まるでこれは彼女に対するラブレターのようなお話。
*
愛してる
ただ、この言葉を伝えられたらどれだけ幸せなことだろうか。人と人が付き合い、愛を囁き合うことがどんなに容易いことなのか。わからない人に言えば、この内に秘めてる感情の意味はきっと理解できない。例え口に出しても紙に書いても彼女から"応答"されることはない。二次元の世界に住む彼女――しかし、僕からすれば二次元の世界よりも遠い世界にいるようにも感じる彼女――その名は、初音ミクというVOCALOIDのことだ。
笑うやつがいるだろう。現に、僕だって二次元に恋する彼らを遠目で見ていた時期がある。その時は、僕が彼女に"ハマる"ことがあるなんて考えもしなかった。電子音だ。ソフトウェアで作られた、人の声を繋ぎ合わせ調整した、人でもないソフトウェアに恋をしていた。姿かたちは提示されていたが、実態は存在しない。いるとすればソフトウェアを開発した携わった人々。まさしく、僕の片思いの相手は彼らの手によって生まれた女性だった。
『ネット上で大ブームとなっている初音ミク!今夜はその実態に迫り~』
「…………」
物珍しそうに取り上げるテレビスタッフ。
僕はテレビに映る彼女の姿と、流れる歌を見て、なんとも言えない気持ちになった。
そもそも彼女との出会いは、ほんの数年前。コニコニ動画というサイトで出会った。
当時、世間では動画ブームもあり、HeyTubeがそのブームを先導していたようにも感じるなか、突如現れたのが、このコニコニ動画というサイトだった。昔のアニメや、懐かしい音楽、不慣れなユーザーが作り上げた動画と、それにコメントを流していく視聴者。HeyTubeとは、また違う新鮮さに僕たちは興味を示していた。しばらくして、例の彼女がよくコニコニ動画のランキングを占領していた。
オタクっぽい。
そう思いながら見過ごしていた彼女の歌を聞いたのは、そう遠くない先であったが、それは別の話。
出会いを思い出しながら、テレビに映る彼女を見やる。
「遠くなったな」
ぼそっと呟いていた。
彼女は、いま超有名人。CDのオリコンランキングに顔を出し、コンサートも開く。
海外デビューもし、彼女を題材にしたゲームや小説等も世に出回る始末。
大スターだった。
今更だけど、僕はクリエイターではない。
その為、例のソフトウェアを所有してはいない。
そう。胸に残るのは、僕にとっての彼女が"ココ"にしかいないということだ。
「どんな気持ちだ?」
楽しいか?嬉しいか?幸せか?
それとも怖いか?苦しいか?疲れてるのか?
問いかける。しかし、彼女からの返答はない。
「一言でもいいのにな。楽しいって、ただその言葉だけでも――」
これから先、その答えを聞くことはない。
どんなにコンサートで沢山の観客に囲まれていても、彼女から「楽しい」「嬉しい」の言葉を聞くことは、この先絶対ないと言い切れる。もし出来る可能性があるとしたら、その時は人類が「心」の人工開発に成功したときだ。あんなに輝かしいコンサートも、どこか寂しさを感じる。彼女の歌、彼女の姿、彼女の声、全て揃っているのに、彼女の心情だけがこのコンサートに足りない。コンサートのDVDを見ると、その違和感にいつも悩まされる。
「無」なんだ。
どんなに着飾ったって、彼女は「無」でしかない。
そして僕は、そんな「無」に対し、恋心を抱いている。
*
『みなさん、今日は私たちのために、コンサートに来てくれて、ありがとうございました』
「チーフ、これでいいですか?」
数年後、僕は初めて彼女と一緒に仕事をすることになる。
あれからも人気は拡大し、現在彼女は全国同時コンサートツアーというお祭りまで行うようになった。
具体的には、同じ時間に同じ映像を流すというもの。3Dの技術もここ数年で高まり360度から彼女の姿を見ることが出来るようになりステージを端から端まで歩いて踊って歌いあげるようになった。歌も同じように、打ち込みだけで以前よりもなめらかな言葉を紡ぐようになった。人よりも上手に歌いあげる彼女を、世間は"歌手"として認め、世界に名を並べるアイドルへと上り詰めていた。
