次の日、わたしは『ピグマリオン』を鞄に入れて登校した。鏡音君が登校してきたので、本を渡す。本を受け取った鏡音君が喜んでくれたので、わたしは少し安堵した。少なくとも、一つはいいことができた。
 その日の昼休み、いつものようにミクちゃんとお弁当を食べていたわたしは、ふと思い立ってミクちゃんに訊いてみた。
「ねえ、ミクちゃん。まだ先のことだけど……自分の結婚式はこんな風にしたいって、考えたことはある?」
 ミクちゃんはお弁当を食べる手を休めて、夢見るような瞳になった。
「もちろん」
「どんな式がいい?」
「えっとね……まずはドレスなんだけど、一枚目は純白のウェディングドレスがいいな。お姫様みたいにふくらんだ、段々飾りのスカートのがいいの。ブーケは淡いピンクのバラ。それにごくごく薄い透けるようなヴェールと、宝石のついたティアラを着けるの。で、後ね、できたらガラスの靴を履きたいな」
 ミクちゃんは楽しそうにそう語ってくれた。ミクちゃん、『シンデレラ』好きだものね。小学生の時の学芸会でシンデレラの役をやった時、とても嬉しそうだったっけ。
「でね、お色直しはお花をいっぱい付けた、明るいグリーンのドレス。靴も同じ色で、ブーケはかすみ草と勿忘草にするの。頭にもその花の冠をかぶるのよ」
「妖精さんみたいね」
 ミクちゃんならきっと似合うだろう。
「そういう感じにしたいの。でね、会場をシンデレラの舞踏会のイメージで統一するのよ。つまり絵本の中の宮殿みたいな雰囲気ってこと。曲はバレエの『シンデレラ』と、ディズニー映画の『シンデレラ』がいいな」
 ミクちゃんが結婚する時、祭壇の前でミクちゃんを待っているのはどんな人なんだろう。ミクちゃんのことだから、自分の理想にあう人を見つけ出して来るんだろうな。
「それでね、ウェディングケーキは、リンちゃんのお母さんに頼みたいな……ダメ?」
 可愛らしく首を傾げて、ミクちゃんはそう訊いてきた。
「お母さんに訊いてみないとわからないけれど……多分大丈夫だと思うわ。シュガーペーストのケーキがいい? それともクリームを使った方?」
「クリームがいいな。ケーキらしいケーキがいいの。それでね、リンちゃんには付き添いをやってほしいんだけど……あ、でも」
 ミクちゃんは、何事かを思いついたような笑顔になった。何だろう。
「ねえ、リンちゃん。結婚式、合同にしない?」
「え?」
「だから、一緒に結婚式をあげるの! 付き添いなんかよりそっちの方が断然いいわ!」
「そ、それはさすがに無理だと思うわ……わたしのお父さん、承知しないと思うし」
 いくらミクちゃんとの友達づきあいは大目に見てくれているとはいえ――以前、ミクちゃんのお父さんがわたしのお父さんに何か言ったらしい――結婚式まで一緒は無理だろう。
 ミクちゃんはわたしの前で、不満そうな表情になった。
「……ごめんね、ミクちゃん。一緒の結婚式って、とても素敵なアイデアだと思うけど、多分わたしの方が先に結婚しなくちゃならなくなるだろうから……」
 わたしの言葉を聞いたミクちゃんは、勢いよく首を横に振った。
「ミクちゃん?」
「それじゃダメよ、リンちゃん。わたしのお父さんとお母さん、いつも言ってるの。結婚は一生のことだから、よく考えて相手を選びなさいって。リンちゃん、お父さんの言うとおりになんてすることないの」
 きっぱりとそう言うミクちゃん。……ミクちゃんの言うことはもっともだ。でも……お父さんを説得なんて、どうやったらできるの? 正直、話をすることを考えただけで怖くてたまらない。
 お父さんの言いなりになるのは嫌だけれど……でも、どうしたらいいのかなんて、わたしには考えつかなかった。自分がどうしたいのかすら、よくわからないのに。ごめんね、ミクちゃん。


