今日も私は、受話器の向こうの彼を知らない。

どんな表情をしているのか。
どんな部屋に住んでいるのか。
どんなことをして生きているのか。
当たり前のことを、私は何も知らない。

彼は昔隣に住んでいて、よく私と遊んでいた。
お互いの家に遊びに行き、勉強を教え合い、配役を決めて寸劇のようなものをしたり。
他愛ない話をして、なんでもないようなことが楽しくて。
小学生の時に、彼は東京へ引っ越してしまったけど。
「寂しくないように、毎日3分間電話をしよう」と約束をして、彼はそれを守ってくれたから、寂しくはなかった。
午後10時、寝る前の3分間が何よりも楽しみだった。



「そういえばどうして3分間って決めたの?」
《人がちゃんと話を聞いてくれる時間の限界が3分なんだって。それに、3分だけなら、面倒くさくなくて毎日続けられそうだろう?》
「確かに。話をまとめて電話すれば、スピーチとか上手くなりそうだもんね」


いつだったか聞いてみたら、意外に真面目な答えが返ってきた。
短い時間だとわかっていたら、気まずくなって曖昧に電話を終えるよりも話しやすい。
それに私はスピーチが苦手だから、いい練習になるのかもしれないと思っていた。

段々と話したい話題が増えていったけど、そこから特に伝えたいことだけを選んで電話に備えた。
どうすればうまく話を聞いてもらえるか考えて、彼と話をするのが楽しみだった。



高校生になっても、私たちは日課を欠かさなかった。
体が成長して身の回りの環境が変わり、人との衝突も多くなる時期。
彼は声も変わった。変わらないのは私ひとり。


《僕が言い出したことだけどさ、巡音は毎日電話してて大丈夫なの?》
「いきなりどうしたの?そんなこと気にするなんて」
《ほら、高校生になったら環境が変わったりするだろ?その…ほら、彼氏とかに悪いんじゃないかって思って》
「あのねえ、毎日幼なじみと電話する女の子と付き合いたい人なんていないでしょ?だいたい、彼氏なんてそう簡単にできないよ。そう言う神威くんだって彼女いるんですかー?」
《いるわけないでしょ。そんな風に毎日聞こえてた?》
「ううん、全然。わかってて聞いた」


今日もベッドの上に体育座りで、耳元だけで彼を感じていた。
10年近く経っても変わらないやり取りが安心した。


「前も友達に『毎日電話するって彼氏みたいだね』ってからかわれちゃって。全然そんなのじゃないのにね」
《いいんじゃない?僕は困らないけど》
「今は困らなくてもずっとこうじゃお互い大変にならない?日課になってるから、電話しないと私が眠れないこと知ってるでしょ」
《知ってる。まあ、僕は平気で眠れるんだけどね》
「不公平ね」


寒くなると人恋しくなってくる。
だから気を紛らわすように暖房をつけて、毛布にくるまって会話をして。


「ひとりで眠れなくしたのは君なんだから、彼氏ができなかったら神威くんにもらってもらおうかな」


いつもの冗談のつもりで投げかけた一言に、すぐに返事は返ってこなかった。


《…本当にもらってあげようか?》
「え?」
《恋人ができない理由、薄々気づいてるでしょ?さっき君も言ったはずだ。毎日異性の幼なじみと電話する人なんて、新しい恋人からすれば紛らわしいんだから。…少なくとも僕はね、きみ以外の女の子と毎日電話なんてできない》
「ど、どうしたの」
《どうもしないよ。変わったのは声だけだと思った?……もう3分だ。じゃあ、また明日》


それが冗談かよくわからないまま、ツーツーと通話が切れた電子音が告げる。
今のはなに?
暖かいはずの部屋の空気が、自分ひとりなのに気まずくて、私は布団に潜り込んだ。

確かに、小学生の時の口約束を高校生になっても続けるなんて、生半可なことじゃできない。
ましてやわずか数分の通話なんて、そのうち自然にやめそうなのに。
彼はそこまで約束にこだわる人だったっけ?

彼の気持ちを探ろうとして、今までを振り返る。
彼はなんて言っていたかな。
どんな声で話していたかな。
それを思い出そうとして気づく。声変わりする前の彼のことを思い出せない。
頭に浮かぶのは声が低くなって大人に近づいた彼だけ。

変わったのはなに?



そのことばかり考えていたからか、夢の中には彼が出てきた。
いくら走っても追いつけないから、彼の背丈がわからない。
何度目を凝らしても思い出せないから、彼の表情が見えない。

彼の口が何かをささやく。
待って。何を言っているの。いつもは耳元から聞こえる声が、今だけは何も聞こえない。
声が届かないことを知った彼が来た道を引き返した。
悲しんでいることを悟ったとき、私の夢は覚めた。

その日、私は初めて約束を破った。
彼からの着信を無視してひとりで眠ろうとした。

自分から仕掛けたくせに、向こうが挑発に乗れば慌てて逃げようとする。
こういうずるいところ、本当に変わっていない。
いつまでもこどもみたいな私。


一週間後、私はこっそり裏口から家を出た。
ひとりで部屋にいると声が聞こえてくる気がして、なんとなく落ち着かない。
少し散歩に行ってくると親に伝えて、簡単な準備だけをして玄関を出た。

