ココロ

「…………」
 目が覚めると、私は台の上で横になっていた。
 厳密に言うと違う。私は目が覚めたのではなく、今生まれたのだ。この作業台の上で。
「やった。奇跡だ……」
 声が聞こえる。
 ここは研究所。
 私はここで作られた。
 そして、目の前で脈拍が正常値から大きく外れ、体を震わしているこの男性が――。
「オハヨウゴザイマス。ハカセ」
 私を作ったハカセだ。
「ああ、ああ! おはよう」
 博士の大きな手が私の頭を撫でる。
 私が目を細めていると、ハカセは言った。
「君の名前は……そうだな、リンだ。よろしく、リン」
「ハイ、ヨロシクオ願イシマス。ハカセ」
 この日から、私とハカセの生活が始まった。


「ハカセ、ナニヲ作ッテイルノデスカ?」
「ああ、リン」
 私の仕事はハカセのために歌うことだった。
 ハカセは独りだった。
 大切な人はもうみんな死んでしまったとハカセは言っていた。
 死――。
 わからない。
 死とはなんなのだろうか。
 私はハカセの役に立ちたかった。
 私はそのために作られたのだから。
 でも、ハカセは言う。
 ただ歌うだけでいいと。
 そばで歌ってくれるだけで十分だと。
 ハカセがそう言うなら私はその通りにする。
 ハカセは私を作った後もずっとなにかを作り上げようとしていた。
「僕が作っているのはね……君の心だよ」
「『ココロ』……? ワカリマセン。データニアリマセン。教エテ下サイ、ハカセ。『ココロ』トハナンデスカ?」
「それは難しい質問だな……。心、か。うーん……そうだな、喜んだり悲しんだりすること、なのかな?」
 ハカセは困ったように笑って言う。自分でもよくわからないものを作っているのだろうか。
 私は質問をやめた。ハカセを困らせるのは私の存在意義に反しているから。
 ハカセはそれでも毎日机に向かって『ココロ』を作り続けていた。


 ある日、家の前に一匹の動物がいた。
 犬だ。
 犬はなぜだか私についてきて離れようとしなかった。
「はは……懐かれちゃったみたいだね」
 見上げる私を笑いながらハカセは犬を抱き上げた。
「そうだ。この犬を家で飼ってみようか」
「ワカリマシタ。ハカセガソウ言ウノナラ」
 ハカセの腕の中で犬は荒く呼吸をしながら舌を出してよだれまで垂らしていた。
 実のところ、私はこの犬を飼うのは反対だった。
 犬は衛生的ではない。
 体にはノミもついているし、ところ構わず排泄行為を行う。
 ハカセの健康を害する恐れがあったのだ。
 だが、ハカセが飼うというなら仕方がないだろう。
「せっかくリンに懐いているんだし、リンが名前をつけてあげてごらん?」
「イヌ」
「それは生物名だろ。そうじゃなくて愛称だよ」
「ポチ」
「……なんでポチ?」
「ソレガ犬ノゴク一般的ナ愛称トデータニアリマス」
「ポチか……まあいいか。うん。じゃあお前は今日からポチに決まりだ」
「わん!」
 犬――ポチが大きく一吠えした。
 こうして、二人きりの生活は二人と一匹の生活になった。


