その日の夜遅く、わたしは自分の部屋でぼんやりとしていた。頭の中には、色々な考えがとりとめもなく渦巻いている。その考えは、大きく分けると二つ。片方は、鏡音君のことだ。どうして、今日は態度が妙だったというのかということ。何かした憶えはないけれど、わたしは人の心の機微には疎いから、気がつかないうちに何かしてしまったのかもしれない。あるいは今日のことは些細なことだけれど、細かい何かが積もり積もって、臨界点を越えてしまったという可能性もある。
 鏡音君に嫌われてしまったかもと思うと、胸がひどく苦しい。
 もう一つは、アルバムの写真のこと。わたしとルカ姉さんの写真は無いのに、ハク姉さんの写真はある。これはどう考えてもおかしい。おかしいのだけれど……答えがみつからない。いえ、あるといえばあるんだけど、その考えは認めたくない。
 考えても仕方のないことなのに、わたしは考えることをやめることができなかった。気分がどんどん沈んで行く。何度めかわからないため息をついた時だった。部屋のドアを叩く音がした。
「……誰?」
 お母さんかな。でも、ドアの向こうから返って来たのは、意外な声だった。
「リン……まだ起きてる?」
「ハク姉さん!?」
 わたしは驚いて立ち上がると、ドアまで駆け寄って開け放った。……ハク姉さんが、決まりの悪そうな表情で立っている。
「起きてるんなら、ちょっと話せないかと思ったんだけど……」
「う、うん、大丈夫。入って」
 わたしはハク姉さんを自分の部屋に入れると、ドアを閉めた。姉妹で部屋を訪ねるのなんて当たり前のことじゃないかと思われそうだけど――鏡音君のところとか、絶対に当たり前よね――ハク姉さんは引きこもってからずっと、基本的には部屋の外から出てこなくて、だから、わたしの部屋に来たこともなかった。
 それがどうして……。もしかしたら。
「ハク姉さん、どうしたの?」
 ハク姉さんは椅子に座ると、困ったような表情に視線を下に向けていた。
「あのね……ええと……この前はごめん」
「この前って……」
「あんたが前にあたしの部屋に来た時のこと。あたし、あんたを怒鳴りつけて部屋の外に追い出したでしょ」
 そうだった。一週間前の月曜日、わたしとハク姉さんはお酒のことで口論になって、ハク姉さんはわたしを追い出した。「あんたにあたしの気持ちはわからない」って。
「あの日、あたし、ちょっと疲れてて……それでいらついていたところにあんたが来ちゃったもんだから、当たっちゃったけど、ああいうことはするべきじゃなかったわ」
 わたしは驚きすぎて言葉が出てこなかった。ハク姉さんがこんなことを言い出すなんて、思ってなかったからだ。
 わたしがハク姉さんを見ていると、ハク姉さんはため息をついた。
「……リン、そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「だって……ハク姉さんが部屋から出てくるなんて、思わなかったんだもの」
 驚きすぎたわたしは、つい本音を口にしてしまった。ハク姉さんがまたため息をつく。
「確かに、これに関しては何言われても仕方がないけどね」
 言いながら、ハク姉さんは顔をあげた。
「でも、あんたとずーっと仲たがいしたまんま、っての、嫌だったから。怒鳴っちゃったあたしが悪いんだし、ちゃんと謝らないとって思ったのよ」
「う、うん……ありがとう。謝りにきてくれて」
「そこはお礼を言うところじゃないと思うけどね」
 ハク姉さんは苦笑した。わたしの気分もちょっとだけほぐれてくれる。
「ところで……リン、あんた、メイコ先輩の弟さんと同じクラスなんだって?」
 あ……やっぱり、鏡音君のお姉さんが話をしてくれてたんだ。良かった……。
「そうなの。家に行ってお姉さんに会うまで知らなかったけど。わたしもすごくびっくりしたわ」
「弟さんって、先輩に似てる?」
 鏡音君と、お姉さんか……。
「外見は全然似てないけど、性格の方は似てるみたい」
 お姉さんの方はあの時会っただけだけど、でも、ちょっとした物の言い方とか、考え方とか、共通点は多いように見えた。
「そう……じゃあ、しっかりした子なんでしょうね」
「ええ。一緒にいると楽しいし、なんだか安心できるの」
 そう答えた時、またわたしの胸は痛んだ。それなのに、なんで今日は……。
「リン、あんた、どうかしたの?」
「……なんでもないわ」
 わたしは首を横に振った。
「ねえ……ハク姉さん、訊きたいことがあるんだけど」
「何?」
「わたしたちの本当のお母さんって、どういう人だったの?」
 わたしが訊くと、ハク姉さんは驚いた表情になった。
「……どうしたのよいきなり」
「ちょっと気になることがあるの。ハク姉さん、本当のお母さんのこと、憶えているんでしょう?」
 ハク姉さんはまだ子供だった頃に、今のお母さんに「あんたなんか、本当のママじゃない!」っと怒鳴ることがよくあった。本当のお母さんのことを憶えているから、ああ言っていたわけよね。
「少し待ってて」
 ハク姉さんは、そう言ってわたしの部屋を出て行った。しばらく待っていると、ハク姉さんは戻って来て、手に持ったものをわたしへと差し出した。
 それは、一枚の写真だった。椅子に座った四歳ぐらいのハク姉さんと、その後ろに立っている女の人が映っている。……ハク姉さんに、似てる?
「この人が?」
「そうよ。あたしたちを産んだお母さん」
 わたしは写真を手に取って、眺めた。……この人が、わたしを産んだのか。でも、写真を見ても、何の感情も湧いて来ない。そうなんだという意識だけ。
 わたし……冷たいのかな。
「写真、それだけしかないのよ。もっとあったんだけど、お父さん、お母さんの映ってる写真はみんな捨てちゃったから」
 お父さん、そんなことしたんだ。でも、ハク姉さんが一人だけで映っている写真は残っている。
