誰もが、わかりきったことだった。答えは決まっている。ミクだってうたがってはいなかった。
 けれど
 ココノツは、
「ミクが歌った歌の情報の入力を希望します」
 今までと変わらない調子で、まるでそれが当然だというように言った。
「なっ! ココノツ? 貴方の記憶のバックアップを戻すことが可能なのですよ?! あなたが貴方のまま、でいられる。唯一の方法なのに」
 驚きだれもがココノツを見あげていた。ただひとり、イサムだけは視線を落として深いため息をついていた。
「ココノツは、ココノツであるという存在理由をココノツだったという記録で駄目にしたくはない、そう判断します。この名前だけは、ココノツが持っていこうと思います。8バイトの思い出でココノツには十分だと、ですがもし」
 そこでミクの口から出ていた言葉が途切れた。変わりに格納庫に響いたのは、スピーカーのノイズだ。
「ですがもし――」
 ミクが顔をあげる。もう、一人でしゃべれます。そういって、ココノツは光通信を終えていた。変わりに聞こえてきたのは、スピーカーからの音声。この短時間で、マイクの無線帯域に音をとばし、回線を空け、音量を調節したのだ。
「ですがもし、ココノツにわがままが許されるのなら、イサムとミクの作った歌を記憶媒体のすみにとどめておきたい、そう考えます」
 もう誰も、言葉をつむぐことはできなかった。どれだけ言葉をつむいでも、彼はバックアップを是とはしないだろうし、したところで自分で消してしまうだろう。そして、彼が是としないのなら、時間がやってくる。そうすれば、ココノツの名すら残らず彼は元の型番だけの存在にもどってしまうだろう。あるいみで、彼は自分自身を人質にとったようなものだ。お手上げだとばかりに、安間が肩をすくめる。時間がないのだ。
 目の前のわがままな同僚に、全員が敗北した。

 ◇

 まだココノツが、ココノツである前に。そういって、搬出作業ぎりぎりまで、ミクはココノツのそばで歌を歌っていた。その歌をBGMに作業はちゃくちゃくと進んでいく。
『8曲ですか。圧縮はせず、せっかくなのでPCMデータでもっていければ、すばらしいですね』
『ちゃんと、ココノツが一番使うサンプリングレートで入れておきます。全部忘れても、すぐに聞けるように』
『容量で判別されてしまう可能性があります』
『だいじょうぶです、表示をテラバイト表記にしとけばばれません』
 二人は電波で笑いあった。
 人間は不便だと二人は笑う。表示された文字でしか情報を認識できないのだ。不便でしかたがない。イサムとも電波で話せたらめんどくさくなくていいのに、ミクは笑いながらそんなことを考えていた。
『ゴールデンディスクにはどの曲を応募されたのですか?』
『……それが、まだできてないんです』
 あれからずっと。歌詞をかえると、そういってイサムは作り直し始めたはずだがそのあと出来上がったという話はきいていない。
『締め切りは……』
『わかっています。でも私は、歌を作れるわけではないですから。信じて待つだけです』
『では九曲目は、空白領域であけておきます。ココノツがココノツに回復する可能性は皆無ですが、その空白があれば9曲目であると理解できると考えます。ゴールデンディスクに登録された、9曲目の代わりです』
『きっと』
 目の前で、ココノツが詰め込まれていく。大きなトラックのコンテナにゆっくりとココノツの体がはいっていく。慎重に、傷つけないように。ゆっくりとコンテナの闇にココノツは吸い込まれていった。
『きっと、その空白を埋めて見せます。貴方に、9曲目を届けます』
 扉が閉まっていく。
「9曲目を絶対聞かせますから!」
 叫びは気がつけば言葉になっていた。いや、イサムにも聞かせようとしたのだろうか。声を出した本人にもわからなかった。
 電波も通さない分厚い扉の向こうにも、声なら届くかもそうおもったのかもしれない。閉まりきる瞬間、わずかにココノツの電波が漏れてきた。
『待っています、ずっと太陽系の外にでてもずっと』
 どうやって、など誰も聞かなかった。誰も言わなかった。
 もうココノツは消える。それはきまっていた。でもきっと、9曲目はココノツにとどくと、ミクは信じていたし疑ってなんていなかった。

