第五章 祖国奪回 パート2

 それから、三か月余りの時が過ぎた。
 田畑が実り始め、そろそろ秋の収穫を心待ちにする季節である。内務官の連中は農地改革令通りに税務処理が収められるかどうか、気をもむ毎日を過ごしている様子だった。とはいえ皇妃であり、武人であるアクにとってそれは関係のない業務で、ただ日々の日課としているバラートとジョゼフ、三人でのアフタヌーンティーを楽しむ毎日を過ごしていた。
 とはいえ、その全てが以前と同じだった訳ではない。
 用意される茶葉は以前楽しんでいたものよりも低級なものへと変わっていた。アクの意向によるものである。そして、身なりも。
 絹の衣装から、麻の衣装へと変化していた。
 夏場はこのほうが便利だから、とカイトには言っている。だが、実際冬になったところで衣装が戻る訳ではない。
 全て、儀式に使用するためのものなど、本当に必要最低限のもの以外は、ことごとく売却を終えていたのである。さすが皇妃の衣装というだけあって、貴金属宝石類を含めればそれこそ一部隊を一年間は動員できるだけの資金が用意できたが、アクはそれをバラートに任せ、一切の手をつけていなかった。
 反乱軍の動向も、止まっていたからである。
 グリーンシティ陥落は確かに帝国にとって大きな衝撃を与えたが、その後の動きは全くと言っていいほどない。時折ハンザ大佐が手勢を率いてルワールへの攻撃を仕掛けてはいるが、本格的な戦争とはならずにいつも小競り合い程度で終わるという状態であった。
 それはまだゴールデンシティ総督府に余裕があるからできることで、旧緑の国ごと反乱軍に奪回された形となるグリーンシティに対する反攻作戦は全くといいほど進んでいない。せいぜい、以前は国境砦として利用されていたリンツ砦に、追加の部隊を派遣させた程度であった。
 「平和ですわ。」
 何かを噛みしめるように、バラートが言った。以前にも似たような言葉を聞いたことがある。その時も戦争を直前とした頃合いだったけれど、もっと楽しそうな声色だった。
 今はあの時とは違う。帝国にあった財政的な、そして精神的な余裕は少しずつ薄れ、来るべき反乱軍との戦争の合間に用意された、僅かな期間の平和でしかない。
 果たして、反乱軍に勝てるのだろうか。
 アクは紅茶を含みながら、ついそんなことを考えた。未だ兵力では帝国軍の方が多い、はずだ。だが、兵力の差と戦の趨勢とは必ずしも関連するわけではない。
 きっと反乱軍の首謀者は。
 アクは思った。
 リンだろう。表立ってはアレクが、国民党党首という立場で反乱を起こしたことになっている。かつてメイコの反乱の際に共に戦ったことを思い出して、アクはどこか懐かしむように瞳を細めた。
 「アクさま?」
 ジョゼフが不思議そうに訊ねた。ジョゼフには結局、自らの手で剣の指導をすることを諦め、代わりに良い教官を雇って空いた時間に勉学をさせている。
 ジョゼフに戦を見せたくない。
 ルーシア遠征以来、アクはどうしてもそう思ってしまうのだった。
 「少し、昔を思い出しただけ。」
 「昔は良かったですわ。」
 バラートがため息交じりに応じた。
 うん、とアクは頷き、再び思考の世界へと戻る。
 アレク、ロックバード、メイコ、ガクポ。
 大陸に名だたる武人を率いるに、アレクでは少し役不足だろうとアクは考えた。アレクの軍人としての評価をしているのではない。智謀をも兼ね備えたアレクであるなら、軍人としては最高位に評価されるべきであろう。だが、反乱というリスクを冒してまでアレクにつき従う武人がどれほど存在しているものか。兵士を付き従えるだけのカリスマは有していても、将を率いるほどのカリスマを、彼は有してはいない。
 それはロックバードであっても難しいことで。
 出来る人間は、おそらくこの大陸には二人だけ。
 カイトと、そしてリン。
 アクはそう考えていたのである。
 果たして、どちらが勝つのか。
 もし自分が傍観者の立場でいれば、きっと心から楽しめる戦になっただろう。或いは学者というものは傍観者という立場で歴史という長大な流れを興味津々に眺めたいが故に、それを生涯の職務とするのかも知れない。
 だが、自分は傍観者足りえない。
 それは自身がカイトの妻だからなのか、或いはミルドガルド帝国皇妃という立場があるからなのか。リンと出会うまでは、間違いなく前者と答えていただろう。だが、自身の立場はそれだけではない。
 バラートと、ジョセフだけではない。
 そう、私を慕う人間はこの二人だけではない。ルーシア王都で燃え盛る炎の中までも付き従ったテューリンゲンしかり、傘下の兵士たちしかり。
 皆、私の為に戦ってくれる。どうして傍観者となれるのだろうか。
 アクが思い、もう一度紅茶に手を伸ばしたとき、一人の兵士が血相を変えて喫茶室へと飛び込んできた。
 不躾、とアクが眉をひそめたのもつかの間、兵士の言葉に、アクは文字通り言葉を失った。
 「反乱軍進軍!フィリップ市が陥落いたしました!」
 