「これ、あたしとお母さんがレストランかどこかにお出かけした時に、撮ってもらったのよね。お客さんの写真を撮ってくれるサービスみたいな奴。その場でお母さんがあたしにくれたの。だから残ったんだけど」
「その時って……ハク姉さんと本当のお母さんだけだったの?」
「そうよ」
「ハク姉さん、幾つだったの?」
「幼稚園に入ってすぐだったわ」
 ハク姉さんが幼稚園の年少ということは、ルカ姉さんは小学校一年生だ。わたしはまだ生まれてない。多分、お母さんのお腹の中よね。まだ、お腹は目だってないみたいだけど。
「確か五月の連休じゃなかったかな、この時って。お母さんとはよくお出かけしたのよね。綺麗な服を着せてもらって、お母さんも当然お洒落して、レストランとか、遊園地とかに」
「ルカ姉さんは?」
 訊いてみると、ハク姉さんは不審そうな表情になった。
「どうしてそこで姉さんが出てくるの?」
「映ってないのが気になって……一緒じゃなかったの?」
「姉さんなら、確か家で留守番してたわ。いつもと同じよ。お勉強」
 きつい声だった。わたしはちょっと暗い気分になったけれど、それを振り払って、なるべく落ち着いた声を出すようにする。
「ルカ姉さん、そんなに前から勉強ばかりしていたの?」
「我が家の状況は、あんただってわかってるでしょ? 幼稚園に入る年になったら家庭教師つけられて勉強開始よ。姉さんはいつだって、真面目に机に向かって勉強していたわ」
 ハク姉さんはイライラした声で、そう答えた。……確かに、それが我が家の方針だ。ただわたしの時は、小学校低学年まではお母さんに勉強を見てもらっていたんだけど。確かお母さんが「こんな小さいうちから家庭教師に見せなくても……私が教えてあげられるから」って、お父さんに言っていたような。
「ハク姉さん……本当のお母さんって、どんな感じの人だったの?」
 ハク姉さんは、深いため息をついた。
「あたしにとっては、たった一人の味方だった。お父さんも家庭教師も、姉さんを見習って勉強しろ、行儀良くしろ、いい子にしてろって言う中で、お母さんだけが、そんなことしなくていいって言ってくれた。あたしはそのままでいい、姉さんの真似なんかしなくてもいいって」
 淋しそうな声だった。……そういう経緯があったから、ハク姉さんは今のお母さんを認めたくなくて、わたしが今のお母さんのことを「お母さん」って呼ぶのも、嫌がってたんだ。
 単純に受け止めれば、これは当たり前のことかもしれない。でもわたしには、気になることがあった。
「本当のお母さんって、気が強かった? それとも、おとなしかった?」
「……優しかったわよ。あたしにはね」
「ルカ姉さんには?」
「あんまり憶えてない。でも、いい子すぎて気味が悪いって言ってた」
 わたしは唖然としてしまった。
「そんなことを言っていたの?」
「だって事実だもの。あんた、姉さんがまともだとでも言うの?」
「で、でも……」
 その時のルカ姉さんはまだ小さかったはずだ。もしそれぐらいの時にお母さんがわたしのことを「気味が悪い」なんて言ったら、わたしはショックで大泣きしただろう。
「リン……なんで泣きそうなの? というか、あんた、姉さんと何かあったの?」
 わたしは唇を噛んだ。
「ルカ姉さん、結婚するの。でも神威さんのこと、嫌いじゃないんだって。嫌いじゃないから、結婚しても構わないみたい。わたし、どうしても納得行かなくて、ルカ姉さんと話をしてみようとしたけど、全然うまくいかなかったの」
「そりゃあ……姉さんはああいう人だし……リン、悪いこと言わないから、姉さんには関わらない方がいいわ。あの人、根本的に出来が違うみたいだから」
 そう言われてしまった。でも……。
「ねえ……ハク姉さん。ルカ姉さんのアルバム、見たことある?」
「ないけど、アルバムがどうかしたの?」
「ルカ姉さんのアルバム……写真が、小学校の半ばを過ぎてからのものしかないの」
 ハク姉さんは、虚をつかれた表情で黙ってしまった。やっぱり、そういうことなんだろうか……。
「ねえ、ハク姉さん、もしかして……」
「リン、それから先は考えちゃ駄目。あんたが考えて、どうにかなる問題じゃないから」
 そう言われて、わたしは考えたその先を口に出すことができなかった。確かに、わたしがどうにかできるレベルではないのかもしれない。それにもし、わたしの考えているとおりだとしたら……。
「とにかく、姉さんには関わらないこと。……それとリン、先輩の弟さんはいい子だと思うけど、仲良くなったことをお父さんに知られちゃ駄目よ。お父さん、異性のことに関しては心底うるさいから」
 黙り込んでしまったわたしにそう告げると、ハク姉さんは自分の部屋へと戻って行った。
 わたしは深いため息をついて、ベッドの上でうなだれた。……ハク姉さんと仲直りできたことは、素直に嬉しい。良かったと思う。でも……。
 ルカ姉さんは、多分、心の底ではわたしやハク姉さんのことが嫌いなんだ。その感情から逃げているから、見えて来なかっただけで。そしてルカ姉さんがわたしとハク姉さんを嫌うのは、仕方がない……というより、当然のことだったんだ。今まであまり意識したことがなかったけど、わたしたちは腹違いの姉妹。それで憎みあうなんて、おとぎ話の世界の中だけだと思っていた。でも、そんなことなかったんだ。
 なんでこんなことになったんだろう。頬を涙が伝った。わたしは、ルカ姉さんに何もできない。むしろ関わっちゃいけない。わたしは「許してもらう」立場なんだから。
 許してもらえなかった姉妹はどうなるんだっけ? ……確か、ひどい目に遭うのよね。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第四十二話【辛すぎる忍耐は心を石に】後編

