【 Monocle's Earl ~ 片眼鏡伯爵 ~ 】
第四話 「 奪還 」
町外れから山脈へと続いている、深い森。
既に太陽は傾き、辺りは夜へと誘われ始めていた。
そんな中、侯爵家の馬車を襲った賊の一団が、今、駆け抜けようとしていたのである。
馬に引かれた荷台には、ちょうど人が収まるくらいの麻袋。
その中には、アンネマリーが閉じ込められているのであった。
「へっ気絶してしまえば、大人しいもんだぜ」
「全くだ、散々手こずらせやがって・・・」
賊のひとりが、かき傷まみれになった右手に、そっと息を掛ける。
その傷のひとつひとつが、アンネマリーの抵抗を物語っていた。
「静かにしろ、まだ目的を達成したわけではないのだぞ」
賊の長であろうか?年輩の男が、緩みだした緊張と軽口をたしなめる。
そして一行が気を取り直して進行しようとした、その時であった。
何処からともなく透き通る様な高音の歌声が、森へと響き渡ったのだった。
「な、なんだってんだ」
「まさか・・・、噂の片眼鏡伯爵?」
賊たちは馬を止め、辺りの様子をうかがう。
しかし、その場所を特定する事は出来なかった。
闇に覆われ始めた森。その何処からとともなく歌声は続いているのである。
「気味悪ぃな、一体何だって・・・*う゛っ*」
ひとりの賊が、言葉の途中で前のめりに倒れ、落馬する。
森の闇から短刀が飛来し、賊を仕留めたのであった。
「なめやがって、何が♪れれれ♪だ」
もうひとりの賊が、手にしていた弓を猛る様に暗闇に向かって放った。
しかし、その矢は暗闇に吸い込まれるばかりで、なにも効果は無い。
そればかりか、突然茂みがガサガサと音を立てたかと思うと、鞭をロープ代わりにした片眼鏡伯爵が勢いよく飛来したのであった。
「な、何ぃ*ぐわっ*」
片眼鏡伯爵は、勢いそのままに賊を蹴飛ばして落馬させると、その馬上に着地したのである。
純白のタキシードに包まれたその体躯は凛々く、同色のシルクハットがひと際輝いていた。
「ハッ」
片眼鏡伯爵がひとつ掛け声を発し馬の手綱を引くと、馬はまるで長年の乗馬の様に大人しく服従する。
馬を御した片眼鏡伯爵が、次々と襲いかかる賊たちを細身の剣で左右に薙ぎ払うその姿は、見惚れる程であった。
数人の賊が倒れた後、とうとう賊の一団は、長らしき男一人になってしまったのである。
片眼鏡伯爵とその男は、おもむろに馬を寄せ始め、その距離を縮めていった。
そして、互いの剣先が届く間合いまでくると、どちらからともなく激しい打ち合いが始まったのだった。
しかし、それは長くは続かなかったのである。
「この剣技はまさか・・・、こうなったらやむを得ん」
それから数度の打ち合いの末、男は自分の不利を悟ると、最低限の使命を全うする為、荷台へと手綱を引き戻したのである。
その目的を察知した片眼鏡伯爵も、直ぐさま男を追走した。
「御免」
その男がアンネマリーの入っている麻袋目掛けて、剣を振り下ろす。
だが、それは男の凶刃が麻袋に届く寸前であった。
片眼鏡伯爵の投げた剣が、男の肩口を貫いたのである。
しかし、男の剣は僅かに麻袋に掛かっており、音を立て裂け始める、
そして、開かれた袋からは、アンネマリーが転がり出たのであった。
「くっ、此処までか・・・」
男は企みが失敗に終わった事を悟ると、剣を抜き捨て、森の茂みへと逃げ出して行く。
だが片眼鏡伯爵はそれには目もくれず、直ぐ様アンネマリーの元へと駆け付けたのだった。
「・・・、アン・・リ?」
アンネは体を揺すられ、目を覚ました。
しかし、そこにはアンリの姿は無く、見慣れぬ男の腕の中であった。
なぜこの男を一瞬アンリと見間違えたのか・・・。
賊らしき一団に襲われたのは覚えている。
そして、不覚にも気を失ってしまった事も。
次の瞬間、アンネははっとして自分の身体を確かめた。
そして、ため息をひとつ吐き安心する。どうやら怪我もなく無事の様だ。
色々な事が起こり過ぎて、一度には理解できない。
「無礼者、貴方は何者なの?」
アンネは気持ちを奮い立たせると、身を起こしてその男の腕から離れようとした。
だがその男、片眼鏡伯爵は、アンネを馬上へと抱き上げると、そのすらりと伸びた人差し指を立て、口元へと近づけたのである。
それは、まるで優しく諭す様であった。
「えっ」
アンネは、自分でも理解出来ない安心感に覆われていく事に驚いた。
そして気が緩むと、極度の疲労からまた意識を失ってしまったのである。
アンネが次に目を覚ましたのは、自分の屋敷の前であった。
片眼鏡伯爵が門を叩き開門を呼び掛けると、屋敷の使用人が次々と姿を現した。
「姫様、姫様ー」
「姫様、ご無事ですか?」
既に事件は伝わっていたのであろう、使用人は口々に心配する声をアンネに浴びせ掛ける。
その声の多さから、アンネが如何に慕われているかが見てとれた。
「わ、私は大丈夫よ。大丈夫だってば。本当にもう」
アンネは自分の感情を隠すかのように気丈に振舞うが、緩んだ涙腺は誰の目に見ても明らかであった。
その時、アンネはその騒ぎに紛れるかのように、帰ろうとする片眼鏡伯爵を見つけたのである。
「ちょっと待ちなさいよ、このまま帰る気じゃないでしょうね?」
アンネは、お礼も言わないうちに、とは声には出さず涙を拭う。
使用人たちも、事の詳細を得ようと必死に足止めするが、片眼鏡伯爵は馬を嘶かせると爽やかな笑顔を残し、足早に駆け出したのであった。
騒ぎを掛け付けた初老の執事長が、心配そうにアンネに近づいてくる。
「爺や、あの方は一体?・・・」
「姫様、何があったと言うのです」
「・・・爺や」
アンネの訴えかけるような目に、屋敷の執事長は諦めた様に首を振り、静かに答える。
「正確に存じ上げている分けでは御座いませんが、世間では片眼鏡伯爵様と呼ばれているお方かと」
「片眼鏡伯爵、さま・・・」
アンネマリーの心に、かつて無い感情が芽生え始めたのであった。
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