最近はすっかり寒くて、雪が降る日も増えてきた。
白い息を他人事のように眺めて行くあてもなく歩くと、ポケットから振動が伝わってくる。
もう相手はわかっている。いつもの時間にかけてくるのはたった一人だけ。
ろくに画面も見ず、ポケットの中でスマートフォンを操作して耳に当てる。


「…もしもし?」
《やっと出たね。しばらく無視していたみたいだけど、気は済んだ?」
「まあ…それなりに。あと無視してたわけじゃないから。ちょっと眠かっただけだから」
《嘘でしょ。声が疲れてる。ろくに寝れてないんでしょ》


ばれた。
声だけはずっと聴き続けていたから、声色だけでごまかすことができない。


《昔みたいに配役を決めようか。幼なじみじゃなくて、君はきみ、僕は僕。僕が君に質問をするから、君はただそれに答えればいい》
「…この間の続き?」
《まあね》


無意識に歩いているうちに、家の近くまで戻ってきていたらしい。
昔彼が住んでいた隣家の前で立ち止まる。
去年まで人が住んでいたけど、また空き家になっている。だからそこに用がある人はいないはずだ。


「僕と一緒にいてくれませんか」


ただ一人、彼を除いては。

背丈は私より頭一つ分大きく、顔つきも凛々しくなった。
後ろで一つにまとめた紫の髪が風になびく。
記憶の中で重なるのは面影と、受話器と目の前から同時に聞こえる声だけ。


「…帰ってきていたの」
「うん。またここに戻ってきた。今日荷物を運んできた。本当は明日挨拶しようと思ったんだけど、きみ、散歩していたみたいだから」


通話を切ってスマートフォンをポケットにしまい込む。
もう耳元からは声は聞こえない。
互いの口から白い息が漏れる。
手を伸ばせば、届いてしまう。


「クマができてる。やっぱりよく眠れていないんじゃないか」
「私はもう、きみの声を聞かないと一日が終われないの」
「わかってる。僕無しじゃ生きられなくなればいい。そう思って提案した電話だから」
「本当にひどい人。私はすっかりきみに騙された」


そんな思いが10年近く重なれば、思いの形はかなり大きく、硬く、複雑になる。
私は最初からわかっていたんだ。


「僕の思いは変わらない。きみの気持ちが僕以外に向かないようにするにはどうしたらいい?答えは簡単、互いに離れなくなればいい。だから僕はもう一度言うよ。…僕の隣にいてくれませんか」


彼が最初から私以外を選ばないこと。
私が最初から、彼以外を選べないこと。


「…ずるい人。私が断らないの、知ってるでしょ」


今日も私は、受話器の向こうの彼を知らない。

どんな表情をしているのか。
どんな部屋に住んでいるのか。
どんなことをして生きているのか。
当たり前のことを、私は何も知らない。

だからこれから知っていくんだ。
声だけの10年を取り返して、10年越しの約束を、新たなものに結び直して。
私たちの3分間は、明るい感情で彩られている。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】君と僕との3分間【ルカ誕】

ルカさん誕生日おめでとうございます!!!
ギリギリセーフ!

誕生日関係ないですけど、1/30は「3分間電話の日」だそうです。
1970(昭和45)年のこの日、公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になり、それまでは1通話10円(時間は無制限)だったそうです。
公衆電話で書こうとしたんですが、現代っぽくしようとしたらスマートフォンになりました。
3分にまとめるのって難しいですよね!!!

テキストの内容は祝ってないですけど、誕生日に関係させるのが苦手なので、青春がくルカで許してください。

閲覧数:331

投稿日:2017/01/30 23:59:52

文字数:3,399文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • Turndog~ターンドッグ~

    Turndog~ターンドッグ~

    ご意見・ご感想

    こんな甘酸っぱい青春を過ごしたかったけど顔と体型のコンプレックス及び人見知りな性格のおかげで完っ全に逃してしまったTurndogが通りますよ(´・ω・`)

    こういうストーリーを描けるゆるりーさんの腕前も勿論ですが、
    甘酸っぱい青春の恋も
    焦がれるような灼熱の恋も
    絡みつく様な嫉妬の恋も
    しなだれる様な(自主規制)の恋も
    締め付けられるような切ない恋も
    どんな恋でも抜群に似合うルカさんはやはりVenus of Loveですねわかります((

    10円で3分も電話できてたんですね公衆電話って。
    体感1分くらいだと思ってました←

    2017/01/31 22:33:40

    • ゆるりー

      ゆるりー

      青春なんてなかったのです(´・ω・`)

      どんなジャンルの話も似合うのは、キャラの自由度の高いボカロだからこそですよね。
      約1名ヤンデレが似合いすぎるボカロがいますが。
      ところが我が家のルカさんはほとんど同じような恋をしております。ネタが被ってしまうのです。
      青春か切ないかの二択しかないという私の語彙力と引き出しの無さがわかりますね!

      現在は1分で10円だそうです。
      つまり体感20秒くらいですね!?

      2017/02/07 00:52:48

オススメ作品

クリップボードにコピーしました