UVーWARS
第三部「紫苑ヨワ編」
第一章「ヨワ、アイドルになる決意をする」
その9「亞北ネルという親友」
球技大会も無事終わり、生徒会選挙が行われたが、対立候補もなく、無風の選挙だった。
会長はわたし、副会長はネルちゃん、書記は長藤君、会計は2年生の泡音リサ(あわねりさ)という女の子、先生に直訴して生徒会役員になりたがるというツワモノだった。わたしとしては、後継者ができてうれしいけど、ネルちゃんは少し気に入らないみたいだった。
また、暑い夏がやってきた。
衣替えで制服が軽くなるのはうれしいけれど、大量にかく汗や、透けて見える下着が悩ましい。
期末試験の前に校外模試があり、偏差値という尺度で自分を測る時期が来た。それを見て最初の進路希望を出すことになっていた。
このときは少し迷ったが、「UTAU学園高等部」は書かなかった。
無難に隣の市の有名な公立高校と近所の公立高校を書いてみた。
ネルちゃんは違ったようだった。
生徒会室で二人だけで話をしていたときだった。
ここは生徒が自由にエアコンのスイッチを入れられる場所だった。だからって、生徒会長になったわけじゃないのよ。
「UTAU学園、書かなかったの?」
ネルちゃんは、かなり意外そうな顔をした。
「じゃ、夏休みの実技試験、受けないの?」
「ネルは、受けるの?」
「あったりまえでしょ! あなた、受けないの?」
「うーん、まだ、決めてない」
「うそ、信じられない? どうして? てっきり、受けると思ってた…」
興奮気味だったネルちゃんは次第にトーンダウンしていった。
「ずっと、一緒だと思ってたのに…」
ネルちゃんが肩を落としていた。
「ネルは、どうしてUTAU学園を選んだの?」
ネルちゃんは口をへの字にして閉じてしまった。言いたくないなら、別にいいけど。少し、さみしい。
「ヨワにそんな顔されると、堪らないわね」
思ってることが顔に出るらしい。今後は気を付けよう。
ネルちゃんはあきらめたように、口を開いた。
「ここだけの話よ。一回しか言わないから、他の誰にも言っちゃだめよ」
今度は真剣なまなざしでネルちゃんがわたしを見た。
「わたし、本当は、ずっと、ステージに立ってスポットライトを浴びたかったんだ」
「昔の『アイドル』みたいに?」
「そう、ね」
ネルちゃんが視線を床に落とした。これは、嘘をついたときのネルちゃんの仕草だった。でも、ここでなぜネルちゃんが嘘をつかないといけないのか、このときわたしには判らなかった。
ネルちゃんは何かを思い出してはっと顔を上げた。
「夏休みに、UTAU学園の第一回の実技試験があるけど、受けるだけ受けてみない?」
「いつ?」
「8月の最初の」
「火曜日だね」
「わたし、受けるよ」
わたしはほんの少しだけ考えた。
「わたしも、受ける」
「じゃ、夏休み、入ったら、一緒に練習しない?」
「わかった、ネル。場所はどうする?」
「公民館の練習場は?」
「了解。時間は?」
「一時からでいい?」
「いいわ」
わたしは、練習が始まったら、ネルちゃんに何を隠しているのか聞こうと思った。
○
夏休みが始まった。
毎年恒例だが、パパのお盆休みまでに宿題が終わってないと、おばあちゃんの田舎に連れて行ってもらえないので、夏休みの七月は「スタートダッシュ」の期間だった。
でも、うまくいけば、八月はまるまる遊んでいられるので、それを楽しみに毎年頑張って宿題を片付けていた。
今年はちょっと違った。受験勉強もあるけれど、ネルちゃんとダンスの練習が毎日あった。
母には、ネルちゃんと受験勉強をすると言って外出していた。別に間違ってはいない、と、思う。
一応、受験勉強も兼ねているので、ダンス用の着替え以外に、勉強道具一式を持ち寄ってはいた。ただし、お互いに宿題がどれだけ進んだかを確認するだけで、それ以外は公民館のダンス練習場を使っていた。
そんなある日、公民館にある人物がやってきた。
それは、わたしと同じくらいの歳の女の子だった。
少し原色多めの服で割と目立つ格好だった。
お供に大人の男性と女性をひきつれていた。
「ここが、リハーサル室?」
女の子の声は押さえ目ながらもよく通る声だった。
声の調子から落胆しているのが解った。目を上げるとその女の子と目が合った。
女の子は気にも留めず目を逸らした。
「狭いのね。バックダンサーが全員は入れないんじゃ…」
女の子はそのまま部屋を出て行った。
「変わった子…」
