ルカはどうして巡音の家に残ったんですか?」
 離婚する場合、子供は母親が引き取ることが多い。ましてや原因は義父の不貞だ。娘を引き取るぐらい、できたはずなのに。
 俺の目の前で、スミさんは淋しそうな表情になった。
「ルミはね、あの泥棒猫のせいで、神経を病んでしまったの。それが原因で、離縁されたわ。私が引き取りに行ったけど、もう私の知っている妹じゃなかった。泣きながら、支離滅裂なことを言うだけになってしまってた」
 俺はまた、何も言えなくなってしまった。そんなことになっていたとは……。
「義父は、心の病気になったルカの母を追い出したんですか」
「そういうこと。……これに関しては、うちの両親にも問題があるわ。うちも旧家だし、両親とも頭が固くて。こんな娘は家の恥だって、ルミの味方はしてやらなかった」
 心が冷えていくような気持ちに襲われる。ルカの実母は、どれだけ辛かっただろう。娘と引き離され、その家には子供を連れた愛人があがりこむ。
「ルミは精神病院に入院したわ。時々面会にも行った。いつか回復してくれることを願っていたけど、無駄だったわ。二十年前、自ら命を絶ってしまった」
 スミさんはハンドバッグを開けると、中から一通の封筒を取り出した。それを、俺の方に差し出す。
 俺は封筒を受け取ると、中を見た。黄ばんだ便箋が一枚入っている。それには「姉さん、ごめんなさい。もう疲れました。もう頑張れません」とだけ書かれていた。ルカの母親の……遺書か。こんな遺書を残さなければならなかったなんて。
「これでわかったでしょう? 私がどうして、巡音の家を恨むのか。たとえ土下座されて謝られても、私は絶対にあの人たちを許さない。妹をあそこまで追い込んだ、あの男と泥棒猫を」
 俺は暗い気分になった。そんなことがあったら、俺だってその家を恨むだろう。だが。
「ルカのことは? ルカは、ルミさんが産んだたった一人の娘なんですよ? ルカのことも、同じように恨んでいるんですか?」
 だとしたら、俺だって黙っていない。ルカには、目の前のこの人に恨まれる理由など、ありはしないのだ。
 スミさんは、視線をテーブルに落とした。
「恨んでは……いないわ。ルミの娘だもの。でも、ルカには会いたくない。会わない方がいいと思うの」
「ですが!」
「会ったら、私は何を言うかわからない。それでもいいの?」
 その平板な声に、俺の頭の中は冷えた。この人と……ルカは会わせられない。会ったところで、両者が傷つくだけだ。どうしてこんな巡りあわせになってしまったのか。


 スミさんと会って話をしたことで、ルカの実母に対する疑問は解けたが、更に悩みを抱えることとなってしまった。
 なんといっても、ルカは今妊娠中だ。ただでさえ不安定な時期に、実母が既に亡くなっていたことを言うわけにはいかない。この事実は、しばらくは伏せておかなければ。
 それにしても、あの義母がルカの実母を追い出して居座ったとは……人は見かけによらないものだ。スミさんの話では、ルカの母を追い込んだのは彼女だということだった。それなのに「娘をよろしくお願いします」と頭を下げたのか。自分のせいで先妻が心を病んだことに対し、罪の意識があったのだろうか。それでもやっぱり解せない。
 落ち着かない気持ちを抱えながら、俺は帰宅した。ルカは居間で、本を読んでいた。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
 いつもならすぐ奥の部屋に入って着替えたりするのだが、今日はそうする気になれず、俺はぼんやりと居間に立って、ルカを眺めていた。ルカの様子は、いつもと変わりなく見える。
「ルカ」
 声をかけると、ルカは本を置いてこちらを見た。
「何か?」
 言いかけた言葉を、俺は飲み込んだ。今、ルカは大事な時期だ。いらない不安を抱え込ませてはならない。
「いや、何でもない」
 俺はルカを守ってやらなければならない立場なんだ。なるべく、雑音は遮断しよう。それが、俺の務めだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その三十三【誰が為の嘘】後編

 決意は立派なんですが……空回りしてるぞ、がっくん。

 後、人の委任状偽造するのは犯罪ですので、真似してはいけません。

閲覧数:739

投稿日:2012/07/14 19:43:59

文字数:4,687文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    ルカさんおめでとうございますなんですが、ルカさんは幸せなんですか?
    名前は何にするんでしょうか……
    お父さんは離婚したので……だけど、確かカエさんとは「リンとハクがいるから」と言う理由で結婚したんでしたよね?ならばもう結婚の必要も無いかと。でも、このお父さんの事ですから何とも言えないですけどね。
    水瀬さんも言っていますが、カエさんの事が誤解されているのはちょっと、なんていうか、嫌ですね。どうにかしてお父さんはバツ3だという事を知らせないと…!(笑)

    2012/07/16 13:59:25

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       ルカが幸せかどうかですか? どうでしょうね? 何も考えないのが幸せだというのなら、幸せかもしれません。
       名前は多分、がっくんがつけることになると思います。というか、私の中では決まってます。

       お父さんがカエさんと結婚したのは、三人いる娘の面倒を見てもらうためです。食事とか洗濯とかならお手伝いさんに頼めば済みますけど、学校のお知らせのプリントとかチェックして印鑑押したりするのは、お手伝いさんには無理ですから。そういうことをきちんとやってくれる人なら、誰でも良かったんです。また、お父さんはカエさんのことを「売れ残りの欠陥品」だと思っていたので、「結婚してやったんだぞ、ありがたく思え」という感覚のようです。
       なお、離婚できたのには、ミズホさんの支援も関係しています。色々とコネの多い人なので。

       カエさんはがっくんに誤解されていたとしても、やっきになって誤解を解こうとはしない人なので、どこか別方面からの働きかけが必要でしょうね。

       あ、それと、テイラー・スウィフトの曲、聞いてみました。可愛い曲ですね。でも、テイラーみたいな美人に歌われてしまうと「?」かもしれないです。

      2012/07/16 23:20:29

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