 その日の夜、わたしが夕食を終えて食堂から出ると、ちょうど仕事から帰って来たルカ姉さんと出くわした。
「ただいま、リン」
「お帰りなさい、ルカ姉さん。今日も仕事?」
 ルカ姉さんはうなずいた。
「ええ」
「ご飯は?」
「今日はまだだから、これから食べるわ」
 ルカ姉さんは二階に上がろうとした。食事の前に、スーツから普段着に着替えるつもりなのだろう。わたしはルカ姉さんを呼び止めた。
「ルカ姉さん、ちょっと待って」
「何?」
「お母さんから聞いたの。ルカ姉さんと神威さん、もうじき式をあげるって」
 ルカ姉さんはまた頷いた。……表情は全然変わっていない。要するに……無表情ってこと。これがミクちゃんだったら、頬を赤く染めるとか、にっこり笑うとか、とにかく絶対変化があるのに。
「それが?」
「ねえ……どうして結婚式のこと、全部お母さんに決めてくれなんて言ったの?」
「忙しいから」
 淡々と答えるルカ姉さん。やっぱり表情に変化は無い。わたしは背筋が寒くなってきた。ここから逃げ去ってしまいたい気持ちに駆られる。でも……。
「ルカ姉さん、おかしいわよ。ルカ姉さんの結婚式でしょう? 自分で決めないの?」
「リン……何が言いたいの?」
「だから、ルカ姉さんの希望はどこにあるの? ルカ姉さんは自分の結婚式をどうしたいの? 式場や日取りはともかく、こんなドレス着てヴァージンロードを歩きたいとか、無いの?」
 答えて……ルカ姉さん。そう思った時だった。
 その場に乾いた音が響いた。それと共に、わたしの頬に痛みが走る。
 ……ルカ姉さんに叩かれたのだと気づくのに、しばらくかかった。
「ルカ姉さん……」
 わたしは呆然として、ルカ姉さんを眺めていた。ルカ姉さんはやっぱり無表情だけど、視線だけはいつもより険しいような気がする。
「リンにだけは言われたくない」
 ルカ姉さんは冷たい声でそう言うと、くるりと背を向けて、階段を上がって行った。わたしは何も言えず、ルカ姉さんを見送るしかなかった。
 しばらくの間そこに立ち尽くしていたわたしだけど、そのうちに我に返った。打たれた頬は、ひりひりした痛みを訴えて来ている。
 ルカ姉さんにぶたれたのは初めてだ。暴力を振るうような人ではないもの。ルカ姉さんはいつもいい子で、間違ったことなんてしない人。じゃあ……この場合、悪いのはわたし? ルカ姉さんにぶたれるようなことを言った、わたしが悪いの? でも、今言ったこと、ぶたれて当然なほど、悪いことだったの?
 ルカ姉さん……完全にロボットってわけじゃないんだ。安心するべきところなんだろうけれど、何故か心がずきずきする。それに……何かが、引っかかっている。
 いつまでも廊下に立っていると、着替えを済ませたルカ姉さんと鉢合わせしそうだったので、部屋に戻る。ベッドに座ると、わたしはさっきあったことを思い返してみた。ルカ姉さんは、どうしてわたしを叩いたんだろう?
 くどいようだけど、ルカ姉さんはいい子だ。成人して働いているルカ姉さんに「いい子」というのも変な話だけど。でも、ルカ姉さんのことを考えるとき、出てくるフレーズはいつも「いい子」だったりする。今だって、お父さんの言うことには絶対に逆らわないし……。
 ちょっと待って。「いい子」って、「逆らわない子」って意味なの? 鏡音君のお姉さんは、「好き」と「嫌いじゃない」はイコールで結べないって言ったわ。じゃあ、「いい子」と「逆らわない子」もイコールで結べないんじゃないの?
 そう言えば……わたしが貧血で倒れる前、鏡音君はわたしになんて言った? 確か「巡音さんには自分の意見ってものがないの?」って言ったんだわ。その言葉を聞いて、わたしは頭の中が真っ白になって、鏡音君の前で叫んでしまった。……もしかして、それと同じことが、ルカ姉さんにも起きたんじゃないの?
 わたしの頭の中が真っ白になったのは、鏡音君の言ったことがそのとおりだったからだ。お父さんは、わたしが自分の考えを口にすることを嫌がる。怒られたりお説教されたりするのが嫌で、わたしはお父さんの前で何かを言うことを止めた。でも、本心を口にできないのは辛かった。だから、意見とか考えとかを持つこと自体を止めようとして、実際、そういうものはわたしの中からほとんど無くなりかけていた。
 じゃあ……ルカ姉さんには、「こうしたいという希望」が無いのかもしれない。でも、なんで? 希望が無いって、どうしてそうなったの?
 そもそも、ルカ姉さんは、どういう人? わたしの記憶にあるルカ姉さんは、いつも「いい子」だ。ルカ姉さんはいつだって「完璧ないい子」で、お父さんから褒められる人。そうじゃなかった時期のルカ姉さんなんて、わたしは知らない。
 どうしたらいいんだろう? ルカ姉さんの前で、同じことをもう一度訊いてみるとか? でも、同じ手が二度もルカ姉さんに通用するだろうか。それに……修羅場になったら、責められるのは確実にわたしだ。だってルカ姉さんは「間違ったことをしない」「いい子」なんだから。
 ああ、嫌だな、こういう考え。なんで、わたしはこうなんだろう。ルカ姉さんには何をやっても適わないから、卑屈になっているだけ……お父さんなら、そう言うんだろうな。……何をやっても適わないのは本当だし。
 でも……やっぱり、ルカ姉さんはおかしいと思う。「ちゃんとした姉」というのは、鏡音君のお姉さんのような人のことを、言うんじゃないのかな……。
 ……何故か、鏡音君とミラーハウスで話した時のことが頭に浮かんだ。え? あれ? なんで、こんなことが頭に浮かぶの? わたし、本格的にどうかしちゃった? 自分で自分がわからなくなってしまい、わたしはベッドの上に突っ伏した。

