舞い上がれ、花吹雪。
桜の下で私にもたらされたのは、凶報だった。
表情の固い郵便配達員を見た瞬間、目の前が真っ白になった。
だって、この家になにか起きるのならレンについてのことしかありえない。
レンに何が起きたの。
まさか。
手渡された手紙を震える手で開く。
紙同士のぶつかる音が、がさがさと煩い。
でも、止めようがなかった。
そこには素っ気ない程に淡々とした文章が綴られていた。
―――戦死。
―――北方で。
―――戦火が激しいため、遺骨は拾えず。
何?
この手紙は、一体何を言っているの。
だってこれじゃ、レンはもう戻ってこない、みたいな・・・
ざあ、と風が吹く。
真っ白い花びらが一斉に視界を埋める。
――――うそ。
「・・・ぁ」
頭は、理解するのを拒否した。
でも体は、理解してしまった。
目が。耳が。もうこの世界にレンはいないと私に諭す。
「あ、あぁあああ」
レンはもう、戻ってこないんだ、と。
「あああああああっ!!」
耐え切れずに手で顔を覆ってくず折れる。
冷静な私が囁く。覚悟していたことでしょう、わかっていたはずでしょう、と。
そう、覚悟していた、わかっていた。
でもそれだけではどうにもならないことがある。
―――信じられない。
―――信じたく、ない。
だってレンは帰ってくるって約束したもの。無茶で叶いっこない約束だとお互いに思っていたけど、でも約束したもの。本当に死んでしまうなんて思っていなかった。
生還できるのがどれだけ低い確率でも、レンならきっと帰ってくる、と心の底では根拠もなく信じていた。
こんな結末を素直に受け入れられるはずがない。
彼が出征してから、来る日も来る日も私は歌い続けた。約束通り、桜の下で待ち続けた。
―――幾千の夜を越えたなら、あなたはここに戻ってくるの。
私はそう歌い続けた。
でもそれは「幾千の夜」を越えればレンが帰ってくると信じていたから。
どれだけの時間がかかろうと、きっと戻ってくると信じていたから。
散ってゆく桜がひたすらに胸を刔る。
桜のようだ、と思ってしまったせいなのだろうか。
だから桜が散るように彼の命も散ってしまったのだろうか。
去年までは二人で綺麗だねと言い合えた、この景色。
でもこれから先は、どれだけこの桜が咲き誇ろうとも、その美しさを分かち合える人が側にいることはない。
永遠に、ないのだ。
涙がひたすら流れる。
どうせならこの悲しみも押し流してくれればいいのに、なぜか胸の痛みだけは平然と居座り続ける。
―――どうして。
私の心が叫ぶ。
誰に宛てたものでもない叫びを。
何を問うているわけでもない問いを。
ただ、ひたすらに。
それから数日、私の記憶はほとんどない。
レンのいない部屋、レンのいない家、レンのいない世界を感じるに付けてひたすら泣いたのは覚えている。
握り締めた死亡通知はくしゃくしゃになって机の上に放り出された。本当は捨てるつもりだったけれど、もしかしたらレンの最期を知らせるものはこれだけになってしまうのかもしれないと思うととても捨てられなかった。
―――覚悟はあるのか。
甘かった、としか言いようがない。
父も母も健在だった私は人を喪う痛みがどれほどのものかなんて、とてもわかっていなかったのだ。
耐え難い苦しみと痛み。
これが、人の存在の大きさなんだ。
レンの側に来なければよかった。
レンに恋しなければよかった。
何度も何度もそう思った。
でもそれは考える度に否定された。
だって私はレンの側にいて幸せだった。
レンに恋して幸せだった。
それは絶対否定できない。否定したくない。
だって何よりも大切な記憶と、何よりも大切な想いだから、それを否定なんてできるはずがない。
だからこそこの痛みが私を苛むのだろうけれど。
何日かして、私はふらりと家の外に出た。
まだ桜は残っていた。でも私の目にはただのモノとしか映らない。
それはそうでしょう。レンがいないのに意味を持てるものなんて、ない。
ちらちら散る花弁が欝陶しい。
これを、綺麗だと眺められたのはいつだったっけ。ずっと昔だったような気がする。
ぽろりと涙がまた零れた。
人間の体って不思議だ。あれだけ泣いても体は涸れてぱさぱさになったりしないんだから。
便利なのか、不便なのか。
いっそ全てを流し尽くして、命すらも絞り出してしまって、あなたと共に朽ちていければそれもまた幸せだろうに。
なんであなたのいない世界で私だけが生きているんだろう。
今となってはそれだけがひたすらに疑問だった。
だってこの世界に私が生きている理由がない。
意味もない。価値もない。義務はあるのかもしれないけれど、放棄してしまうことだって簡単そうだ。
もし死ぬならこの木で首でも吊ろうかな。私達の命を見て来たこの木に私の最期を看取ってもらうのも悪くないかもしれない。
見慣れた木目と季節毎に装いを帰る葉や花。樹齢はそれなりのようで枝はしっかりとしているし、もしかしたらいい思い付きかとも思う。
そう、いろいろな記憶。
幸せも悲しみも出会いも別れも、この木は全部を見て来た。
私は瞳を閉じて、もう一度だけ歌を口ずさむ。何度も何度も繰り返し歌った歌を。
レンの帰還を望んだ歌である以上、今はもう意味の無いことではあるけれど、既に習慣になってしまっていることだから。
―――私の想いを歌に変えて。
あなたに届くと信じて歌った歌。
それは果たして、届いていたのですか。
あなたの力となることは、できたのですか。
絶対に答えの返らない問いだと分かっていながら心で問う。
その正誤だってわからない。答えを知っているただ一人の人は答えてはくれないのだから。
なんて無意味な自問自答。
なのに、まるで応えるかのように、頬に、そっ、と、
優しく―――指が触れた。
誰、なんて聞くまでもない。
少し体温の低い指。
慣れた、その体温。
私は目を開けた。
「―――レン」
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