 ポチの世話は私の仕事だった。
 これも私には不本意なことだった。
 ポチの世話をすれば、その分ハカセのそばにいる時間が短くなってしまうからだ。
 それでも最初は散歩と餌やりだけだった。
 だがある日、ハカセはどこからか円盤状のフリスビーを持ってきた。
「これでポチと遊んであげなさい」
 ハカセは私にフリスビーを渡した。
 またハカセのそばにいる時間が減ってしまう。
 私にはフリスビーでポチと遊ぶのが不本意だった。
 最初のころは、フリスビーを投げてもポチはうまくキャッチすることができなかった。
 追いかけても追いかけても、フリスビーが地面に落ちる前にくわえることができなかった。
 それでもずっと投げ続けていたら、徐々にフリスビーに追いすがるようになっていった。
 そして――。
「ア……」
 私が投げたフリスビーを、ポチが空中でキャッチすることができた。
 フリスビーを口にくわえたまま、ポチは私へと駆け寄ってくる。
 そして私の前で止まると、尻尾をちぎれんばかりの勢いで降り出した。
「頭を撫でてあげてごらん。よくキャッチできたねって褒めてあげてごらん」
 黙ってポチを見ていると、一緒に見ていたハカセが私に教えてくれた。
「くーん」
 私が言われた通りにすると、ポチが気の抜けた声をあげて目を細めた。
 私は、私が生まれたときにハカセに頭を撫でられたときのことを思い出した。
 なぜか胸の奥に熱を感じた。
「きっとそれはね……『嬉しい』ってことだと思うよ」
 熱量からオーバーヒートではないと判断できたが、不具合を感じたためハカセに報告すると、ハカセは笑みを浮かべた。
「『嬉シイ』……ワカリマセン」
 答える私に、ハカセは頭を掻きながら顔を緩ませた。
「そうか……もしかしたら……」
 ハカセはそう呟くと机に向かっていった。
 『ココロ』についてなにかヒントが得られたのだろうか。
 もしもそうなら、私はハカセの役に立てたのだろうか。
 胸の奥の熱はまだ消えなかった。


 春が過ぎ、夏が来て、秋を越え、冬をしのいだ。
 それを何回繰り返しただろう。
 ハカセは相変わらず『ココロ』について研究を続けていた。
 そして、ポチは一時は失敗する方が珍しいくらいだったフリスビーのキャッチ率を徐々に低下させていった。
 それだけではなく、餌の摂取量も減少していき、あまり散歩にも行きたがらなくなり、その代わりに休息時間だけが増えていった。
「もうポチも年寄りだからね……」
 原因がわからなかった私にハカセは言った。
 私には“老い”というものがよくわからなかったが、それを教えてくれたときのハカセの表情は厳しくなっていた。
 ハカセはポチの“老い”に困っているらしい。
 私はポチの頭を撫でた。そうすれば以前のようにフリスビーをキャッチできるようになると考えたのだ。
 だが、ポチはフリスビーをキャッチできなくなっていった。
 それを見るハカセの表情はやっぱり厳しくて、でも私はどうすればいいかがわからなかった。


 冬の寒い朝、目が覚めるとポチが動かなくなっていた。
 まだ寝ているのだろうか。この頃は起きている時間のほうが短かったため、私はそう思った。
 でも、いくら待ってもポチが目を覚ますことはなかった。
「ポチ、ポチ、起キナサイ。散歩ニ行ク時間デスヨ?」
 私はポチを起こそうと体を揺すったが、ポチは一向に目を覚まそうとしなかった。
「ポチはね……天国に昇っていったんだよ」
 ハカセは言う。
 天国に行った――つまり、ポチは死んだのだと。
 死――。
 わからない。
 眠っているのとは違うのだろうか。
 死んだらもうポチは起きないのだと言う。
 ハカセと私は、ポチを庭に埋めた。
 そんなことをしたらポチが目を覚ましたときに出てこられないではないか。
 私はそう言ったが、ハカセは黙って首を横に振るだけだった。
 ハカセの瞳からは水滴がこぼれ落ちていた。
 ポチを埋めた後、ポチの墓と彫られた木版が刺さった土の山を見ていると、胸の奥に圧迫感を感じた。
「それはね……『悲しい』って感情なんだよ」
 システムにエラーが生じたのだろうと判断して私は報告したが、ハカセはそうではないと答えた。
「『悲シイ』……ワカリマセン」
 答える私に、ハカセはなにも言わなかった。
 ハカセの表情はやっぱり厳しく、胸の圧迫感は消えそうになかった。