ぽつりと言うとネルちゃんが反応した。
「おそらく、新しいボーカロイドじゃない?」
「え、そうなの?」
「デビューイベントをこの公民館でやるんで、その下見に来た、ってとこかな」
「ふーん」
「でも、どうして、ここなんだろう」
「ネル、気になるの?」
「まあね。東京ならいくらでも場所はあるはずなのに」
「まあ、そうよねえ」
練習を終えて外へ出たとき、その理由が少しわかったような気がした。
公民館から家へ戻る道順は、学校からの帰り道とあまり変わりがなかった。
その風景も、同じ格好をした大人がポスターを貼ったり電柱に付けたりしている以外はまったく同じだった。
そのカラフルなポスターをネルちゃんが声に出して読んだ。
「最新ボーカロイド、デビューイベント?」
わたしも続きを読んだ。
「うさぎみん・・・」
と、軽くボケてみた。
「とね、りおん、でしょ?」
ネルちゃんに軽く突っ込まれた。ノリのいいところが好きだ。
名前の上にアルファベットで読み方が書いてあった。
駅前を通り過ぎて、そのポスターが見慣れてきたとき、ネルちゃんが気づいた。
「これ、なに?」
ネルちゃんが指差したのは、電柱に巻きつけられた例のポスターの下にある別のポスターだった。
ボーカロイドのポスターはベニヤ板に貼り付けられ、その板が電柱に針金で固定されていた。その下には、別のポスターがあった。
「雪歌ユフ、ソロコンサート」
「UTAU事務所の人だ。『冷たい声だけど暖かくなれる不思議な歌声』、って書いてあるよ」
「日付は、…。同じだ」
「ほんとだ。『兎眠りおん』というボーカロイドのデビューイベントと同じ時間、午後六時からだ」
「ちょっと待って、ということは、これ…」
「ひょっとして、妨害、なの?」
いくらなんでもやり方がせこい、と思った。
「天下のボーカロイド」がいくら競争相手だからって、同じ日に近い場所でコンサートをぶつけるなんて、弱い者いじめにしか見えない。
しかも、人のポスターの上にポスターを貼るなんて、道徳的にどうかと思った。
「こんなの、ボーカロイドのすることじゃない!」
ネルちゃんが早まる前に抑えられればよかったのだけど、わたしもネルちゃんと同意見だった。
だから、ネルちゃんがボーカロイドのポスターをはがすのを最初は黙って見ていた。
ビリッと破れた音がしてわたしは我に返った。
「ネルちゃん、駄目だよ。勝手に剥がすのは」
ネルちゃんも気が付いたようで、手がピタッと止まった。
見ると顔は真っ赤だった。恥ずかしかったのか、悔しかったのか、戸惑っているようにも見えた。
「行こう」
ネルちゃんは足早に歩き出した。
「うん」
わたしは臆病になって周りをうかがってネルちゃんの後を付いて歩いた。
勝手に人の物を壊して(破いて)謝りもせずに立ち去るのはよくない、と思うのだけど、一部ネルちゃんと同調していて、彼女に強く言えなかった。生徒会長としては失格だと思う。
「ネルちゃん」
足早に、でも力強く歩く後ろ姿に、わたしは小さな声で話しかけた。
彼女は止まらず、振り向かず、同じように小さな声で答えた。
「わかってる」
わたしだって今回のポスターの件には怒りを覚えた。でも、ネルちゃんはわたしよりも強い何かに動かされているようだった。
「でも、彼だって」
「彼?」
それは今まで聞いたことのない単語だった。
振り向いたネルちゃんはわたしの顔というか、表情を確認して、顔を真っ赤にした。
「さ、先、帰るね」
ネルちゃんは本格的に走り出していた。
「あ、彼って、まさか…」
恋愛には無関係に見えたネルちゃんが本当は好きな人をずっと隠してきたように思えた。
その確認はできなかった。
ネルちゃんは次の日から練習に来なくなった。
ネルちゃんが破いたポスターは新しく貼り換えられていた。
わたしはボーカロイドのポスターをもう一度よく眺めてみた。
応援ボーカロイドに、鏡音リン、レンという双子の名前と写真が印刷されていた。ポスターの中で「彼」に該当しそうなのは、この鏡音レンという男の子しかいないけれど、もしかして、ネルちゃんは彼のファンなんだろうか。それも、熱狂的な。
わたしは残念ながら実技試験を受験できなかった。田舎のおばあちゃんが入院したというので急遽田舎に行くことになった。
それ以降、夏休み中、ネルちゃんに会うことがなかった。
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