複雑に交じり合う楽器の音色が奏でるのは、聞き慣れぬ哀切な旋律だった。まるで遠い国の音楽のような、それでいて、どこか懐かしさも感じられる不思議な響き。
それに合わせて広間の中心で踊る、この国の大公と公女。他には動く影すらなかった。
二人の足が刻むありふれたステップが、時折見慣れない形を踏み、その度に室内に風でも吹いているかのように軽やかに薄絹が宙に広がる。
客人らは皆、自分たちが踊ることも忘れて、呆けたようにそれを見ていた。
笑った顔どころではない。二十年この方、大公がこうして誰かと踊る姿など、見たものは居ない。まさに前代未聞の珍事だった。
その様子に気付くでもない二人は、抱き合って踊りながらも、同じ一人に思いを馳せ、それぞれの追憶と感慨の中にいた。
今宵、彼が腕に抱いて踊るのは娘でありながら、娘ではない誰か。今なお求める女でありながら、その忘れ形見。
煙る霧のような薄絹が翻る度、遠くなる眼差しが、その向こうに幻のように掠める姿を追い掛けて揺れる。
踊る最中、小さく小さく呼ばれたその名を、誰よりも面影を写した娘だけが聞いていた。
長いようで短い音楽が終わり、二人は踊り終えて元の座へと戻った。
機嫌の良い父と、それ以上に舞い上がっている妹を、ひとりその場に残った公子は面白くなさそうな顔で迎えた。
「……愛娘とのダンスはいかがでした?」
「悪くはなかったな。途中、三度ほど足を踏まれたがね」
「久しぶりすぎて腕が落ちたのではないですか、父上。私は一度も踏まれたことはありませんよ」
ふてくされたような息子の嫌味を鼻で笑い、大公は片手で肩を抱いた娘へ視線を送った。
「ミクレチア。今宵はもう、お前はこれで下がるが良い」
「お父様!?そんな……!」
「あれを真似たその姿で、私以外の男と踊るつもりではあるまいな」
非難の声を上げる娘に取り合う様子もなく、大公が片頬で笑う。
それを見た公子が口を挟んだ。
「私も駄目なんですか」
「当然だ。前座くらいは許そうが、お前が私の代理を務めようなど二十年早い」
言い切る大公はにべもない。
「それは父上との年の差ならそのくらいでしょうが。当時の父上と私とでは、そう年も変わりはしないでしょう」
「私がお前の年には、既に私は大公位に就いていたぞ。私としては、いつになったらお前に後を任せて楽隠居が出来るのかと思っているのだがな」
「現役を退く気なんて欠片もないくせに、そういう発言をしないでくださいよ。余計な小火が立つでしょう」
「火種が小火を起こすより早く消してこそ手腕というものだ。それより」
皮肉げに軽口を叩いていた声が、突然の冷ややかさを孕んだ。
「……ずいぶんと軽挙な振る舞いをしたな。お前らしくもない」
眇めた視線が向けられた先は、娘の髪に飾られた蒼い薔薇。
はい、と短く頷いた公子が沙汰を待つように頭を垂れた。
ことの重大さは理解しているものの、謝罪する気もない。そう言いたげな我が子の態度に、大公は鋭い一瞥を送り、短い声で釘を差した。
「せっかくの娘の晴れ舞台だ。今宵ばかりは不問にしよう。だが、二度はないぞ――良いな」
「――心得ました」
遠ざかる音楽が、微かに耳へと届く。
屋敷の奥まった居住域の、人気のない廊下は冷えた空気の中で静まり返っていた。
父に言いつけられた通り、自室へ下がりながらも、少女は終始不満そうな顔だった。
「酷いわ、お父様!今日は私のお披露目だったのに!」
少女の部屋まで送る道なり、憤慨した声を上げる妹に、カイザレはゆるく笑んだ。
今日の演出は、少女にとっては他愛のない、無邪気な思いつき。だが、それが招かれた貴族たちにどれほどの衝撃を与えたか知れない。
それほどに、宮廷内で母のことは禁忌なのだ。
母の身分が公に認められていないからというだけではない。
他ならぬ大公その人が彼女についての一切を、それがどんな高い地位にある貴族であっても、口の端に上らせることさえ許さないでいるからだ。
彼女以外の誰かが母の真似事をしようものなら、大公は決して許しはしなかっただろう。
妹が言い出した提案にカイザレがあえて乗ったのは、他の誰も許されぬ振る舞いを許される公女が、いかに大公の覚えめでたい存在なのかを暗黙のうちに周囲に知らしめるためだった。
彼の目論見は、もちろん父にはバレているだろう。妹の初舞台のために、大公を出汁にしたのだ。これくらいの意趣返しは仕方ない。むしろこの程度の咎めで済んだのが僥倖だった。