(おまけ その日、自宅でのクオとミクの会話)
「ねえ、クオ」
「なんだよ」
「リンちゃんのお父さん、射殺してくれない?」
「できるわけねえだろそんなこと! お前、俺を何だと思ってるんだ!?」
「やっぱりダメか……でもあのお父さん、射殺しておいた方がいいと思うのよね」
「お前ちょっと……いや、かなりおかしいぞ。今すぐ医者に行け」
「だってあのお父さんが全ての元凶なんだもの。あのお父さんさえいなくなってくれたら、リンちゃんだってもっと自分に素直になれるのに」
「ミク……頼むから、犯罪者にだけはならないでくれよ。お前がそんなことになったら、俺、伯父さんと伯母さんに申し訳が立たないじゃないか」
「じゃあ合法的にあの人排除する方法考えて」
「無茶を言うなあっ!」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第二十八話【わたしには姉さんがわからない】

 とりあえず、この状態で結婚なんてするもんじゃないってことだけは、明白なんですが……。どうしようもないなあ……。

閲覧数:1,085

投稿日:2011/11/01 19:48:50

文字数:4,281文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

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  • 苺ころね

    苺ころね

    ご意見・ご感想

    こんにちは。
    今回はミクが黒いですねw

    2011/11/03 12:08:12

    • 目白皐月

      目白皐月

      納豆御飯さん、こんにちは。

      いや、ミクもこれがいけないことぐらいはわかってますよ(苦笑)
      それに、元凶ってのは当たってますしね。

      2011/11/03 23:50:59

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