「カエさん、お帰りなさい」
居間に入ってきたカエさんは、悩んでいる表情をしていた。どうやら、お姉さんとの対面は上手くいかなかったようだ。
「あたし、お茶を淹れてくるね。座ってて」
ハクちゃんはまた、台所に行ってしまった。カエさんは「ありがとう」と言うと、ミカちゃんの傍に屈みこんで、その頭を静かに撫でた。
やがてハクちゃんがお茶道具を抱えて戻ってきた。とりあえず、昨日の残りとおぼしきクッキーと一緒に、お茶を頂く。しばらく、あたしたちは無言でティーカップを傾けていた。
「……で、姉さんはどうだったの?」
沈黙を破ったのは、ハクちゃんだった。この先どうなるか、一番気にかかっているんだものね。
カエさんは心配そうな表情のまま、首を横に振った。どうやら、話し合いは上手くいかなかったようだ。
「ルカに会ってきたんだけど……いいとは言えなかったわ。ほとんど話も通じなかったし、別れ際には魂が抜けたみたいにぼうっとしていて……ガクトさんは、明日精神科に連れて行くって言っていたけど」
全然自体は好転してないわけね。ハクちゃんがうつむき、カップをぎゅっとにぎる。
「じゃ、ミカちゃんは当分うちで預かるの?」
「……ええ。その予定だけど……ハク、もしかして嫌なの?」
ハクちゃんはゆっくりと首を横に振った。今回はいやいやあわせているというふうではないから、少なくともこの件に対する感情としては「ニュートラル」で落ち着いたみたい。
「それは……平気。でもどれぐらい? 一年以上とか、かかったりする?」
多分はっきり決まってないんだろうなあ、それ。下手すると年単位になったりして。
「ごめんなさい、それはまだ決まってないの。まずは明日の診察を待ってからじゃないと……」
すまなそうに、カエさんはそう言った。ハクちゃんが、少し不機嫌そうな表情になる。
「年単位で預かるの? 来年には幼稚園よ?」
「そんなになる前には結論を出そうと思ってはいるわ。でも……」
カエさんは今度は困ったような表情になって、口ごもった。言いにくい話みたいね。
「カエさん、なに?」
ハクちゃんが尋ねる。カエさんはしばらく迷っていたけれど、結局、口を開いた。
「あのね、ハク……結果次第になるからまだなんとも言えないんだけど……この家に、ルカを引き取るのは、やっぱり嫌?」
ハクちゃんは、文字通りその場に凍りついた。びっくりしすぎて言葉も出てこないみたい。カエさんが、また困った表情になる。
「……姉さん、離婚するの?」
やがて、乾いた声でハクちゃんはそう尋ねた。そういや、離婚したらどうなるのかしらね? 多分ミカちゃんは、旦那さんが引き取るんだろう。そうなると、ハクちゃんのお姉さんはどうするの? 実家に帰る? ハクちゃんの実家については、ハクちゃんから聞いている。裕福だけど、無茶苦茶な家だ。あそこに返したら、状態は更に悪化するだろう。カエさんからしたら、それだけは避けたいに違いない。
「それはまだわからないわ。ルカの状態とか、ガクトさんの意向とか、色々あるし。でも、離婚しなかったとしても、今のルカにミカちゃんの面倒を見るのは無理よ。むしろ一緒にしない方がいいかもしれない。でも、両親のどちらもとも離れて、ここで成長するのがミカちゃんのためになるとは思えないの。母親が無理なら父親だけでも、ミカちゃんの傍にいた方がいい、そう考えたのよ」
真面目な口調で、カエさんはそう言った。カエさんなりに考えて出した結論で、軽い気持ちで言っているのではないことが、その声音から伺える。
ハクちゃんは黙って下を向いてしまった。あたしとめーちゃんも、無言でハクちゃんを見守る。今は口出ししていい時じゃないし。できるのは見守ることだけ。
やがてハクちゃんは、消え入りそうな声でこう言った。
「……姉さんと一緒に暮らすのは、あたしは嫌」
それだけ言うと、ハクちゃんは静かに立ち上がって、部屋を出て行ってしまった。カエさんが反射的に立ち上がる。
「ハク!」
反射的に腰を浮かせかけたカエさんだけど、追うことはしなかった。追ってすがって、強制するということはしたくないみたい。
……あたしは立ち上がって、めーちゃんを見た。めーちゃんが頷いたので、あたしは居間を出て、二階にあるハクちゃんの部屋に向かった。さっき階段を上がっていく音が聞こえたから、ハクちゃんは外ではなくてこっちだろう。
「ハクちゃん、入るわよ」
ノックしてから、ハクちゃんの部屋のドアを開ける。ハクちゃんは、ベッドに寝転がっていた。
「マイコ先生……」
あたしはとりあえず、ハクちゃんが寝転がっているベッドの端に座らせてもらった。そのまま黙って、ハクちゃんの出方を待つ。やがてハクちゃんはため息をついてから、起き上がってベッドの上に座りなおした。
「……お説教しないんですか?」
