全身にぶつかってきた鈍い衝撃に、ミクは身を硬くして息を詰めた。
網膜に焼きついた、空を切る刃の残像。
次に襲い来るだろう苦痛に、全ての意識を向けて身構える。
酷く長く感じる一瞬の後、けれど予想した痛みは襲ってこず、代わりに耳元へ届いた低いうめき声に、彼女は瞑っていた目を見開いた。
「え・・・?」
気が付けば、彼女の身は幅広い身体に覆われるように抱き込まれていた。背中へ回された両腕の力が痛い。
すぐ隣を仰いでも、目に入るのは眩いばかりの金髪だけで、肩の向こうへ預けられた顔は見えなかった。
「レオ・・・」
身じろいだ動きが伝わったのか、強く抱きしめる腕から解けるように力が抜けた。
急激に重みを増した身体が、重心を失って倒れ込む。
「レオン!?」
慌ててその身を支え起こそうとして、ミクは両手を濡らした血の、ぬめる感触に悲鳴を上げた。
伏した背に深く刻まれた斬り傷と、それを染めるおびただしい深紅を呆然と見つめる。
―― 庇われたのだ。
やっと遅れた理解が追いついて、ミクは倒れた男の身体に縋りついた。
「嘘よ!どうして庇うの!?」
顔を覗き込もうとして、背後から伸びてきた手に腕を掴まれ、荒々しい力で引き剥がされる。
倒れ伏す男に向かって、再び容赦なく刃が振り下ろされた。
「やめて!」
叫んだ悲鳴に重なるように、鈍い無慈悲な音がした。
残像を引いて飛び散る赤い色が視界に灼きつく。
碧の瞳をいっぱいに見開いたまま、彼女は視線をめぐらせた。
床に転がり、赤く染まった花束。
もう動かない男の体。
死者を冒涜するように、突き立てられた血塗れの剣。
血に塗れた襲撃者――。
「お兄様・・・」
悪夢のような光景に喘ぐ。
床の上に崩れ、立つことも出来ないミクの上に、感情の篭らない声が降った。
「シンセシス国王は身罷った。お前はボカリアに戻るんだ。それに父上がお亡くなりだ」
何でもないように告げられた言葉に、ミクは弾かれたように兄の顔を見上げた。
それ以上、聞くことを拒むように、打ち鳴らす鼓動が割れ鐘のように耳の奥で響く。
「嘘よ。そんな話・・・」
「事が事だ。まだ公にはされていない」
「嘘でしょう、お兄様・・・どうして・・・!」
掴まれた腕を強い力で引き摺られそうになって、ミクは必死に抵抗した。
「離して!もう帰らないといったでしょう!」
力の入らない膝で、それでも何とかその手を振り払おうと身をよじる。
「帰ったら、また私はあなたの駒になるの!?また別な男に嫁がされて、今度こそ抱かれろというの。あなたがそれを命じるの!?それぐらいなら、死んだほうがましよ!」
逃れようと足掻くミクの抵抗にあって、無表情だったその面に苛立ちの色が浮いた。
それを今は恐ろしいとは思わなかった。感情が麻痺してしまったように何も感じない。
今、自分が怒っているのか哀しんでいるのか、己の心もわからないまま、ミクは叫んだ。
「どうして、あの人が死ななくちゃいけないの!?私は私自身を終わらせたかっただけよ――!」
腕を捕まえる指に力が篭もった。
骨も砕けそうなほど締め上げられる痛みに呻きをあげる。
「許すと思うのか、それを」
聞いたこともない低い声がした。
押し殺しきれない激しい憤りが、その声を震わせている。
「私はあなたに逆らったのよ・・・。もう良いでしょう。お願い、殺して・・・」
「聞いたとも。この国の王妃として死ぬのだとな。それほどあの男に添いたいか」
顎を掴まれ、力ずくで顔を上げさせられた。
「あの男の何がそんなに気に入った。ボカロジアの娘ともあろうものが、我が国の一領土にも満たない小国の。こんなつまらぬ国と王に命を賭けてやるだと? 才に秀でるでもない、財とて、力とて叶うべくもない、お前の身ひとつすら守れなかったような愚かな男の何が良い!」
奇妙なことに、その激しい口ぶりは、まるで死んだ男をこそ深く憎んでいるかのようだった。
逆らったのはミク自身であるというのに。それとも、彼女の裏切りは夫となった男に唆されたのだとでも思っているのだろうか。
その時、ミクには何をどう言えば良いのか、はっきりとわかった。
「それでも、私の夫だわ。理由ならそれで十分よ。だから、あの人を殺したその手で、私を殺して」
驚きゆえか、息を飲む気配があった。
沈黙は瞬きほどの間、やがて蒼い瞳の奥にゆらりと昏い影が浮き上がるのを彼女は見た。
「・・・良いだろう。それなら、望むものをくれてやる」
そう言って、彼は少女の目の前に片手を、その指を飾る指輪を突きつけた。
見下ろす瞳は凍土のごとく、冷たく固く凍てついている。
「一度も二度も同じことだろう」
嘲るような言葉に、ミクは眼前のそれを見つめた。
黄金の台座に据えられるのは、獅子を刻んだエメラルド――かつて自分が彼の人へ選び捧げた王者の石は既にそこになく、外された石の奥には小さな虚ろが覗いていた。
そこに何が隠されているのか、よく知っている。
誘われるように、差し出されたその手に彼女は触れた。互いの指を重ねるように、そっと手を掛ける。
触れた指先の感触に痺れたようになりながら、ミクの瞳は魅入られたように指輪に穿たれた空洞を見つめていた。
この小さな闇が、ひと一人に永久の眠りをもたらすに足るだけの力を持っている。
それは最後にはこの人の手で殺して欲しいと願った、彼女の望みを確実に叶えてくれるだろう。
やっと満たされた願いに微笑み、緩やかに目を閉じる。
愛しい人の指先に口付けるかのように唇を寄せ、彼女はその僅かな毒を受け入れた。
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ご意見・ご感想
azur@低空飛行中
ご意見・ご感想
>山田さどる様
ありがとうございますv
なるべくお待たせしないように続きを急ぎますね~。
ええと、めーちゃんですか。小説内にでしょうか?
めーちゃんは脇役として登場しております。ほとんどは間接的な登場ですが、第0話はMEIKO視点にて直接、それから本編では第6話中編、第16話後編にて、直接登場してます。名前はカタカナ表記で『メイコ』になっていますが、めーこちゃんのことです。^^;
2009/09/29 22:44:18
山田さどる
ご意見・ご感想
…いつも息をのむ展開です……
待ちきれないです!
あの、シツモンが1つ。
めーこちゃんが直接は出て来てないですよね…?
2009/09/29 20:11:13