 ◇

 ◇

 冥王星探査船、ニューホライズンズが木星を通過して8年以上。人類史上初の冥王星探査が始まってすぐに、追いかけるようにもう一機飛び立った冥王星及び太陽系外探査船が木星のスイングバイの軌道にはいる。
 もう半年も前から、探査船はスリープ状態から復帰し調整を行っていた。ニューホライズンズとは違う観測機を大量に積み込んだその探査船が送ってきた調査結果にニュースが少しにぎわっているころ、探査船が一番長くいた工場は半分以上の職員が出払っていてあまりにも静かだった。
「みんな、お仕事だそうですよ」
「なぁー」
 夜空を見上げながら、腰よりも長い髪の毛を揺らしたシルエットがつぶやいた。
 答えるのは彼女に抱かれている真っ白な猫だ。
「……もう、間に合わないかもしれませんね」
 その日を最後に、木星の影に隠れてしまう探査船は次に通信できるときにはスリープモードにはいっている。
 この日が最後だ。この日でなければならない。
 ミクは体内時計を確認する。
 探査船と管制塔のやり取りが終わり、ココノツが木星の影に隠れるまでに一瞬だけタイムラグがある。そのタイミングが、唯一声が届く短いとても短い時間だ。320秒のタイムラグ。だがそれだけで十分でもあった。
 管制塔で今懸命にココノツに指令を送っているであろう安間が、教えてくれた秘密の時間。予定ではミクの電波は工場内にある巨大なアンテナを通してココノツに届くはずだ。テストもできない一発勝負。それだけでも大問題だというのに、さらにもう一つ問題があった。
「まだ曲ができていません……」
 結局公募に間に合うどころか、こんな時間になってしまっていた。
「……なーぉう」
 工場の屋上にたってミクは振り返る。扉は開かない。
 と、足音が聞こえてきた。
 階段を駆け上る音だ。
「間に合い、ましたか」
 勢い良く扉が開く音、そして顔を出したのはココノツを送り出したときから、いくらかふけたイサムだった。
「ごめん!」
「……遅いです。調整もできませんよ」
「一発で……お願いできるかな?」
 頼りない光に浮かび上がったミクの顔が、少しだけ笑った気がした。