 フィリップ市は、ルワールとゴールデンシティの中間にある街である。オデッサ街道とルワール街道の合流地点でもあり、通商の要所として栄えた街であった。
 そのフィリップ市が、たった一晩で落ちた。
 報告を受けたカイトは激怒し、力任せに目の前にあった机を殴りつけたという。
 「陛下、どうか冷静に!」
 オズインが言った。かつては威容を誇った帝国軍の将校も、ルーシアでかなりの被害を受けていた。事実、かつて第五軍を率いたホルス将軍はルーシア王国軍に退路を阻まれ、壮絶な戦死を迎えていた。
 今ここにいる将軍は、帝都を預かるオズイン元帥に、ファーレン大将の、たった二名である。
 「シューマッハは何をしていた!」
 続けて、カイトが怒声を上げる。旧黄の国防衛体制は全てシューマッハ元帥に一任されている。だが、答えられるものは誰もいない。何しろ、奇策の中の奇策とも言うべき、目から鱗が落ちるような作戦でフィリップ市が陥落したのだから。
 「ともかく、今は詳細の報告を待つべきでございます。」
 ファーレンが言った。何しろどのようにして落城したのか、その詳細すら帝国のもとに届いてはいない。
 アクが作戦室に入室したのは、丁度その頃であった。
 「何があった?」
 アクが訊ねると、オズインが簡単な結果だけを報告した。
 フィリップ市が一晩で落ちた。
 今わかっている情報は、殆どこれだけであったのだ。
 やがて、落城の詳細がカイトのもとに届けられた。
 それは入念に準備された計略であり、戦争というよりも事件というべき事態であった。フィリップ市はその土地柄ゆえに、商人の数が多い。その人脈を頼りに、ルワール軍の精鋭が気付かぬうちに市中に紛れ込んでいたのである。
 狙ったものは、フィリップ市総督の首であった。
 フィリップ総督の動向を逐一把握したルワール軍は、通常の視察ルートに潜み、そこで総督を暗殺したのである。指導したのはリリィという商人、下手人はメイコであった。
 「裏切り者が!」
 強い歯ぎしりをしながら、カイトは言った。だが、報告には続きがあった。
 レンという男が、この作戦の全てを指揮したというルワール軍からの発表があったのである。その時のカイトをはじめとした帝国軍幹部の全員が、一体誰だ、という様子で顔を見合わせた。そのレンという男の名を、アクはどこかで聞いたような気がする、と考えた。
 「あの時の・・?」
 「何か知っているのか、アク。」
 カイトに問われて、アクは頷く。
 「メイコの反乱の時、戦った。」
 そうだ、軍属ではなかったが類まれな剣の腕と統率力を持った男であり、最も警戒すべき男だと、メイコとアレクは言っていなかったか。そう言えばあの後レンとやらはどこに行った。女王リンを捕縛し、深い詮索を入れずに私はカルロビッツに帰還して。
 いや、まさか。
 「その時のレンという男なのか?」
 カイトが訊ねた。少し考えて、言葉上はわからない、と答える。
 だが、処刑したはずのリンが生きている。そして確かに私はリンを捉えた。では、誰が代わりに殺された?
 レン。
 どうしてそう思ったのかは分からない。だが、それが最も妥当な判断であるように、アクは感じた。
 「まずは反乱軍の対応を。」
 オズインが言った。そうだ、大将が誰であろうと関係はない。帝国軍に対する反乱軍が存在している以上、それは殲滅する必要がある。
 「ファーレン、一万を預ける、シューマッハと共に反乱軍を殲滅せよ。」
 帝国軍の総兵力は四万と少し。十五万を超える大軍の殆どがルーシアで霧散している状態であった。すでにゴールデンシティには一万の兵がおり、一万は今の帝国軍の状況からすれば大軍というべきであった。そして、まだ少し時期は早いが徴税の時期も迫ってきている。残りの兵糧だけでもどうにかやりくりが出来るだろう。
 「御意。必ずや反乱軍を壊滅させ、レンとやらの首級をお持ちいたしましょう。」
 「頼んだぞ。」
 カイトが言うと、ファーレンは即座に作戦室から退出した。
 「後はグリーンシティのガクポですが。」
 オズインが言った。今のところ、ガクポの動きは明確ではない。
 「用心に越したことはないだろう。」
 「では、私が。」
 オズインが言った。だが、カイトは少し落ち着きを取り戻した様子で、首を横に振る。
 「オズインは王都の守備に必要だ。ルーシアの蛮族がこの隙にと攻めてくるやも知れぬ。テューリンゲンを派遣せよ。」
 「御意。」
 今のカイトは、少し楽しそうだ。
 アクは思った。こんな状況だというのに、なぜか。
 「カイト、テューリンゲンではガクポの剣に対抗できない。」
 アクは言った。
 ならば、私は私にしかできないことをやろう。
 「私も行く。」
 いいのか、とカイトは言った。カイトはもう知っている。以前の私とは変わってしまったことを。
 戦よりも、日常と平和を愛しだしていることを。
 だけれど、私は行かなければならない。それが帝国として必要だから。
 「大丈夫。ガクポは私が討つ。」
 かつて兄のように慕ったガクポを本当に討てるのか、それは今のアクには分からなかったけれど。
 それでも、戦わなければならない。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 72

みのり「ということで今週もよろしくお願いします。」
満「アクは書きやすいそうだ。」
みのり「なんだか分からないけどねぇ・・帝国側は殆どアク視点になっているよね。」
満「当初の構想といろいろ変わっているけれど、楽しんでいただけたら幸いです。」
みのり「ではでは次回もよろしくね!」

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閲覧数:545

投稿日:2012/10/14 10:42:46

文字数:4,248文字

カテゴリ:小説

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