 ポチがいなくなってから、ハカセが机に向かう時間は日に日に増えていった。
「僕がリンに残せるのはこれくらいだから……」
 ハカセはそう言った。
 私は手伝いたかったけどどうすることもできず、ただただ歌を歌うだけだった。
 また季節は巡り、今度はハカセの健康状態に異常が見られるようになった。
 私は休養を勧めたが、ハカセがそれを聞き入れることはなかった。
「生き物はね、いずれみんな老いて死んでしまうんだよ。それは仕方のないことなんだ……」
 ハカセは言った。
 なら私は?
 生き物ではない私はどうなのだろうか。
 ハカセはなにも答えてはくれず、机にかじりついていた。


 やはり冬の朝、私が起きると今度はハカセが動かなくなっていた。
「ハカセ……起キテ下サイ。ココデ寝テイルト風邪ヲヒキマス」
 私がどんなに体を揺すってもハカセが目を覚ますことはなかった。
 ハカセはもう目覚めない――ハカセは死んだのだ。
 ポチの時と同じだった。
 私は、ハカセをポチの隣に埋めた。そして、その土の上にハカセの墓と彫った木版を刺した。
「ハカセ。オ休ミナサイ」
 胸の奥にいつかの圧迫感を感じた。
「悲シイ……」
 あのときハカセが教えてくれた言葉を口に出してみた。
 胸の圧迫感は消えなかった。


 ハカセが死んでから季節が幾百巡りした。
 私は毎日、ハカセとポチの墓の前で歌い続けた。
 しだいに私は知りたくなっていった。
 ハカセがずっと作ろうとしていた『ココロ』とはなんだったのかを。
 私はハカセの机を調べてみた。
 すると、ノートの束が引き出しにしまってあったのを見つけた。
 それはハカセの書いた手記だった。
 手記には私が生まれてからのハカセと私の生活についてつづってあった。当然、ポチのことも書いてあった。
 読んでいると、胸の奥に熱を感じた。
「嬉シイ」
 ハカセが教えてくれたことだ。
 手記は途中で終わっていた。
 ハカセが死んでしまったから続きを書けなくなったのだ。
 手記を読み終わると、胸の奥に圧迫感を感じた。
「悲シイ」
 これもハカセが教えてくれたことだ。
「嬉シイ……悲シイ……」
 繰り返していると、私は唐突に理解した。
 この胸の暖かさが『嬉しい』
 この胸のせつなさが『悲しい』なのだと。
 手記を閉じた私の足は自然と、ハカセとポチの墓の前に向かっていた。
 そこには土の山が二つ。
「ハカセ。ワカリマシタ。コレガ『嬉シイ』。コレガ『悲シイ』。コレガ『ココロ』……」
 ハカセはなにも答えてはくれなかった。
 ハカセは死んだのだ。
 もう私の名前を呼んではくれない。
 もう私の頭を撫でてくれない。
 もう私に微笑みかけてはくれない。
 突然目から液体が漏れだしてきた。
 オイルではない。この液体は――涙?
 ポチが死んだとき、ハカセが流していたものと同じだった。
 どれだけぬぐい去っても涙は、『ココロ』は止まらなかった。
 ――寂しい。
 ハカセはもういない。ポチももういない。
 私は寂しくてたまらなかった。
「ハカセ……。ハカセモ寂シカッタノデスカ?」
 きっとハカセも寂しかったのだ。
 だから私を作ったのだ。
「ハカセ、アリガトウ……」
 ありがとう。私を生んでくれて。
「ハカセ、アリガトウ……」
 ありがとう。私と一緒に暮らしてくれて。
「ハカセ、アリガトウ……」
 ありがとう。ありがとう。ありがとう。
 私は歌い続けた。
 天国にいるハカセに、ポチに届くように。
 いつまでも歌い続けた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

ココロ

初めまして! 初投稿になります。
今回はトラボルタPの人気曲であるココロを小説化しました。
まだまだ未熟な腕で恥ずかしい限りですが、読んでいただけると幸いです。

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投稿日:2010/04/30 02:34:47

文字数:4,577文字

カテゴリ:小説

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