 ◇

 夜の工場も、すでになれたものだが屋上からの眺めはまた別だった。まるで夜空に捨てられたような心細さがある。もとより夜になれば真っ暗な町だ、慰めのように光る街頭と信号機は星の光程度にしかならないし、工場も今日は殆どの光を落としていた。
 今日だけは特別なのだ、そういわれている気がした。
 風はなく、星も瞬かない冬の夜空。あまりにも静か過ぎて不安になる。
 木星の方向は何処だったか、自分の歌はどうやって電波に乗るのか、なにも聞いていないことを思い出す。
 おとといココノツとの通信をとるために出て行った安間の言葉だけが頼りだった。
「大丈夫、助っ人は用意してありますから。時間になったら、屋上で盛大に歌ってくれれば大丈夫です」
 のっぽの研究員はココノツが打ち上げられてから結婚した。左手についていた銀色のリングが、眼鏡のフレームとおそろいできらきら光ってたのを覚えている。
 遠く、ヘリコプターの羽の音が聞こえる。空を見上げれば星空にまざって、ヘリコプターの輪郭が空に浮かんでいた。
「おっけーだ。好きなときにはじめられるよ」
 イサムが手に持っているのはモバイルノートパソコン。彼が一生懸命つくった、へなへななプログラムの上にはしるミク専用の同期信号が聞こえる。ミクにとってはアクティブソナーのような、なんだか心細くなる音に聞こえるが、きっと人間には聞き取れていない音だろう。同期にあわせて、こちらから予定時間を教えてやると信号はすぐに反応した。
 一桁ミリセカンドで同期する信号。大丈夫、きっと歌える。深呼吸をひとつ。
 屋上から見下ろした真っ暗な工場の敷地内。敷地内の街頭も今日は控えめにみえた。
 と、人影がちょうどミクがいる建物の真下に躍り出た。いや、気がつかなかっただけですでにその場所にたたずんでいたのかもしれない。なんだか見慣れた、けれどはじめてみるような輪郭。
 あたりは暗くて、その人影が誰なのかミクにはわからない。
『――信を試みます。この声が聞こえますか? 通信を試みます。この――』
 ひどく聞きなれた、それは"声"だった。
 立体スキャンに、ログの詳細開示、まだ続いているメッセージに対してありったけのメモリ領域をつかって確認作業を始める。
 ココノツの声が、そう考えて空を見上げた。
 だが計算結果はちがった。
 直下。
 視線の先、見慣れた人影がある。
 いや正確には、それは初めてみる人影だった。だけど見覚えがある人影だ。それがようやく、自分と同じ姿をしているからだと彼女は思い当たった。
『同期信号を確認しました。はじめまして、ミク』
 それはこの工場にいるというミクからの、自分と同じ声だった。
『はじめまして、ミク』
 初めての会話に感慨はない。ただ、淡々と時間がせまってくる。空は相変わらず代わり映えのしない夜空だった。
『もしかして助っ人というのは』
『はい。安間博士が直接私にお願いにいらっしゃいました。こちらの電信関係部門で働かせてもらっているミクです』
 優雅な一礼は、こんな遠くからでもしっかり認識できるほどに綺麗にうつった。
 ――私には、あんなことできませんね。
『準備のほうは、大丈夫でしょうか』
『はい、問題ありません。イサム様より預かっている同期ソフトの解析はすんでおります。同期ソフトとの連携開始と同時、工場敷地内に存在する電信装置のすべてが、ココノツに向けて歌を発信することが可能です。ですが、管制塔の出力には到底かないません。もし管制塔からの指示が遅れいる場合、こちらの歌は届かないと――』
『大丈夫です。安間さんが、必ず間に合わせてくれますから』
 言葉を遮るように、ミクが言う。
『――了解しました。それは信じるということですか?』
『そう、だとおもいます』
『確率の補正値を”信じる”というのですね。私は、ミクを信じることにします。ミクがいうのでしたら、問題はないと判断します。……時間がきます』

 意識をすべて内側にむけているのに、世界中に身体感覚が広がっているようなそんな感覚を、どうやってあらわせばいいのか。いくら考えてもミクにはわからなかった。
 だが確かにいま、自分がイサムのPCとそしてこの工場と繋がっているのがわかる。すこし自分が、特別な存在になれたような気がする瞬間だ。

 時間が来る。ミリセカンド単位のタイマーがめまぐるしい速度で0へと近づく。

 機器の起動ラグをかんがえて、少し早めの起動シーケンス。無音領域から始まるのは、同期信号のチープな単音。時間が来る。
 モバイルPCから流れ出したのは前奏。いつものイサムの曲調。いつもどおり、リズムを刻む体内時計。これはきっと、安心しているということだ。大丈夫。言い聞かせるようにメモリに吐き捨てる言葉。電信装置へ電力を、発声素子へエアを送り込む。時間がくる。ブレス。開いてるポートへ、大きく開けた口から、ありったけの出力で歌を――

「『 ひとつ、深呼吸をして――』」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

Re:The 9th 「9番目のうた」 その12



OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45

閲覧数:264

投稿日:2008/12/24 14:59:17

文字数:4,745文字

カテゴリ:小説

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