「効果なさそうだから、やめとく」
ハクちゃんは髪をぐしゃぐしゃとかき乱して――だからやめなさいって――乱れた髪の下からこっちを見た。
「でも先生、やっぱり思うでしょう? カエさんにあんな態度取るなとか、姉妹なんだからもっと仲良くしなさいって」
自分の感情はどうにもならないけど、今の状態がいいと思ってるわけでもないのね。
「兄弟だから仲良くできるってものでもないでしょ。あたしだって、昔は帯人と結構モメたりもしたし」
もっとも帯人が家を出てからは関係も修復できて、現在では帯人の衣装を作ってあげたりもしている。男物は趣味じゃないんだけど、ま、これぐらいはやってあげないとね。
「だからね、ハクちゃんがハクちゃんのお姉さんを嫌いなのは、仕方がないと思うし、それはそれで構わないと思う。もちろん褒められた話ではないけれど、変に『お姉さんなんだから好きでいなくちゃ。嫌いでいるのは悪いこと』って思いつめるよりはね。でも、その感情を誰かに強制することはできないわ。ハクちゃんがお姉さんを嫌いだからといって、ハクちゃんと親しい他の人まで、お姉さんを嫌いになることはないし、嫌いにさせることだってできない。それは、当たり前のことよ」
ハクちゃんは面白くなさそうな表情になった。結局、そういうことなのよね。人間は、自分と親しい人間が、同じ感情を持ってくれることを望む。自分の好きなものは好きでいて、嫌いなものは嫌いでいてほしい。多分、大抵の人はそうだ。でも、それを強制するなんてことはできない。できるとしたら、せいぜい「お願い」するぐらいだろう。だけど、自分の嫌いな人を同じように嫌いになってくれなんてお願い、死ぬほどみっともない。
ハクちゃんはお姉さんが嫌いだから、自分の周りの人にはお姉さんを嫌いでいてほしい。でもカエさんからすれば、ハクちゃんもお姉さんも、娘で、気になる存在。だからカエさんは、板挟みになって、悩んでいる。
「……あたしは、自分が嫌いです」
不意に、ハクちゃんはそう言った。
「頭が悪くて、不器用で、色んなことが上手にできなくて、周りの感情を思いやるってことが全然できなくて、すぐに自分のことだけでいっぱいいっぱいになって……」
なにやらネガティヴなことを、ハクちゃんは語りだした。……前も聞いたことあるけど、今は黙ってよう。
「姉さんを思いやったり気遣ったりするなんて、あたしには無理。それどころか、顔見ただけで嫌になると思います。だからあたしは姉さんと一緒には住めません。それだけは譲れない」
喋っているうちに、ハクちゃんの声のトーンは下がっていった。
「でもカエさんは、姉さんを引き取りたい。……だから、あたし、ここを出て、一人暮らししようと思います。あたしがいたら、邪魔になっちゃう」
ハクちゃんの目には涙がにじんでいた。……素直じゃないなあ。もうちょっと素直になってもいいと思うんだけどね。
「ハクちゃん、本当にそれでいいの?」
「……いいんです。これが、一番。あたしはもう大丈夫だって、カエさんにわかってもらいます。大体、リンはもう家を出てるんですよ。姉の方が巣立ちが遅いなんて、笑っちゃいますね」
泣き笑いみたいな表情で、ハクちゃんは言った。本当に、素直じゃない。
「でも……カエさんは、バカですよ。やっとあたしっていう重石が取れるのに、また問題背負い込んだりして。どうしようもなく、バカです」
あたしは何も言わず、ハクちゃんの頭をと撫でた。とりあえず、自分で結論は出せたんだから。
ロミオとシンデレラ 外伝その四十一【好きという気持ち、嫌いという気持ち】後編
遅くなりましたが、続きです。
この話のハクってツンデレ入ってるのかもしれない。
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ご意見・ご感想
笑子
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こんにちは、前に一度コメントさせていただきました、笑子です。
ミカちゃんを引き取るのではなく、ルカさんを引き取るのですか。カエさんにはそのほうが大変かもしれませんが、ルカさんのためいもミカちゃんのためにもその方がいいのかもしれないですね。
いきなりの長文すみませんでした。それでは。
2012/11/04 18:54:23
目白皐月
こんにちは、笑子さん。メッセージありがとうございます。
ミカちゃんの方を引き取ってしまうと、最悪「ある告白に関する物語」になっちゃいますからね。カエさんはそこまで無神経ではないですし、そういう事態だけは避けたがるでしょう。
後、私は長い文章読みなれてますので、メッセージ制限オーバーするぐらいでも平気ですので。
2012/11/04 23:31:33