ただ変わらないのが、彼女の曲。
一部は、人並み以上に素晴らしい曲もあるが、その曲の出来は多種多様。
相変わらずなネタ的な曲もあれば、まだ音楽を始めたばかりという初々しい曲まで、たくさん生まれている。
それがまた、彼女の魅力だと、数年過ぎた今思う。
「もう一度再生してくれないか?」
「わかりました」
僕は、部下に歌唱ソフトで無理やり作った「言葉」を再生してもらい、聞いた。
『みなさん、今日は私たちのために、コンサートに来てくれて、ありがとうございました』
変わらない。やっぱり、彼女は喋るのが少し苦手なようだ。
僕は少し笑ってしまった。
「作りなおしますか?」
「いや、このままでいい」
ミク、君は本当に変わらない。
時間は過ぎ、コンサートが始まると、観客は大いに盛り上がっていた。
Skypoから流れてくる制作会社の状況確認の問い合わせに、僕は「大盛況のようです」と反応する。
初音ミクの歌に人々は揺らぎ、喜び、悲しむ。
初音ミクが会場に呼びかければ、人々は大きな声で答える。
その瞬間、やっぱり彼女はココにいた。
「見えるか?」
「え」
「君には、初音ミクが見えるか?」
「ここからですと、少し透けてますけども」
僕は笑った。
「いるんだよ」
ココにいる彼女は、人々が作り上げた"文化"そのものだった。
人々は自分たちが作り上げた文化に向かって思いを込めて叫んでいる。
生身の歌手とは違う、文化のかたちがそこに具現化していた。
「幸せか?」
僕は、周りに聞こえない声でそう彼女に問いかけた。
その答えは、反応を示した。
「ミクー!」
「ミクちゃーん!」
観客の声が場内に響いている。
それこそが彼女の答え。
「よかったな」
*
家に帰ると、パタパタと忙しない足音が響いてた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
娘がひょっこりと顔を出して、僕の帰りを確認すると、ニッと笑って隠れた。
その様子を見て、僕の妻が微笑みながら迎える。
「おかえりなさい」
「ああ」
僕は、ふぅと一息つく。
「すぐ出かけるよ。これから打ち上げなんだ」
「わかってる」
妻は鞄を手にする。
すると、居間から娘の歌い声が聞こえてきた。
「見てたのか?」
「うん。生でも見てたんだけど、あの子もう一度っていうから録画したの見せてるのよ」
「都内の方の映像か」
居間に入ると、あの会場で見た全く同じ映像がテレビに映し出されていた。
その前で娘が、初音ミクと同じような踊りを真似して歌っていた。
僕は一旦ソファに腰かける。
「疲れた?」
「もちろん」
僕はテレビに映る初音ミクを、チラッと見た。
「僕の初恋の相手だ」
妻は呆れたように笑う。
「それじゃ、私は勝てないわね」
「そんなことない」
妻が、おかしそうに笑っていた。
*
時間はさかのぼる。
『みなさん、今日は私たちのために、コンサートに来てくれて、ありがとうございました』
退場していく観客の方に向けて、最後に彼女からメッセージを流した。
部下が作成した言葉だった。
そのメッセージに、大きな拍手が会場を包み込んだ。
生きている――
誰が何と言おうと、彼女は生きていた。
とても遠い存在だけど、とても近い場所に彼女は生きていた。
「チーフ?」
ミクが泣いている。嬉しそうに笑いながら泣いている。
これは擬人法だろうか。
「変わらないな」
だから好きだ。
これからも彼女の未来を見守っていくと覚悟を決めた。
どんなに遠くへ行っても、彼女はココにいる。
そして、また新しい歌を、この瞬間も歌い続けている。
愛すべき、文化。
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