「仕方がないよ。実際、大公閣下に続いて、公女と踊れる度胸のあるものはいなかっただろうさ。あれでは客人たちが困ってしまう」
「じゃあ、お兄様が踊ってくれればいいじゃない」
まだ気持ちの治まらないらしい少女が、八つ当たり気味にしがみ付いた兄の腕を引っ張った。
「父上のお許しがあればね。わかってるだろう、ミク。母上の真似をしたんだ。今夜はもう誰とも踊れないのはしょうがないよ」
「そうだけど……」
「顔見せと印象付けならあれだけで十分だ。お披露目は成功だよ。それに、父上もずいぶんお喜びだった」
「――本当?そう思う!?」
ころりと不機嫌な顔を忘れて目を輝かせた少女に、彼は頷いた。
もし、これがカイザレ一人の企みなら、大公はこんなお芝居は決して許さなかっただろう。
大公が許したのはひとえに、この計画の首謀者が息子ではなく娘の方であり、娘自身は純粋に父と母のためにこれを考えたのだということに気付いているからだ。
自分のお披露目という舞台を利用して、まるで存在しなかったもののように扱われる母の存在を、貴族たちに再び突きつけるために。
そうして父と母が公の場で果たせなかった結婚式を、ほんの真似事という余興に紛れてでも果たそうとした、娘からの愛情に免じてのこと。
「私、お母様に似てたかしら。あの人にはああ言ったけど、本当はあんまり自信ないもの。仮面で半分も顔を隠せば、それらしく見えるかと思ったんだけど。どこか変じゃなかった?」
「どこも。今日あの場にいた誰より、美しい貴婦人だったよ。――母上よりも」
「お兄様だって、あそこにいた誰より素敵だったわ。……お父様は別として」
「それはないだろう、ミク」
半ば本気で情けなく項垂れると、少女が首を竦めて舌を出す。
それから、急に満面の笑顔になって、彼女は兄の顔を見上げた。
「ね、お兄様。私、小さい頃の夢は、お父様のお嫁さんになることと、お兄様のお嫁さんになることと、お母様みたいな花嫁になることだったの。今夜はそれが全部、叶ったみたいじゃない?」
「夢が三つとは、また欲張りだね」
はしゃいだ声を上げる妹に、カイザレは苦笑した。
嬉しそうに指を折る少女は無邪気なものだ。その様は、幼いままごとの延長と何ら変わりはない。
むしろ、そんなままごとにさえ、幸せだったのはカイザレの方だ。
政治的な打算を抜きにしても、彼が今夜の少女の思いつきに異を唱えることはなかっただろう。胸の内に息づく密かな想いゆえに。
「――夜会なら、これから何度でもある。今夜はもうお休み」
促されて、少女はいつの間にか部屋の前に着いていたことに気付いたらしい。
途端に不満そうな顔に戻って、兄を見上げた。
「お兄様は、会場に戻るの?」
「さすがに、あれだけの客人を放っておくわけにはいかないからね」
なだめるように笑いかけ、また来た道を戻ろうとする彼を、その服の裾を掴んだ手が引き止めた。
「ミク……?」
首をかしげたカイザレの目の前で、少女は自らの髪飾りを引き抜いた。反動で綺麗に結い上げた髪が少しばかり崩れたが、気にもしない。
細い指先で髪飾りから注意深く花を一輪抜き取ると、彼の胸元にそれを差す。
もとより彼の蒼い髪に合わせた上着の暗い色あいに、蒼い薔薇は馴染むように溶け込んだ。
「今だけ貸してあげる」
拗ねたような声で言い、少女が押し出すようにその背中を押す。
「ミ……」
「日付が変わる前に返しにきてね」
振り返るカイザレひとりを廊下に置き去りに、微かな囁きだけを残し、少女の姿は扉の向こうへ滑るように消えた。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【カイミク番外編】 第3話
・・・すみません、今回はここまででタイムアップ。
お前え、大事なのはここから先だろうという声が聞こえそうですが。
ぎりぎりキリの良い所までは進んだので、残りは生誕祭の後半部に間に合えば・・・orz
・・・というわけで、申し訳ありませんが、続きは今しばらくお待ち下さい。
m(_ _)m
さぁ、ここから先、頑張って砂吐け、私・・・!
お待たせしました、第4話です!
http://piapro.jp/content/um45cnq0guqxxqw3
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