「……生きた人間が出てこないお芝居は演じにくい?」
 ちょっとふざけて、わたしは鏡音君にそう訊いてみた。
「人生を描くには、あるがままでもいけなくて、かくあるべきでもいけなくて、自由な空想に現れる形じゃないといけないんだよ」
 あ……わかるんだ。何だか嬉しい。
「お芝居には恋愛が必要なのよ」
 そこまで言って、わたしは耐え切れずに声を立てて笑ってしまった。やっぱり「喜劇」なのかな。
「で、戯曲の話だけど……文学って、暗いものの方が多いのよね」
 シェイクスピアなら喜劇もあるけど、時代設定を考えると難しいわよね。
「シェイクスピアとかは無理でしょうし……」
「まあね……俺だってやれるものなら『テンペスト』とか、やってみたいけど、さすがにああいうのはなあ……」
 鏡音君は『テンペスト』が好きなのね。わたしは『冬物語』が好き。物語には幸せな結末を迎えてほしいの。
 で、上演する戯曲……あ、そうだ。
「バーナード・ショーの『ピグマリオン』は? 確かキャストは十人ぐらいだったはずよ。パーティーのシーンがちょっと難しいかもしれないけど」
 後お風呂に入るシーンがあるけど……カーテンでも舞台に張っておけばごまかせるんじゃないかな。
「それって、ギリシャ神話の話?」
 鏡音君はそう訊いてきた。ピグマリオンというのは、ギリシャ神話にでてくる、自分の作った彫刻に恋をした男性の名だ。この戯曲はその神話から題材を取ってはいるけれど、中身は違う。
「違うわ。あのね……『マイ・フェア・レイディ』って映画、知ってる? あれの原作なの。映画はミュージカルだけど、原作は普通のお芝居だから、やれるんじゃないかと思ったんだけど」
 最初から『マイ・フェア・レイディ』って言った方が、わかりやすかったかな。
「え? 『マイ・フェア・レイディ』って……あの、オードリー・ヘップバーンが主演してる奴?」
「ええ」
 わたしは頷いた。お母さんがオードリーの出演作を好きなので、これは見せてもらったことがある。ややブラックなところもあるけれど、基本的には明るい恋愛コメディだ。ただ原作では、イライザは教授の許には戻って来ないのだけれど。
「それ、文学に入れて大丈夫?」
「バーナード・ショーはノーベル文学賞受賞者だから、大丈夫じゃないかな」
 文学じゃないと言われたら困ってしまう。
「……それならやれるかも。あ、でも、俺読んだことないんだよな」
 鏡音君はそう言って、困った表情になった。えっと……確か、わたしの本棚にあったわよね。
「わたし、原作持ってるから、鏡音君さえ良ければ明日持ってくるわ」
「あ……じゃあ、頼んでいい?」
「ええ」
 良かった。ちゃんと役に立てたみたい。些細なことだけど……本当に、良かった。