 リンがまた妙な方向に思いつめています。

 ちなみにいわゆる『シンデレラ』のような、継子と実子タイプの昔話では、継母の娘はほとんど幸せにはなれません。ですがごくごくまれに、姉妹揃って幸せになるパターンの話があります。ただこの場合、継母の娘の方が主役になってしまうのですが(ついでに言うと、シンデレラ型の昔話って、常に継母の娘がいじめ役とは限らないんですよね。いじめ役が実の姉のパターンもあります。また、ほとんどの話では継母の娘は姉ですが、日本などに伝わるタイプは、継母の娘は妹の方であることが多いです)

 余談ですが私は、「継子と実子」タイプの話で、姉妹揃って幸せになるパターンの昔話って大好きなんですよね。だからボカロキャラでリトールドしてみたいなって思ったんですが、姉妹の組み合わせが決まらずに断念してしまいました。
 候補としては、
 ルカ(姉)+ミク(妹)
 ルカ(姉)+リン(妹)
 ミク(姉)+リン(妹)この組み合わせだったんですが、選べなかったんですよ……。どれも一長一短で……。
 でもやっぱり書きたい気持ちもあるんだよなあ……。

閲覧数:1,079

投稿日:2011/12/28 00:36:01

文字数:4,755文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

もっと見る

クリップボードにコピーしました