 わたしが学校から帰ると、お母さんは居間で何かを見ていた。……雑誌かと思ったけど、違うみたい。
「お母さん、何見てるの?」
 わたしは、テーブルの上に何冊も置いてある薄い冊子の一つを手に取った。表紙には、タキシードとウェディングドレスの男女の写真がプリントされている。
「結婚式場のパンフレット?」
「ええ」
 ということは……。ルカ姉さん、もうじき結婚するんだ。結婚しても、多分この家を出て行くんじゃなくて、神威さんの方がこっちに来るんだろうけど。
「ルカ姉さん、とうとう式をあげるんだ」
「そのつもりらしいのだけれど……」
 お母さんは、そう言ってため息をついた。……どうかしたのかな。一応これ、おめでたい話のはずよね? と一瞬思ったのだけれど、よくよく考えてみると、わたしもどうおめでたいのかがよくわからない。結婚って、おめでたいの?
「ルカ姉さん、何か問題でもあったの?」
「問題というか……ルカ、全部私に決めてくれって言い出したの」
 ……え? どういうこと?
「決めてくれって、どういうことなの?」
「だから……式場とかお料理とか、ドレスとかブーケとか、全部私が決めていいって言いだしたの」
 わたしは言われた意味が、良くわからなかった。だって、結婚するの、ルカ姉さんよね? 自分の結婚式のことなのに……それでいいの?
「意見を訊きたいとかじゃなくて?」
 お母さんは、首を横に振った。
「自分は忙しいから、決めておいてくれって」
 忙しいって……確かにルカ姉さんは仕事をしていて、お母さんは専業主婦だ。でも、ルカ姉さんだって休みぐらいある。決めようと思えば、決められる時間ぐらいあるはずなのに。
「神威さんの方は、『結婚式は女性の夢でしょうから、ルカの望みを叶えてやりたいんです。どんな式でもあげてやりたい。式の形式もこだわりません。神社でも教会でも、ルカの好きな方で』と言ってくれているのだけれど、ルカの方がこんな調子だから、こっちも困ってしまって……神威さんにこんな話するわけにも行かないし」
 何を言えばいいのかわからず、わたしは黙ってしまった。ルカ姉さん……やっぱりロボットと一緒なんだろうか。
「式場は招待客の人数やお父さんの都合もあるだろうから、純粋にルカの希望どおりとは行かないかもしれないでしょうけど……お父さんもドレスやブーケにまではあれこれ言わないでしょうし……ルカ、本当に結婚したいのかしら」
 お母さんは、ルカ姉さんのことが気がかりみたい。確かにルカ姉さんが本当に結婚したいのかどうかなんて、わたしにもわからない。多分神威さんのことが「嫌いではない」のだろうから、結婚のことも「しても構わない」のかな……? って、わたし、何を考えているんだろう。
「……リンだったらどんな式にしたい?」
 わたしがルカ姉さんのことを考えていると、お母さんはそんなことを訊いてきた。
「え?」
「まだ先のことだけど、結婚するとしたら、どんな式がいい?」
 わたしの結婚式……?
「お母さんとしてはリンにはまだまだお嫁に行ってほしくないけど、でも、そんなに先でも無いんでしょうね」
 高校を卒業したら大学に行くことになる。お父さんのことだから、わたしもルカ姉さんと同じように、在学中にお見合いをさせようと考えるだろう。よくわからないけど、それなりの格式のある家の人と。その人がわたしを気に入ったら、多分、そのまま話は……。
 ……嫌だ。そんなのは嫌。どうして、お父さんの言うとおりにしなくちゃならないの? わたしだって……。
「……お嫁になんか行きたくない」
 気がつくと、わたしはそう口にしていた。お母さんが、困った表情になる。
「リン、そうは言うけれど、いずれリンにもいい人が……」
「お父さんが連れてくる人? わたしの結婚相手は、お父さんが決めるんでしょう?」
 わたしの言葉を聞いて、お母さんがショックを受けた表情になった。わたしの胸も痛む。お母さんを傷つけたいんじゃないの。それにお母さんにこんなことを言ったって、仕方がない。この家で物事を決めるのはお父さんで、お母さんじゃないのだから。
「……ごめんなさい。わたし、ちょっと疲れてるみたい」
 わたしはそれだけ言うと、通学鞄を抱えて二階へと上がって行った。自分の部屋に入ると、鞄を床に置き、ため息をついてベッドの上に倒れこむ。
 どうしてかな……ここのところ、前よりもずっと、些細なことが気になるようになってきた。胸をかきむしられるような気持ちがすることも。
 でも……学校へ行くのだけは、前よりもずっと楽しく感じられる。わたし、どうしてしまったんだろう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第二十七話【お芝居には恋愛が必要】後編

 今回登場する三つの戯曲に関して二人が言っていることは、あくまで「こういう解釈もあるよ」ぐらいに考えておいてください。どういう話なのか疑問に思ったら、ぜひその作品を実際に見てみてください。

『青い鳥』『桜の園』はどちらも超がつくほど有名なので、本屋や図書館で簡単に探せると思います。『ピグマリオン』は少々難しいでしょうが、映画の『マイ・フェア・レイディ』なら、レンタル屋さんにあると思います。

閲覧数:912

投稿日:2011/10/27 19:12:29

文字数:3,070文字

カテゴリ:小説

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